なにが目的だったのか
本論において縷々述べたとおり、
「豊臣政権による朝鮮出兵は、日本産貴金属の海外流出を防ぐため、海外貿易の決済手段となる明銭を、朝貢形式によらない日本側優位の貿易で獲得することを目的としていた」
とする「銭獲得説」が本稿の結論である。
ここでは、冒頭掲げた各説と本結論とを比較検討していきたい。
秀吉は国内統一事業を開始した初期段階から大陸進出をたびたび口にしていたとされ、その目標は明、朝鮮は言うに及ばす、天竺、呂宋(フィリピン)にまで及んだとされる。文禄慶長の役はその具現化であったとする説である。
もちろん私には秀吉の内心は知り得ないので、その野望を否定する材料を持たないのであるが、この「野望説」と「銭獲得説」は必ずしも相反しない。
いちおう附言するならば、たとえ秀吉個人にそのような野望があったにせよ、本来は自分が獲得できるはずだった貴金属が止めどなく海外に流出している危機感の方が動機としては強く働いたのではないか。
これは秀吉個人に限らず、他の有力大名や政商にもいえることで、秀吉の個人的野望それに貴金属流出の危機感と銭獲得の社会的要請が分かちがたく絡み合った結果、朝鮮出兵に至ったとする見方は必ずしも的外れではあるまい。
分封地枯渇説については一蹴しておきたい。
戦国時代から江戸末期にかけて、日本の人口はほぼ倍増したとされており、その間江戸幕府において海外領土獲得が政策の主流になったことは一度たりともなかった。
「文禄慶長の役で手酷い敗北を喫したから」
と言ってしまえばそれまでだが、国内で解決可能だった問題を、わざわざ莫大な犠牲を甘受してまで外征で解決しようという合理性が見あたらない。
そもそも明から銭さえ獲得できれば日本国内の財は自動的に増えるのであるから、統治に多大な労力を要するであろう海外領土を諸侯がわざわざ求めるとも思われない。
海外領土を獲得できたとしても、銭を上回る利益は得られなかっただろう。
他の武家政権が、統一事業を果たしたからといって海外領土獲得に打って出た事例もない。
勘合貿易説と銭獲得説はほぼ同義のようにも見えるが完全にイコールではない点には注意が必要だ。
文禄慶長の役で豊臣政権が明側に求めたのは、飽くまで日本側優位の貿易形式であったとするのが銭獲得説の論旨である。
勘合貿易は朝貢貿易の形式を取っている。これでは日本側優位になっていない。
豊臣政権のスタンスは飽くまで
「銭は欲しい。でも朝貢はしたくない」
これであった。
この点から言えば、むしろ勘合貿易説と銭獲得説は相反しているとさえ言えるかもしれない。
以上のとおりもっともらしく述べてきたが、もちろん一次史料によって裏付けられた話ではなく、一種の与太話として話題のネタにして頂ければ著者としては幸甚である。




