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追放先は辺境の廃塔でした   作者: 星海凡夫


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第55章 〜商人の願い〜


市場に異変が起きたのは、その日の昼前だった。


俺がちょうどゴルンの鍛冶場で新しい星鉄の短剣の刃を眺めていたとき、ミリがいつもより速い足取りで近づいてきた。共同運営者の顔ではなかった。商人の顔だった。それも、獲物を見つけた猛禽の顔だ。


「ヴァルゲルドから商人が来ています」

「それはいつものことじゃないか」

「違います。相手はヴァルゲルドでも一、二を争う規模の商会の主です。名をドラン。穀物と金属を一手に扱っている」

「それがどうした」

「彼、うちの星鉄に価格をふっかけてます」


俺は眉を上げた。価格競争か。市場が大きくなれば、いつかは来ると思っていた。


「どこまで?」

「市場価格の六割です。星鉄の品質を貶めて、値切ろうとしている」

「それはずいぶん露骨だな」

「ええ。山岳氏族との和平で星鉄の供給が安定したのを見て、今のうちに市場の価格を叩いておきたいのでしょう。最初に安く買い叩けば、それが基準になる」

「なるほど」

「感心してる場合ですか」


ミリの目は怒りに燃えていたが、口元は冷静だった。怒りと戦略は彼女の中で共存できるらしい。


「ドランは今どこに」

「市場の東の休憩所です。フェリクスと話しています」

「自由都市の交易所で?」

「ええ。だから厄介なんです。フェリクスは中立を装っているが、安値で買えるなら自由都市もそちらに流れる可能性がある」


俺は管理ツールを手に取った。刃の部分が星鉄の光を反射して青白く輝いた。


「行こう」

「私も?」

「共同運営者だろ」

「……はい」


ドランは見るからに大商人だった。恰幅のいい初老の男で、毛皮の襟飾りのついた上等な外套を着て、指にはめ込んだ宝石が三つもあった。フェリクスはその隣で、いつもの片眼鏡を光らせながら、中立的な微笑みを浮かべていた。


「これはこれは、シン管理者」ドランは立ち上がり、大げさに両手を広げた。「噂には聞いていましたが、ずいぶんお若い。それでいて、この市場を築いた。感服します」

「噂は時に誇張する。俺はただの暫定管理者だ」

「暫定でありながら、星鉄を産出し、自由都市と取引し、光り草の種を独占している。たいした暫定だ」


彼の笑顔は完璧だったが、目は笑っていなかった。値踏みする目だった。俺という商品の価値を、頭の中で瞬時に計算している目だ。


「単刀直入に言います」ドランは続けた。「星鉄の取引価格を、現在の六割に抑えたい。悪い話ではない。市場に新規参入する者にとっては、むしろ健全な価格です」

「六割はあまりに低い」ミリが口を挟んだ。「星鉄の品質は山岳氏族も認めている。この市場で最も価値のある商品の一つです」

「過大評価ですよ、ミリ殿。星鉄は珍しいが、用途は限られる。武器と護符くらいだ。大量に流通させれば価格は下がる。市場の原理です」


俺は少し黙って、ドランの指にはめられた三つの宝石を見た。ルビー、サファイア、エメラルド。どれも一級品だ。


「ドラン殿、お前は宝石も扱っているな」

「ええ。それが何か」

「俺はこの市場で、宝石の取引に新しい関税をかけようと考えている。具体的には、一級品の宝石には三割の関税を」

「……なに?」

「市場の原理だ。宝石は希少だが、用途は限られる。装飾品くらいだ。大量に流通させれば価格は下がる。そうだろう?」


彼の笑顔が固まった。フェリクスが片眼鏡の奥で、かすかに笑った気がした。


「なるほど」ドランは顎を撫でた。「あなたはただの若者ではない。交渉ができる」

「サラリーマンだったんでな。数字には多少、明るい」

「サラリーマン?」

「こちらの言葉でいうと……帳簿兵だ」

「面白い。わかった。価格は八割でどうだ」

「九割だ」

「八割五分」

「九割だ」

「……九割で手を打とう」


ミリがすかさず帳簿を差し出した。彼女の手は微塵も震えていなかった。むしろ、獲物を仕留めた狩人の手だった。


ドランが去ったあと、フェリクスがゆっくりと拍手をした。


「見事でした、シン管理者。宝石の関税は虚構だったのでしょうが、非常に効果的だった」

「関税は本当に導入するかもしれない。まだ決めてないが」

「それは脅しですか」

「選択肢の提示だ」


フェリクスはにっこり笑った。今度は少しだけ、本心から楽しんでいるように見えた。


夕方、市場の裏手の丘で、ミリと並んで座った。ここからは塔の全景と、その前に広がる市場の屋根が見渡せた。先週と同じ場所で、先週と同じように彼女は帳簿を抱えていた。でも今日は、帳簿は開かれていなかった。


