第38話 黒き衝動
先に動いたのは聖火だった。
眼前の敵を前に村正の禍々しい炎が煌々と光る。
振り下ろした刀身は羅刹の拳に弾かれ、吹き飛ばされた。
「……久しい感覚」
羅刹は静かに呟いた。
「……何?」
「鼓動が高鳴るようだーー」
剥き出しになった牙を歪め、笑う。
ーーそう、数百年前のあの時のような高揚感。
「羅刹、俺様の背中は貴様に任せたぞ」
「……御意」
眼前には数千を超える敵の妖の軍勢。
対して、こちらは酒呑童子と羅刹の二人のみ。
ーー主に命じられ、戦う高揚感。
これだけは数百年経った今でも忘れられない感覚。
羅刹は拳を握り直し、聖火に視線を移した。
「村正・焔獄」
地面に突き立てた村正から赤黒い炎が地面へ侵食し、五回にわたって衝撃波が羅刹を襲う。
ーーだが、羅刹は仁王立ちで爆発を受け続け、顔を曇らせるわけでもなく、淡々と立っていた。
「……ふむ、緩いな」
叩き込まれたことすら気づかない速度で腹部に拳がめり込む。胃の中の空気が全て押し出され、身体が宙を浮いた。
「……がはッ……!」
目に止まらぬ連撃が聖火を襲い、数メートル先の地面に叩きつけられる。
「……はぁ、はぁ……はぁ……」
村正を杖代わりに震えた足取りで立ち上がる。
「……強すぎる。これが葬過の右腕か……」
聖火はあまりの強さに圧倒され、思わず弱音を吐く。
「……貴様、もう終わりか?」
「はぁ、はぁ……」
ーードクンッ!
立て続けの戦闘、字装による消耗、羅刹からの大ダメージ、それら全てが身体を止めようと足枷へと繋がっていく。
「血盟術……村正・血桜!」
地面を蹴り、緋色に光る刀身で力一杯に羅刹を斬り伏せる。防御もしない羅刹に疑念を浮かべながら、距離を取った。
「……ほう? 今のは悪くなかったな」
ーー切り伏せられた傷口が爆散し、羅刹は衝撃に耐え切れず、後方へ投げ出される。
「……ッ!!」
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、警戒を続け、臨戦体制で構えた。
「傷口の炎が爆発するという技か……悪くはなかったな」
羅刹は傷口を撫で、笑いながら拳を握る。
ーー完全に戦闘を楽しんでいる。あえて避けず、ダメージを喰らって、戦闘による高揚を得ている。
「久々の高揚……戦いを楽しむぞ!」
羅刹の拳が白く光り輝き、口元が歪む。
「羅刹……修羅界!」
羅刹の足元から波長のように黒い炎が広がり、聖火と羅刹だけを覆い尽くし、逃げ場が失われた。
「……どちらかが死ぬまで消えることはない、修羅の世界。決着を付けるにはもってこいだろう!」
羅刹の領域にすっぽりと体を埋めてしまった聖火は、内心焦っていた。
ーー力の差は歴然。血盟術が一切効かない。
だから、諦めるというのか? それは違う!
「はぁぁぁぁぁぁあああ!」
拳を強く握り、村正を持ち直す。
一瞬でも過った"勝てないかもしれない"負の感情を頭の中から吹き飛ばそうと喝を入れた。
「……俺は負けない。お前を倒して、つぐ兄も止める!」
「ほう……? いい眼だな、嫌いじゃない」
既に満身創痍の身体を叩き起こし、指先に炎を灯す。
「炎命術……字装・剛迅!」
歯を食い縛り、一文字一文字を震える指を気合いで押さえながら書き殴る。宙に記された文字が力となり、聖火の全身を包み込んだ。脳の処理が限界を超え、瞳から血液が滴り、視界が赤く染まる。
地面を蹴り、一気に超加速。
羅刹との間合いを一瞬で詰め、村正の刀身を振るう。単調な攻撃だけに拳で受け止められたが、反動を上手く使い、空中で体を回転させて頭上から村正を叩き下ろした。
「ぐっ……ここに来て、力が増すか、人間!」
両腕を交差させ、聖火の攻撃を耐え凌ぐ。
体重が乗せられた一撃に地面が足の形に陥没し、羅刹の判断が一瞬だけ遅れた。
目にも止まらぬ速度で強く握った拳が羅刹の頬にめり込み、黒い炎の壁へ叩きつける。
「……ふっ、ははははははは! いいぞ、人間! 俺をもっと楽しませろ!」
楽しげに立ち上がり、赤く目を光らせる羅刹とは打って変わって、肩で息をしながら全身を理性だけで押さえ続けている聖火。
「……ごぼっ……!」
口から大量の血を流し、膝が落ちる。
「もう終わりか? これからだろう?」
顎を触りながら首の骨を鳴らし、羅刹は気合十分に拳を握り締めた。
「まあ、人間にしては頑張ったほうだな。褒めてやろう!」
