表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放先は辺境の廃塔でした   作者: 星海凡夫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/142

第50章 〜市場開き〜


再生市場の開場日は、雲ひとつない晴天になった。


朝日が中庭のリンゴの木を透かして、無数の光の粒を地面に落としている。こんな日に雨が降ったら呪いだと思っていたが、どうやら神々は俺たちに味方したらしい。元・神がこの塔の壁そのものになっているのだから、当然かもしれない。


「シン、起きてるか」


レナの声だ。今日は鼻をつままれなかった。進歩だ。


「起きてる」

「嘘つけ。目が閉じてる」

「開いてる。まぶたの裏で市場の全景を見てるんだ」

「それは想像と言うんだ」


彼女は呆れたように息を吐いたが、口元はわずかに緩んでいた。俺は寝台から起き上がり、彼女の手をそっと握った。彼女は少しだけ驚いた顔をして、それから握り返してきた。もう何度目かの、朝の儀式になりつつある仕草だった。


「今日は大事な日だ」

「わかってる」

「お前の市場だ」

「みんなの市場だ。お前も、朝のパンを焼いたセラも、屋根を葺いたヴェラスも、金具を打ったゴルンも、日除けを織ったセラも」

「セラを二回言った」

「それだけすごい」


彼女は鼻を鳴らしたが、尻尾はゆっくりと左に振れていた。


市場は、塔の正面の空き地に、三棟の建物として完成していた。中央が交易所、右が食堂と休憩所、左が工房と倉庫だ。壁はこの森で伐り出した木材と、塔の外周から運んだ石材を組み合わせてある。屋根にはセラが織った丈夫な日除け布が張られ、その縁には双子たちが色を塗った小さな木札が揺れていた。


「立派なもんだ」俺は朝日の中で市場を眺めながら言った。

「当然です」ミリが隣に並んだ。今日の彼女は、いつもの旅装束ではなく、ヴァルゲルドから取り寄せた商人の正装だった。濃い緑の上着は彼女の茶色い瞳を引き立て、肩には再生市場の紋章――塔とリンゴを組み合わせた意匠――が刺繍されていた。「共同運営者として、この日のために仕立てました」

「俺のは?」

「あなたのはありません」

「なぜだ」

「あなたは塔の管理者でしょう。市場に出るときは、ここの住民だという顔をしていればいいんです」

「つまり、普段着でいいと」

「正装です。普段着のままでいいというのが、ここの正装です」


彼女はにっこり笑った。一本取られた。


客はゆっくりと集まり始めた。ヴァルゲルドからの商人たちは、ミリが手配した馬車で早朝に到着した。ドゥルガンは自分の工房の看板を持ってきて、ゴルンの鍛冶場の隣に構えた。山岳氏族からは、峡谷の生き残りを代表して、あの隻眼の坑夫長が数人の若者を連れて訪れた。彼らは和平の証として、坑道で採れた黒曜石の塊を寄贈してくれた。


最も驚いたのは、自由都市からの使節団だった。ゴルンが話していた南部の商人連合から、正式な交易の申し入れが届いたのだ。使者は猫系の獣人で、名をフェリクスといった。細身で、片眼鏡をかけ、絶えず微笑を絶やさない、油断のならないタイプだった。


「これが再生市場ですか。噂以上に活気がある」

「まだ開場したばかりだ。これからもっと増える」

「期待しています。自由都市は、歪みのない星鉄に非常に興味があります。それから、かの光り草の種も」

「種の取引はアルテア――うちの治癒師が管理してる。あとで話してくれ」

「承知しました」


フェリクスが去ったあと、ライラがそっと近づいてきた。

「彼、額にルーンを隠しています」

「ルーンキャリアか?」

「いいえ、あれは違う。でも、ルーンを読める者だ。おそらくは古代の遺物を扱う商人です」

「要注意か」

「観察は必要です。でも敵ではないと思います。私と同じように、ただ古いものに惹かれているだけかもしれない」


アルテアは食堂の隅に小さな診療所を開いていた。市場で働く者が怪我をしたときのために、包帯や軟膏を並べ、緊急用の光り草の種も用意していた。

「患者はまだゼロだ」俺は様子を見に寄った。

「それが一番いいんです。治癒師としては、患者がいない日が幸福ですから」

「でも退屈か?」

「少し」

「なら、俺が怪我をしてこようか」

「しないでください」


彼女は俺の腕をぎゅっとつねった。けっこう痛かった。


ヴァエリスは市場の中央に立って、ゆっくりと周囲を見回していた。彼女はまだ「市場」というものを完全には理解していなかった。何しろ、つい数週間前まで封鎖室で眠っていた精霊だ。

