第140章 〜春の使者〜
春が来た。雪解けの水が村の水路を流れ、リンゴの木が白い花をつけ、光り草の防護帯がいつもより明るく輝いていた。冬のあいだ静かだった広場には再び市が立ち、自由都市からの商人たちが新しい商品を並べ、村の職人たちが手作りの品を持ち寄っていた。
バルドが始まりの村を訪れたのは、そんな春の穏やかな朝だった。彼は数人の随行員と共に馬車で到着し、広場の中央で俺を待っていた。垂れ耳と穏やかな目をした犬系の獣人は、フェリクスの後任として交易代表になってからすでに何度か村を訪れていたが、今回は公式な使節としての訪問だった。
「再生の塔の管理者殿、春の訪れと共に、自由都市連合からの提案をお持ちしました」とバルドは丁寧に頭を下げた。
「改まって言われると緊張するな。中で話そう」
居間にはミリ、ライラ、リサンドラが同席し、アルテアが茶を用意した。バルドは猫系のフェリクスとは違い、言葉少なで実務的だった。彼が広げた羊皮紙には、自由都市連合の正式な印璽が押され、細かい条項が並んでいた。
「自由都市連合は、始まりの村を正式な交易拠点として認定したいと考えています。これにより、村は連合の保護下に入り、交易路の安全が保証され、関税の優遇措置も受けられます」
「条件は」とミリが即座に尋ねた。
「三つです。第一に、村の市場に自由都市連合の常設交易所を設置すること。第二に、村で生産される星鉄製品の優先購入権を連合に与えること。第三に、村の防衛に関して、塔の守護者と連合の警備隊が協力体制を敷くこと」
「優先購入権は前にも聞いたな」と俺は言った。
「はい。今回はより正式な形での提案です。ただし、全量ではありません。三割です」
ミリが帳簿を開き、素早く数字を確認した。
「三割なら、今の取引量と大きく変わらない。ただ、常設交易所を設置するとなると、村の外れに新しく土地を区画する必要がある」
「そのための提案もあります」とバルドは別の羊皮紙を広げた。「連合は、学校の隣接地に新しい交易館を建設する費用を負担します。建物は連合の所有ですが、運営は村に委託する形です」
「それは悪くない」とミリがうなずいた。
「防衛の協力体制についてはどうだ」とリサンドラが口を開いた。
「守護者と連合の警備隊が定期的に合同訓練を行い、緊急時には相互に支援するという内容です。指揮権はそれぞれが保持します。対等な協力です」
「対等な協力なら、検討の余地はある」
俺はバルドの顔を見た。垂れ耳の奥の目は穏やかだったが、その奥には確かな知性が光っていた。フェリクスが後任にこの男を選んだ理由がわかる気がした。
「提案はありがたく受け取る。ただ、今日すぐに返事はできない。村の者たちとも相談したい」
「もちろんです。三日後、改めて伺います」
バルドが辞去したあと、ミリは帳簿を手に考え込んでいた。
「どう思う」と俺は尋ねた。
「悪い提案じゃない。むしろ、条件は良すぎるくらいだ。連合がここまで譲歩するのは、この村と塔にそれだけの価値があると認めた証拠」
「なら、受けるべきか」
「基本的には賛成。ただ、防衛の協力体制だけは細かく詰める必要がある。守護者は塔のものです。連合の指揮下に入ることは絶対に避けるべき」
「当然だ」とリサンドラが言った。
「交易館の建設は村の拡張にも役立つ。学校の隣なら、子供たちも商人の仕事を間近で見られる」
「お前はもう教育のことまで考えてるのか」
「当然です。私はこの村の共同運営者ですから」
三日後、バルドが再び訪れ、協議の末に協定は結ばれた。防衛の協力体制は対等を維持し、守護者の独立性は保たれた。交易館の建設は夏から始まり、自由都市連合の常設交易所が正式に設置されることになった。
「これで、始まりの村は地図に載る」とバルドは最後に言った。「正式な交易拠点として、自由都市連合の記録に刻まれます」
「大げさだな」
「いいえ。この村の名前が歴史に残るんです」
夕方、広場では協定の成立を祝って、ささやかな宴が開かれていた。ゴルンが果実酒を振る舞い、セラが特別に焼いたパンが並べられ、子供たちは広場の隅で踊っていた。ヒカリが音頭を取り、カイとテオがそれに続き、ルミナがふわりと浮遊して青い光をまき散らし、アリアが翼をばたつかせて飛び跳ね、ソルとフェリルがよちよちと輪の中に入り、リラが泉のせせらぎのような声で笑い、リオンはミリの腕の中でその光景を見つめていた。
「村がまた一つ、大きくなったな」とレナが隣で言った。
「ああ」
「最初は私とお前だけだった。今では交易協定を結ぶまでになった」
「感慨深いか」
「少しだけ。でも、悪くない」
彼女の尻尾が静かに揺れた。
夜、俺はカエレンと図書館で話し込んでいた。彼は最近、塔の歴史をまとめた本の執筆を始めていて、机の上には何冊ものノートが積み上げられていた。
「バルドの提案が受け入れられてよかった」とカエレンは言った。「村が公に認められることは、父の時代には考えられなかった」
「お前の父親なら、どう思うだろうな」
「驚き、そして喜ぶだろう。自分の失敗が、最終的にはこの場所をより強くしたと知ったら」
「失敗は無駄じゃなかった」
「そうだ。どの失敗も、今に繋がっている」
彼は静かに微笑み、ノートを閉じた。その顔には、もはや後悔の影はなく、ただ穏やかな達成感だけがあった。
屋上に出ると、村の灯りがいつもより明るく感じられた。交易館の建設予定地には、すでに杭が打たれ、明日から工事が始まる準備が整っていた。春の風が塔の周りを吹き抜け、リンゴの花の香りを運んできた。村は今日も、静かに、しかし確かに、明日へ向かって息づいていた。




