和約条件から見る戦争目的
好ましからざる状況である。海外貿易の要請自体はあって、現に行われているのに、決済手段がほぼ貴金属類に限定されているのである。
政権内部では、国富の流出ともいえるこの問題の解決策が当然に検討されたことだろう。足利義満期の、勘合貿易による二十万貫の銭輸入という事蹟は真っ先に検討対象になったはずだ。
そして、そこに包含されている問題は嫌でも目についたことだろう。
勘合貿易は、明を宗主国に据える冊封体制を受け容れなければ認めてもらえない、という事実である。
そもそも義満期でも朝貢貿易に対してネガティブな意見を書き残した公家がいたとされており、「善隣国宝記」巻中十五は
「我が国は古来より外国に対して臣下の礼を取ったことがない。このごろ前代までの方針を変更して、明から大統暦と金印を受けてこれを突き返さなかった。このため義満は病にかかったのだ。よって先君(義満)は、子孫(義持)に訓戒し、断交のことを厳守するよう遺言した」
と伝えている。
中国王朝の冊封下に入ることへの忌避感は、日本の支配層に蔓延していたのである。
もし交易を求めれば、慣例にのっとり明が朝貢貿易の形式を求めてくることは避けがたかった。
海外貿易の決済手段として銭は欲しい。
でも明の冊封下には入りたくない。
豊臣政権がたどり着いた答えは
「武力により明を威迫し、交易における朝貢形式の放棄を強要する」
すなわち戦争であった。
前役が已んだ文禄二年(一五九三)五月、和約のため名護屋を訪れた明使に対し、秀吉は七つの条件を提示する。
このうち本稿と深く関係すると思われるのは
・明皇帝の息女を皇室に入内させる
・日明貿易の復活
・朝鮮四道の日本への割譲
この三条件である。一つずつ検討していきたい。
まず明皇帝息女の入内であるが、これは明らかに日本側優位の条件である。
中国王朝において、皇帝息女が他国に入内した例としては、紀元前二〇〇年に、白登山にて冒頓単于に包囲され、這々の体で逃げ帰った漢の高祖劉邦の例が知られる。
匈奴相手に敗北を喫し、追い詰められて人質同然に娘を差し出さなければならなくなってしまったのである。
明皇帝息女の入内は、人質の差し出しを日本側から求めた形だ。明にとっては相当に屈辱的な条件といえよう。
これを次の条件「日明貿易の復活」と併せて検討した場合、娘を人質に取られた側(明)が、取った側(日本)に朝貢を求めるのは、相当難しい判断になったことだろう。
ちなみに、単に貿易復活を求めたとだけ記せば、本論の論旨が薄まる。豊臣政権の狙いは、ほとんど「海外貿易の決済手段となる明銭の輸入」この一本に絞られていたと断じたい。
この「明皇帝息女入内」並びに「日明貿易の復活」は、明らかに朝貢形式によらない交易の強要を意味していたことが分かる。
三つめの朝鮮四道割譲は、明に軍事的圧迫を加え続け、上の条件に実効性を持たせるための条件ではなかったか。
そして、日本側の提示した条件に対する明側の回答は
「秀吉を日本国王(順化王)に封ずる」
というものであった。
銭輸入という主目的に関してはゼロ回答。
のみならず格下扱いされて誇りを傷つけられもしたであろう秀吉は、慶長二年(一五九七)、再び大軍を朝鮮に派遣したが、終に朝鮮・明連合軍を打破するあたわず、その死をもって戦役は終息することとなったのであった。




