「私も、覚悟が出来ました」
「……ほ、本当ですか? 姫様」
目を丸くしてそう尋ねるナミに、私はため息と共に頷く。
舞踏会も終了した夜更け、私は自室のベッドに腰掛けながら、事の顛末を全て話したのだ。
もうここまで来たからなのか、ナミも今までの様に憤慨したりはしない。
「……そう、ですか……。
で、でも……よろしいのですか? 姫様は」
眉をひそめ、心配そうに尋ねるナミに、私は黙って首を横に振る。
「良いわけないじゃない。
初めてのく……口付け、だし、好きな人としたいもの。
でも、イル様は覚悟を決めているようだし……。だったら、私だけ駄々をこねるわけにもいかないから」
バルコニーでのイル様は、とても大人に見えて――――、私が、子供に見えて。
急に、私ももう仕方ないって思って、事を受け入れているのは。
「……意地、かも」
小さな声で呟けば、ナミがきょとんとして私の顔を覗きこんでくる。
「姫様? 何か仰いました?」
「あ……、ううん、なんでもないの。あの、ほら、明日大変だから、もう寝るわね。おやすみ、ナミ」
イル様のこととか、バルコニーでのこととか、明日の事とか。
それらを考えていたらなんだか恥ずかしくなってしまって、私は強引にナミを追い出し、床についた。
******
溢れんばかりの国民の歓声と、笑顔。
「レフシア王国第一王子イル・アヴィンセルと、ルーン王国第一王女リイナ・レンスリット。この二人の婚姻により、両国の平和と親交が、永久に続くことをここに宣言しよう」
国王様からの、レフシア国民に向けての正式婚約発表。
その力強い宣言を聞いて、国民たちは更に熱狂する。そんな彼らに向かい、高いバルコニーの上で、笑顔で手を振る私とイル様。
端からは、さぞ仲の良い二人に見えているのだろう―――――でも。
「……姫、目が笑っていません」
「……えっと、こうですか」
「怖い顔になっています」
「……じゃあ、こう?」
「失礼ながら、その顔は変です」
「な……っ、へ、変てどういうことで……」
「姫、国民の前です」
「……。じゃあ、こ、こうですか」
「……まあ、それなら良いでしょう」
小さな声で、そんな会話が頻繁に交わされている。
一応お互いに約束は守っているけれど、それでもやはりぎくしゃくとはするもので、仲の良い婚約者を演じるのは大変だ。
しかも――――、
「では、王子、姫。
両国の永久の平和と親交への願いと、婚約の口付けを」
とうとう、その時が来た。
進行係にイル様が軽く微笑んで頷き、こちらに向き直る。
「……では」
小さな声でそう言った彼は、私にだけしか表情が見せないせいか、先程の微笑とは全く違う真顔。
私も覚悟を決めて、瞼を閉じる。
私くらいの年齢の少女としては、心ときめく瞬間なのだろう。
相手は見目麗しい王子で、婚約の口付けを待つために瞼を閉じて。
けれど私にとっては、まるで海賊船の板から海へ落される女のような――――。
いや、それほどまでは嫌じゃない? でも、私はこの口付けが本当に嫌なはずで……。でも――――、あれ?
いまいち分から分自分自身の心に戸惑いつつ、来るであろうそれを待っているけれど。
いつまで経ってもそれはやってこない。
不思議に思って恐る恐る瞼を開ければ、超至近距離にイル様の顔があった。目線は国民のいる広場とは反対方向に逸らされているし、彼の表情は見えない。唇は、触れるまで僅か数mmといったところ。
いわゆる―――――"寸止め"というやつだった。
「……え……っと……、イル様? これは、どういう?」
顔を動かさずに小声で尋ねれば、彼も小さな声で答える。
「……この行為は国民を裏切ることになるので、悩んだのですが。
それでも、これから王子妃として添うて行く女性の嫌がることをするのは、王子としてもどうかと思いましたし……。これ以上、関係が悪化するのは問題ですから。
姫の感情が少し和らぎましたら、本物の口付けを致しましょう」
思いも掛けなかった言葉。
やっぱり――――、イル様が、大人に見える。
「……でも、国民の皆様は私たちが口付けをしていると思っているのでしょう? ……良いの、ですか?」
「もちろん、私はこんなことをしたいなどとは思いません。しかし、姫が嫌ならば仕方ないでしょう」
私との口付けも嫌だけど、かといって国民を欺くのも嫌。だから仕方なく覚悟を決めたけれど、私が嫌だから結局はこういう方法を取った――――ということか。
頭の中で状況を整理して、軽く息をつく。
「……我慢、してくださったんですね。でも、国民に嘘をつくのは嫌なのでしょう?」
「それはもちろんです。王子たる者、国民に嘘をつくなど――――」
イル様の言葉を聞き、私は軽く拳を握った。
彼が私のことを考えて、こうした方法をとってくれたのだ。だったら、私も覚悟を決めねばならない。
イル様が我慢して出来たこの状況に、甘えているわけにはいかない。
「……イル様、そのお気持ち、嬉しく思います」
ですから――――、私も、覚悟が出来ました。
小さな声で囁けば、彼が驚いたように小さく息を呑む。
僅か数mmの距離。それを0にするために、私は堅く目を閉じて、少し背伸びをした。
遅ればせながら……、あけまして、おめでようございます。←
遅れまして、ほんとうに申し訳ありません。どうにか受験生になる前には完結を、と思っていたのですが、無理そうです。
せめてもの処置として、二人の仲を急接近させておきました。←
それと、「天然王女の婚約者」の短編を投稿いたしました。季節とか、ちょっとパラレル設定です。こちらもご覧いただけたらなぁ、なんて思っております。http://ncode.syosetu.com/n0030bz/