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追放先は辺境の廃塔でした   作者: 星海凡夫


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第74章 〜旅立ちの夜〜


出発は明朝に決まった。準備はすべて整っていた。リラのルーン装備、シルフィーの翼、エリオンの古い知識、リサンドラの剣、レナの短剣、ゴルンの保存食、ミリの物資、アルテアの救急袋。すべてが揃い、あとは夜が明けるのを待つだけだった。


夕方、俺はリラを図書館に訪ねた。彼女は最後の確認として、水中遺跡で使うルーンの予備札を検めていた。青い光が指先から羊皮紙に流れ、古い文字が浮かび上がる。


「緊張してるか」

「はい。初めての遠征だから。でも、それ以上に……楽しみです。ずっと本で読むだけだった遺跡に、実際に足を踏み入れられる」

「すごい学者みたいなことを言うな」

「私は学者です」

「そうだった」


彼女は微笑み、ルーン札をそっと重ねた。

「シン、私、必ず鍵を持ち帰ります。そして戻ったら――」

「戻ったら?」

「言いたいことがあります」

「今言えばいい」

「いいえ、戻ってから。それが自分へのご褒美です」

「わかった。楽しみにしてる」


彼女は少しだけ頬を染め、ルーン札の束を胸に抱いた。


夜、最後の食事はいつもより賑やかだった。セラが腕によりをかけた料理を並べ、ゴルンがどこからか見つけてきた果実酒を注ぎ、ヴェラスが新しいジョッキを削っていた。旅立つ者も残る者も、みんな一緒に食卓を囲んだ。


「明日からまた静かになるな」ゴルンが言った。

「寂しいか」俺は尋ねた。

「寂しくない。鍛冶に集中できる」

「嘘つけ。お前はいつもリラの質問を楽しみにしてる」

「……うるさい」


リラが笑い、シルフィーが翼を広げ、エリオンが静かに茶を啜った。リサンドラはいつも通り無口だったが、口元は少しだけ緩んでいた。レナは俺の隣で、いつもより多めに食べていた。遠征前はいつもそうだった。アルテアは料理を取り分けながら、時々俺のほうを見ては微笑んだ。ヴァエリスは食べないが、テーブルの隅でその場の空気を楽しんでいた。ミリは帳簿を閉じて、ただみんなの話を聞いていた。


食後、俺は中庭に出た。リンゴの木が月明かりに照らされ、銀色に輝いていた。光り草の帯が遠くで瞬き、守護者たちが巡回を続けている。


「シン」


アルテアだった。彼女は月明かりの下で立ち止まり、少しだけためらいながら口を開いた。

「明日、また見送る側になる。慣れたけど、慣れない」

「俺もだ。行く側も待つ側も、どっちも慣れない」

「今回、私は行かない。でも」彼女は一歩近づいた。「戻ってきたら、あなたに伝えたいことがある」

「今言えばいい」

「いいえ。これは、戻ってきたときの約束にしたい」


彼女は背伸びをして、そっと唇を重ねた。柔らかく、ハーブの香りがかすかに残るキスだった。

「約束のキス」

「前にくれたじゃないか」

「あれは頬だった。今度は唇。それに……」

「それに?」

「もう少しだけ長い」


彼女は微笑み、踵を返して塔の中に消えた。


アルテアが去ったあと、俺はレナの部屋を訪ねた。扉は少し開いていた。彼女は寝台に座り、星鉄の短剣を磨いていた。窓から月明かりが差し込み、銀色の髪が透き通って見えた。


「明日、また遠征だ」俺は隣に座った。

「そうだな」

「お前は行く。俺は残る」

「お前は賢くなった」

「皮肉か」

「褒めてる」


彼女は短剣を置き、俺のほうを向いた。耳がわずかに動き、尻尾がゆっくりと揺れていた。

「シン、今回はリサンドラとリラとシルフィーとエリオンがいる。心配は少ない」

「少ないだけで、ゼロじゃない」

「ゼロにはならない。それはお前が私を気にかけてる証拠だ」

「その通りだ」

「だから、私もお前を気にかけてる」

「知ってる」


彼女は少しだけ俯き、それから俺の手を取って、指を絡めた。

「戻ったら、また私の部屋に来い」

「必ず」

「約束だ」

「約束」


俺は立ち上がりかけたが、彼女が手を離さなかった。

「まだ行くな」

「どうした」

「今夜は……ここにいろ」


彼女の耳がほんの少し赤くなった。月明かりのせいかもしれないし、そうでないかもしれない。

「レナ……」

「怖がってるわけじゃない。ただ、明日、もし何かあったらと思うと……お前とちゃんと過ごしておきたい」

「何もない」

「わかってる。でも、それでも」

「わかった」


俺は彼女の隣に戻り、彼女はゆっくりと俺の肩に凭れかかった。やがて手が動き、唇が触れ、互いの温もりを確かめ合った。言葉は少なかった。でも、言葉より確かなものがそこにはあった。


夜が更けていく。塔の灯がひとつ、またひとつと消えていく。月明かりが部屋を満たし、リンゴの木が中庭でそっと揺れていた。


「シン」レナの声は少し掠れていた。

「なんだ」

「私は、ここに来てよかった」

「私もだ」

「お前もか」

「ああ」

「……ばか」

「知ってる」


彼女の尻尾が毛布の下で揺れ、俺の脚に絡まった。温かかった。


やがて彼女の寝息が規則正しくなり、俺もゆっくりと目を閉じた。明日は遠征。明後日には、また別の誰かが出発するだろう。でも今夜は、この部屋に、二人だけの時間があった。それで十分だった。

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