「シン様、ありがとうございました」

「共同運営者の仕事をしただけだ」

「いいえ、あれは私のための交渉でした。市場の価格を守ることは、私の立場を守ることです」

「お前は有能だ。俺が守らなくても、自分でなんとかできた」

「でも、守ってくれた。それが嬉しかった」


彼女は帳簿を膝の上に置き、しばらく夕日を眺めていた。光り草の帯が、ちょうど夕日を受けて輝き始めていた。


「シン様、私は商人です。商人は打算で動きます。打算じゃないことを言うのは、とても難しい。でも、今日は言います」

「聞いてる」

「私は、この市場を大きくしたい。自由都市を超える交易の中心にしたい。十年かかっても、二十年かかっても」

「大きい夢だな」

「ええ。そして、それをあなたと一緒にやりたいんです。共同運営者として、それから――」


彼女は言葉を切り、帳簿の角をぎゅっと握った。


「――それから、あなたの側で、ずっと」


俺は夕日を見ながら黙っていた。彼女は商人で、計算高くて、ずる賢くて、でも今ここで、彼女の言葉には計算も打算もなかった。ただの願いだった。


「俺はここにいる。ずっとここにいる」

「約束ですか」

「約束だ」

「商人は約束を信用しません。でも、あなたの約束は別です」

「なぜだ」

「あなたは一度も、私との約束を破ったことがないからです」


彼女の手が帳簿から離れて、俺の手に触れた。冷たい指先だった。帳簿をめくるペンを持つ手が、かすかに震えていた。


「寒いのか」

「違います。緊張してるんです。私がこんなふうになるのは、帳簿が合わないときだけです」

「つまり、今は帳簿が合わないのか」

「ええ。気持ちの帳簿が、めちゃくちゃです」


俺は笑った。彼女は少し怒った顔をしたが、すぐに笑った。二人で笑った。


夜、俺は中庭のリンゴの木の下で、今日一日を振り返っていた。ドランを退け、価格を守り、ミリが願いを口にした。リサンドラが選択を伝え、アルテアが告白し、レナはずっとそばにいて、ヴァエリスは「呼び声」を追い、ライラは調査を続けている。


それぞれの速度で、それぞれのやり方で、みんなが進んでいた。


「シン」


聞き覚えのある声。リサンドラだった。彼女は巡回の途中で、手には野花を一輪持っていた。白い小さな花。どこかの茂みで摘んできたらしい。


「どうした、その花」

「たまには、こういうこともする」

「衛士が花を摘むのは規則違反じゃないのか」

「規則は私が作る。問題ない」

「ずるいな」

「ずるくない。権限だ」


彼女は花を俺の手に置いた。小さくて、触れると壊れそうな花びらだった。


「リサンドラ、これ、俺に?」

「他に誰がいる」

「嬉しい」

「……そうか」

「ありがとう」

「礼はいい」

「感謝だ」

「わかってる。前言を撤回する。感謝は、礼とは違う。お前が言ったから、少し考えた。違うと思った」

「エルフが前言を撤回するなんて、初めて聞いた」

「私も初めてだ」


彼女は少しだけ微笑んで、それからまた巡回に戻っていった。背中がいつもより少しだけ、柔らかかった。


部屋に戻ろうとすると、廊下でヴァエリスに呼び止められた。


「シン、例の芽が、今夜もう一枚葉を開きました」

「またか。早いな」

「ええ。それでね、私、わかったことがあるの」

「なんだ」

「あの芽は、『呼び声』に応えている。遠くの誰か――おそらく北西の塔にいる何かが、この芽を通じて私たちに語りかけようとしている」

「何を語りかけているんだ」

「まだ言葉じゃない。でも、悪意はない。むしろ――助けを求めている」


俺は少し考え込んだ。「目覚めぬ塔」の守護者が、三百年前に狂わされた。それ以来、誰かが封じ込められ、助けを待っているのか。


「調査を急ごう。でも無理はするな」

「無理はしない。私は精霊だもの。無理をしてもすぐに回復する」

「お前まで俺みたいなことを言うな」

「あなたのが移ったの」


彼女はいたずらっぽく微笑んで、庭園に戻っていった。


遅く、俺はアルテアの部屋の前を通った。扉が少し開いていた。彼女は机に向かって、ノートに何かを書いていた。例の新芽の観察記録だ。


「まだ寝てないのか」

「シン。ええ、あと少しだけ」

「約束を破ったな。一時間寝ると言ったのに四十分だった。今も起きてる」

「……見つかってしまった」

「治癒師は嘘が下手だな」

「治癒師は嘘をつきません。ただ、少しだけ自分に甘いんです」


俺は彼女の机に近づいて、ノートを覗き込んだ。びっしりと文字が並び、所々にハーブの押し葉が貼ってあった。


「すごい量だな」

「新種かもしれないので、記録は詳細に残す必要があります」

「誰のためだ」

「塔のため。未来の治癒師のため。それから――」

「それから?」

「あなたのため」


彼女は少しだけうつむいて、それから顔を上げて微笑んだ。


「あなたがつくったこの場所に、何か役に立つものを遺したい。治癒師として、私にできること」

「それは十分すぎる」

「まだ足りません。私はもっと、あなたの役に立ちたい」

「アルテア……」

「でも今夜は、もう休みます。約束を守るために」

「いい子だ」

「子ども扱いしないでください。私はたぶん、あなたより長く生きてます」

「エルフの血が入ってるからな」

「はい。人間よりずっと長く、あなたを見守れます」

「それは、嬉しい言葉だ」


彼女はノートを閉じ、立ち上がった。それから、そっと俺の手を取って、指先でぎゅっと握った。


「おやすみなさい、シン」

「おやすみ、アルテア」


彼女の部屋を辞して、自分の寝台に横たわった。窓の外では守護者たちが巡回し、光り草の帯が輝き、塔が静かに呼吸していた。


いろんな気持ちが、ゆっくりと、でも確実に動いていた。一本ずつ順番にではなく、もつれ合いながら、自然に。


明日は何が起きるだろう。ライラが新発見を持ってくるかもしれない。ヴァエリスが呼び声の正体を掴むかもしれない。フェリクスが次の一手を打ってくるかもしれない。


でもそれは明日の話だ。


今夜はただ、目を閉じる。それで十分だった。

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