第48章 〜帰還と約束〜
塔に戻ったのは、四日目の夕方だった。
門をくぐると、真っ先に双子のリーラとセリが飛びついてきた。俺の腰に一人、レナの足にもう一人。どちらがどちらかは見分けがつかなかったが、たぶん俺にぶつかってきたのがリーラで、レナの足を掴んだのがセリだ。爪が鋭くなってきたな。
「おかえり!」
「おかえりなさい!」
「ただいま」俺はリーラの頭をくしゃくしゃに撫でた。「いい子にしてたか?」
「市場の柱を五本も立てた!」
「すごいな」
「リーラは三本手伝った!」
「数で競うな」
セラが走ってきて、双子を抱きしめ、それから俺たちの無事を確認した。その後ろからヴェラスが杖をつきながら現れ、ゴルンが鍛冶場から降りてきて、アルテアが救急袋片手に駆け寄り、ヴァエリスが中庭から光るような足取りで現れた。
「おかえり」アルテアが俺の腕を取って、ざっと傷を確認した。「軽い擦り傷だけ。でもマナがまた減ってる」
「今回はほんの少しだ」
「少しでも減らすなと言ったはずです」
「峡谷でな、歪んだ欠片を浄化してきた」
「……あとで詳しく聞きます」
「聞いてくれ」
ヴァエリスは俺の手を取って、胸の核に触れさせた。青い光がふわりと温かく手を包んだ。
「あなたのマナ、少しだけ浄化の痕跡がある。でも穏やかで、いい状態」
「お前は留守番できたか?」
「はい。庭園の銀葉樹が、この数日で三枚新しい葉をつけました」
「そいつはすごい」
「ええ、すごいんです」
リサンドラはすでに守護者たちの点検に向かっていた。彼女は帰還してもなお衛士の顔だった。でもその背中が、出発前よりわずかに柔らかい。
ライラはまだ門のところに立っていた。塔の中に入る許可を待っているようだった。俺が手を振ると、彼女は静かに入ってきた。
「ここが、あなたの塔ですか」
「みんなの塔だ。まあ、入れ」
「ありがとう」
ミリは翌朝到着した。峡谷の浄化が完了したという知らせは、どうやら俺たちが戻るより先に拡がっていたらしい。山岳氏族が自分たちのネットワークで報せたのだろう。
「シン様」彼女は居間に入るなり言った。「峡谷の浄化、成功したんですって?」
「ああ」
「山岳氏族が和平を受け入れた。ヴァルゲルドでもう噂になってる。再生市場に投資したいっていう商人が三人も名乗りを上げた」
「働き者だな」
「当然です。私はあなたの共同運営者ですから」
「まだ正式には任命してないぞ」
「遠征前に言ったじゃないですか。『帰ってきたら市場の共同運営者にしてやる』って」
「あれは交渉中だった」
「交渉成立です」
ミリは笑った。その笑顔は胸の奥から込み上げるような、抑えきれない笑みだった。商人の計算高い微笑みとは、明らかに違うものだった。
夕方、俺はようやく休息を取ることができた。中庭のリンゴの木の下に座り、守護者たちが巡回するのをぼんやり眺める。光り草はますます輝きを増し、アルテアが植えたハーブの小さな鉢が、足元に並んでいた。
レナが来た。
「疲れてるか」
「少し。でも悪い疲れじゃない」
「そうか」
「約束、覚えてるか」
「……覚えてる」
彼女は俺の隣に座った。尻尾がゆっくり揺れていた。警戒ではなく、迷いの動きだった。
「お前、今、少し怖がってるか」
「怖くはない。ただ――」
「ただ?」
「お前が思ってるのと、違うかもしれない」
「何が?」
「私の部屋に来いって言ったが、私はそういうことに慣れてない。お前を拒むつもりはないが、その、うまくできるかわからない」
俺は黙って彼女の手を取った。節くれだった指と、短剣の痕が残る手のひらを、ていねいに握った。
「レナ、俺は焦ってない。俺たちはもう一緒にいる。それで十分だ」
「……十分か?」
「十分だ。お前がいつか、もっと先に進みたいと思ったら、そのときは教えてくれ」
「お前は?」
「俺は今のままで満足だ。お前がここにいて、こうやって手を握ってる。それ以上を急ぐ必要はない」
彼女は長い沈黙のあと、俺の肩に頭を預けてきた。銀色の髪が俺の首筋をくすぐった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「……お前はやっぱり、ばかだ」
「よく言われる」
その夜は、それだけだった。でも、それで十分だった。
深夜、喉が渇いて居間に降りると、アルテアがまだ起きていた。机に広げたノートに、峡谷の調査データをまとめているところだった。
「眠れないのか」
「あなたこそ。水?」
「ああ」
彼女は泉から水を汲んできてくれた。俺がそれを飲む間、彼女は机の前に立ち、何か言いたそうに俺を見ていた。
「どうかしたか」
「峡谷の浄化の話を、さっきリサンドラから聞きました。あなたがた四人で歪んだ欠片に触れて、マナを流して浄化したと」
「ああ」
「……怖くなかったですか」
「怖かった。でも、あいつらが一緒だったから、やれた」
「レナも、リサンドラも、ライラも」
「ああ、それからお前の光り草の種も」
彼女は顎を引いて、少しうつむいた。ノートのページに指を這わせながら、何かを選ぶように、ゆっくりと言葉を探していた。
「シン。私、自分が役に立てて嬉しかった。でもそれ以上に、あなたが無事で、本当に良かった」
「アルテア」
