彼の後悔
「まあ、林檎がたくさん」
クラウディア嬢が目を丸くして驚いている。
「八百屋が腰を痛めて荷運びに困っていたから少し手伝ったのだが……こんなにもらってしまった」
「早速お切りしましょう。またアップルパイも作りますね」
まるで催促したみたいだ……頬に熱が集まる。
彼女の何気ない一言に心が跳ねてしまう……だが、また次に会える理由が一つ増えて嬉しい。
いつも通りのクラウディア嬢にほっとした。先日は情けない姿を見られてしまったというのに。
「では、よろしくお願いしますわ」
にこにこと微笑む彼女に毒気を抜かれる。
「……何を手伝えばいいんだ?」
「そちらにお掛けになって、クラバットをお外しになってもらえますか?」
「……なっ?!」
(……さ、誘っている!?……わけはないと思うのだが、一体何をさせられるんだ)
「首筋のラインがとても美しいから、そこを描きたいんですの」
「ああ……そういう……」
がっかりしたような、ホッとしたような、入り混じる感情に自分でも戸惑ってしまう。
真剣な眼差しで見つめられ、動悸が止まらない。
思わず顔を背けそうになると、
「動かないで。顎を少し引いてくださる……?ああ、良いわ……」
うっとりした声を漏らす彼女に、ゴクリと喉がなる。
(落ち着け。……彼女は、ただ絵を描いているだけだ)
「ジュリアン様は……領主様の、弟君なのですね……」
「……なぜ、それを……?」
驚きで思わず動き、彼女を見つめる。クラウディア嬢も手を止めた。
「王都のお噂は、耳にしたことがありますの。けれど……私は自分の目で見たものしか信じませんの。噂よりも、ずっと素敵で優しい方ですもの」
── スカイライン侯爵家三男、街中で令嬢と幼子を強襲!
あの時のゴシップ紙の文字が脳裏を過ぎる。
あの日あろうことか振り上げてしまった自分の右手首を、私は消し去りたい衝動に駆られながらきつく握りしめた。
「……けれどゴシップがどうあれ事実なんだ。俺は、幼い子供に手を上げようとした」
深く俯いてしまって、彼女がどんな表情で私を見ているのか、怖くて顔が上げられない。
「……新しく決められた婚約者の子爵令嬢とも、うまくいっていなかった。それでむしゃくしゃしていたんだ。元婚約者とその弟への……完全な八つ当たりだ。一緒にいた男に止められなければ、本当に殴っていた」
──幼い弟を守ろうと必死で覆い被さった、元婚約者の怯えた顔を、今でも思い出す。
「……」
恐る恐る視線を上げると、クラウディア嬢は悲鳴を上げるでもなく、ただ心配そうに、私を静かに見つめていた。
「……私は本来、彼女の家に婿入りするはずだったんだ。元婚約者が……いつでも一生懸命で勤勉だった彼女が、弟が生まれたからという理由だけで、後継者から外された。私の親も『継げないなら旨味がない』と、一方的に婚約を解消してな……。それなのに彼女は悔しがるどころか平然として……弟が可愛いと笑っていたんだ。理不尽に耐えてい笑っている彼女が、どうしても許せなかった。だから……っ」
「……好きだったのね。彼女のことが」
「ああ。好きだった。……俺は、間違えたんだ」
◇
絞り出すような声とともに、ジュリアン様が深く深く頭を垂れる。
金色の髪がはらりと落ち、その背中が痛々しいほど小さく震えていた。
社交界の噂では、軽薄で暴力的と語られていた青年。
だが、目の前にいるのは──誰よりも不器用で、誰かのために激しく怒り、誰よりも傷ついて逃げてきただけの、哀しいほど純粋な人だ。
スケッチブックを傍らに置き、私は静かに彼のもとへ歩み寄る。
そっと、彼の背中に手を重ねた。ジュリアン様がビクッと肩を跳ね上げ、驚いたように目を丸くして振り返る。
「……クラウディア嬢……!?」
温かい。彼はこんなに温かい心を持っている人なのに。
「ごめんなさい。こんな時、どんな言葉をかけたらいいか分からないの。でも……人には、温もりが必要な時があるんじゃないかしら」
ふっと顔を上げたジュリアン様と、視線が絡み合う。彼のプリムラ色の綺麗な瞳が、潤んで揺れていた。
「間違えてしまったかもしれないけど、その痛みをちゃんと知って、こうして深く反省しているあなたに……寄り添う人がいてもいいと思うの」
両手を広げてみせると、ジュリアン様は躊躇いながら……しがみつくように私に抱きついてきた。
「クラウディア……っ」
泣いてもいいのに。悲しい時は、幼子のように思いっきり泣けばいいのに。
「……すまない。もう少しだけ……」
すがりつく彼の大きな背中を、私はゆっくりと撫で続けた。