ゆっくりと近づいてくる羅刹にどうしようもない絶望感が宿る。
ーー身体が動かない。
既に満身創痍の身体に字装を酷使し、聖火の身体の機能は停止しようとしていた。
ーードクンッ!と心臓の音が大きくなった。
聖火はその正体を察し、苦しそうに俯く。
ーーあの時と全く同じ感覚。
自分の中のドス黒い"衝動"が湧水のように溢れ、耳元で誘惑の言葉を吐き続けてくる。
『ーー力が欲しいか?』
悪魔のような囁き、低く野太い聖火にしか聞こえない声。
「……要らない」
首を振って、拒絶する。
『ならば、死ぬぞ?」
「……黙れ!」
必死に拒絶する。
『ーー我が力を使え』
「……やめろ! 話しかけてくるな!」
自分の鼓動音が大きくなるにつれて、意識が朦朧と、視界が霞んだ。
「……何をブツブツと言っている。気でもおかしくなったか?」
聖火の正面に立ち、羅刹は拳を握った。
「……」
「少しは楽しめたぞ、人間。最後に言い残すことはあるか?」
無言を貫き、辛そうな表情の聖火の瞳から黒い涙がぽろりと落ちる。
「……ッ!?」
ーー直後、羅刹の腕に違和感が生じた。
拳を握り、振り下ろすーー感覚がない。
「……なッ……!」
後方からぼとりと重みのある肉塊が落ちる音が聞こえ、瞳を大きく見開いた。
「……ッッ!」
音もなく、前触れもない。
無くなった腕の断面を触りながら、後ろへ飛んで後退した。
「……な、何が起きているというのだ!?」
触っていた、もう片方の腕の感覚が消え、羅刹は驚愕を隠せずに周囲を見回す。
「き、貴様は……何者だッ……!」
羅刹の視界が真っ黒に染まった。
黒い炎の結界を前に、水戸は、羅刹と聖火の戦いが終わるのを待っていた。
「……そろそろ終わりかな」
結界に覆われてから十分弱、羅刹を前に満身創痍の聖火が勝てる想像が出来ない。
「……どういうことだ?」
空気と混じるように消えていく黒い炎、その内部は水戸の想像を絶する事態が繰り広げられていた。
「……」
四肢全てを切り落とされ、地面に転がる羅刹を横目に、黒い虹彩に真っ赤な縦長の双眸がぎょろりと水戸を捉える。
「……ッ!? 聖火、なのか!?」
ーー直後、闇龗神を握っていた腕がぼとりと落ち、断面から大量の血液が噴き出す。
あまりに早い"攻撃"に水戸は目を丸くさせ、断末魔に近い驚嘆を上げた。
「……ぐっぁぁぁぁあああああああ!!」
絶叫で喉が枯れ、片腕で断面の止血を行なう。
だが、止血していた片腕の感覚も消え、足の力が入らなくなった。気がつけば、視界は真っ赤に染まり、地面に落ちている。
「……な、な、なにもっ……の……な、ん……だ……!」
最後の力を振り絞り、"聖火"だったはずの存在に視線を向け、問いかけた。
「……」
崩れた旧校舎が映し出す聖火の陰は人ではなかった。禍々しく大きい炎のそのもののように揺れ、赤い瞳孔が恐怖を植え付けてくる。
水戸は痛みと出血多量で意識を手放した。
「……聖火!」
聞き慣れた声が静寂を切り裂く。赤い瞳孔だけがゆっくりと動き、振り返ることもない。崩れた旧校舎に映る巨大な影がぐにゃりと蠢いた。
「……遅かったか」
大地は拳を強く握り締め、禍々しい空気を纏う聖火を真剣な双眸で捉える。
「……また貴様か」
一言、聖火の声で紡がれる口調には、明らかな違和感があった。
その声を聞いた瞬間、大地の脳裏に過去の光景が蘇る。
「……ッ!!」
悔しさと怒りを噛み殺すように、目を瞑った。
「またこのガキに封印しようとしても無駄だ! 今回こそは……!」
「……好き勝手させるわけないだろ!」
真っ赤な縦長の双眸がぎょろりと動き、大地は怒りに満ちた表情で構えた。
◾️村正・焔獄
聖火の血盟術、村正の術。
地面に突き立てた村正から赤黒い炎の衝撃波が五度に渡って放たれる。
◾️血桜
村正の術。
斬り伏せた切り口の血液が爆散する。
◾️修羅界
羅刹の術。
真っ黒い球体型の領域を展開。
逃げ道を失わせ、一対一を作り出す。
◾️字装・剛迅
字装・剛と迅を掛け合わせた術。
疲弊感や時間制限はあるが、凄まじい速度とパワーを手に入れる。
◾️黒き衝動
聖火の中に秘めた何者かの衝動。
時折話しかけて来ては、力を貸そうとする。
自我を失い、身体は完全に乗っ取られる。
その正体は誰も知らない。
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