「私は、ここに来るまで、誰かの無事をこんなに祈ったことはありませんでした。治癒師は患者の回復を願うものです。でも、あなたに対しては……患者と同じじゃない」
彼女はノートを閉じて、俺の隣に腰かけた。泉の水音だけが、しばらく二人の間に流れた。やがて彼女の手が、怖ず怖ずと俺の腕に触れた。
「私は、これが何か、まだうまく言えない」
「言わなくていい」
「……いいの?」
「ああ。お前がここにいて、そうやって触れてくれる。それで今は十分だ」
彼女は小さく笑って、少しだけ泣いた。それから「ありがとう」と言って、ノートを抱えて自室に戻っていった。
翌日、俺は市場の建設現場に立っていた。柱はもう六本。屋根の骨組みも半分以上できている。ヴェラスが鉋をかけ、ゴルンが金具を打ち、ドゥルガンが石臼を転がしながらやって来て、セラが日除け布の最後の一針を縫い終えたところだった。
ミリが建築図面を広げて、俺に完成予想図を見せた。
「ここが共同運営者の席です」
「ずいぶん小さいな」
「あなたが座るわけじゃない。私が座るんです。あなたは塔で書類仕事でもしていてください」
「市場は俺のアイデアなんだが」
「市場の運営は私の仕事です」
隣でゴルンが笑い、ドゥルガンは「あんたの塔の商人は手強いな」と呆れていた。
ライラは中庭のリンゴの木の下に座り、塔の記録を写本していた。彼女は峡谷から戻ったときから、塔の図書館の蔵書に興味を持っていて、古代文字の解読を手伝いたいと申し出た。
「何を書いてるんだ?」俺は隣にしゃがんだ。
「峡谷の石碑の記録と、塔の記録の比較です。この塔の神と、砕けた塔の神は、もしかすると兄弟だったのかもしれません」
「神に兄弟がいるのか」
「古代の神々は血縁ではなく、創造の源を共有していました。いわば、同じ泉から生まれた別の流れ。だからこそ、あなたの塔の浄化が、砕けた塔の欠片にも効いた」
「お前はこれから、そういう研究を続けるのか」
「はい」
「塔でか」
「……招いてくれますか」
「もう招いてる」
彼女は青い目を細めて微笑んだ。
「私の種族は長命です。でも、百年以上生きてきて、初めて『自分はここにいたい』と思える場所を見つけました」
「光栄だ」
「いいえ、私のほうこそ」
夕方、ヴァエリスが俺の袖を引いた。庭園に行く約束だ。
第四階層の銀葉樹は、彼女が言ったとおり三枚の新しい葉をつけていた。葉の縁が金色に輝き、周囲の花々がそれに呼応して、青や紫や銀の光を放っていた。
「すごいな」俺は素直に言った。
「でしょう?」ヴァエリスは誇らしげに微笑んだ。「私がここで過ごすようになってから、庭園全体が活性化してる。まるで、私の核とこの庭が会話してるみたい」
「お前の核は神の欠片の一部だ。この庭も神の一部だ。会話できて当然かもしれない」
「ええ。それでね、私が話したかったこと」彼女は少しだけ深呼吸して、俺のほうを向いた。「私、ずっと自分のことを『道具』だと思ってた。結界を修復するための道具で、それ以上の価値はないって。でも、あなたはそうじゃないって教えてくれた。アルテアも、レナも、リサンドラも、みんなが私を……友人だって」
「友人だ」
「それでね、最近気づいたの。私は、ただの友達じゃなくて、もしかしたら、もっと特別な友達になりたいのかもしれない。シンにとっての、特別な」
彼女の蒼い瞳はまっすぐで、迷いがなかった。でも、口元は少し震えていた。
「ヴァエリス」
「返事は急がない。私は精霊だもの。百年でも待てる。でも――伝えたかった」
「ありがとう」
「……ありがとうって、それはどういう」
「俺は今、いろんなことを同時に抱えてる。レナも、アルテアも、リサンドラも、ミリも、ライラも、お前も。全員に対して、いろんな気持ちがある。それを一つずつ整理するのは、たぶんできない。でも、お前が特別だって気持ちは、ちゃんと俺の中にある」
「それで十分。十分すぎるくらい」
彼女は微笑んだ。庭園の光が、彼女の銀の髪と蒼い衣を透かして、まるで花が咲いたように輝いた。
その夜、俺はレナの部屋の前を通りかかった。扉が少し開いていた。約束はまだ果たされてなかったが、俺は立ち止まった。
「入っていいぞ」中からレナの声がした。
「……気配でわかるのか」
「耳は飾りじゃない」
俺は扉を押した。彼女は寝台に座り、短剣を磨いていた。寝る前に手入れをするのが習慣なのだ。星鉄の刃が、窓からの月明かりを反射して青白く光った。
「約束は、まだ急がないと言ったな」
「ああ」
「でも、一緒に寝るくらいなら……嫌じゃない」
「それは大きな進歩だな」
「うるさい」
俺は短剣を机に置いて、彼女の隣に腰かけた。手を握る。それだけで、今は十分だった。
塔が静かに、でも確かに、ゆっくりと明日へ進んでいく。再生市場の柱は明日も増えるだろう。守護者たちは夜通し巡回する。光り草は輝き続ける。庭園の銀葉樹は新しい葉をつける。
そして俺は、月明かりの中でレナの手を握りながら、明日は誰とどんな会話をしようかと、ぼんやり考えていた。
焦らなくていい。進み方は一人ひとり違う。それが、この塔のやり方だ。
レナの耳がぴくりと動き、それから静かに俺の肩に凭れかかってきた。
それがすべてだった。