「シン、これが取引ですか」

「そうだ。物と物を交換したり、お金で買ったりする」

「人と人が、どうして見知らぬ者と信頼して取引できるの?」

「それが市場のルールだ。信頼を積み重ねる場所なんだよ」

「……面白い。私たちの世界にはなかった。あるのはただ、力と力の交換だけ」

「どっちがいいと思う?」

「こっちのほうがずっといい」

彼女はそう言って、青白い指で俺の手にそっと触れた。光の感触が、ほんの少しだけ温かかった。


昼過ぎ、リサンドラが市場の外周を巡回していた。

「人が多いな」彼女は言った。「守護者たちは警戒を続けている。問題はないが、見知らぬ顔が増えると、目が足りなくなる」

「お前にばかり負担をかけて悪い」

「負担じゃない。役目だ。それに――」

「それに?」

「お前が築いたものを見ていると、誇らしい」

「……リサンドラがそんなことを言うなんて」

「私だって、たまには言う」


彼女はそれだけ言って、また巡回に戻っていった。背中がいつもより少しだけ、柔らかかった。


夕方近く、レナと二人で市場の裏手の丘に座った。ここからは塔の全景と、その前に広がる市場の屋根が見渡せた。光り草の帯が、ちょうど夕日を受けて輝き始めていた。


「すごいな」レナが言った。

「お前がそう言うの、珍しい」

「事実だ。私はお前が最初にここに来たときを知ってる。リンゴと水しかなかった。今は、市場があって、人が集まって、向こうから交易の使者が来てる」

「あのときは、まさかこうなるとは思わなかった」

「私もだ」

「でも、ここにいる」

「いる」


彼女は俺の肩に頭をもたせかけた。尻尾がゆっくりと揺れていた。満足。多分、満足以上だ。


夜、市場の初日を祝って、塔の居間でささやかな宴が開かれた。セラが腕によりをかけた料理の数々。ゴルンがどこからか見つけてきた果実酒。ヴェラスが削った新しいジョッキ。全員が笑い、食べ、飲み、そして少しだけ歌った。リサンドラが古いエルフの歌を口ずさみ、ヴァエリスがそれに精霊のハミングを重ねた。ミリは帳簿を閉じて、今日の売り上げを延々と語りたがったが、誰も止めなかった。


俺は静かに席を立ち、少しだけ中庭に出た。リンゴの木が月明かりに照らされていた。三百年前からここにある木だ。神の一部を宿した木。


「シン」


アルテアだった。

「どうした?」

「少しだけ、いい?」

「ああ」


彼女は俺の隣に立った。月明かりが彼女の半分エルフの耳と、肩にかかる髪を銀色に染めていた。

「今日、市場で、たくさんの人が笑ってた。怪我もなかった。病気の人も来なかった」

「それはいいことだ」

「ええ。それでね、私、前にも言ったけど、もう少しでちゃんと言葉にできる気がする。あなたへの気持ちを」

「アルテア」

「だから、あと少しだけ待ってて」

「待つ」

「ありがとう」


彼女は微笑み、そして背伸びをして、俺の頬にそっとキスをした。唇の感触は柔らかく、ほんの一瞬だった。それから彼女は恥ずかしそうにうつむき、くるりと背を向けて、居間に戻っていった。


俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。頬が温かかった。


宴が終わり、部屋に戻ろうとしたとき、廊下でレナが待っていた。

「アルテアがお前にキスした」彼女は言った。尻尾はゆっくり揺れている。怒りではない。確認だ。

「頬にだ」

「私は唇にした。二回も」

「記録更新中だな」

「ばか」


彼女は一歩近づいて、俺のシャツの襟を掴み、そして今度は――唇にキスをした。三度目だ。短かったが、前より少しだけ長かった。

「更新」

「……ずるい」

「私は最初の住人だからな」


彼女はふん、と鼻を鳴らして自分の部屋に消えた。俺は苦笑して、自分の部屋に戻った。


寝台に横たわり、天井の木目を眺めながら、今日一日を思い返した。市場が開き、人が集い、取引が生まれ、平和が形を持ち始めた。何より、ここにいる全員が、それぞれのやり方で、それぞれの速度で、前に進んでいた。


それは、かつて過労死したサラリーマンには想像もできなかった光景だった。今はここが俺の世界で、ここの人たちが俺の――家族だった。そして何人かは、家族以上の何かになろうとしていた。


焦らなくていい。彼女たちは待つと言い、俺も待つ。でも、その糸は確実に、少しずつ、絡まりながら強くなっている。


窓の外で、守護者たちの青い光が静かに瞬いていた。市場の屋根の上で、光り草が帯のように輝いていた。


明日もまた、朝が来る。新しい取引が生まれ、新しい会話が交わされ、そして多分、誰かが俺の鼻をつまむだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