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第28話 「断頭台に並んだ朝食」


第28話 「断頭台に並んだ朝食」



ひなた―――


「……ん……ふあぁぁぁ……」


大きなあくびをしながら、わたしはゆっくりと目を開けた。

カーテンの隙間から、まぶしい光が差し込んでいる。


(……あれ? もう朝?陽翔くんと紬希ちゃんは……?)


隣を見ると、ベッドはもう空っぽ。


(うわ、寝過ごしたー! 陽翔くんに「おはよー!」のぎゅーしなきゃ!)


わたしは、寝癖だらけの頭のまま、大慌てでリビングへ飛び出した。

キッチンには、なぜか紬希ちゃんじゃなく、陽翔くんが立っている。


「だーりーん! おはよーっ! 遅くなっちゃったけど、ぎゅーしてーっ!」


わたしは、いつものように陽翔くんの背中に思いっきりダイブした。


スカッ


「……え?」


いつもなら陽翔くんの背中にぶつかるはずが、わたしの体はそのまま陽翔くんを通り抜けて、向こう側の壁に激突……しそうになって、そのまま壁も通り抜けた。


「ひゃっ!? な、なに、今の!? わたし、すり抜けた!?」


パニックになって自分の手を見ると、透明になって透けている。


(……あ、そうだったー!!)


やっと思い出した。

昨日の夜、紬希ちゃんが「明日は私達、陽翔さんから見えなくなるからね」って言ってたんだっけ。


(忘れてたぁ……また透明人間になっちゃったんだ、わたし)


「……おはよう、美月」


陽翔くんの、聞いたこともないような冷たい声がリビングに響く。


(……うわ、なんかすごい雰囲気悪い)


食卓を見ると、陽翔くんと美月ちゃんが向かい合って座ってる。

そこにあるのは、紬希ちゃんの豪華な朝ごはんじゃなくて、陽翔くんが焼いたトーストと目玉焼き。


(陽翔くんが、美月ちゃんの為に朝ご飯作ったんだ……)


わたしは、自分の透明な手を握りしめた。

陽翔くんは、わたしたちがいなくなったと思って、一人で頑張ってる。

美月ちゃんは、怖い顔をして陽翔くんのトーストを見つめてる。


「……美月は、醤油だったよな?」


陽翔くんが醤油を垂らす。

透明だから香ばしい匂いはして来ない。


(……おいしそう。いいなぁ)


わたしは、二人の横にちょこんと座ってみた。

陽翔くんが、わたしの存在に気づかずに、お皿を運んでくる。


(だーりん、ごめんね。わたし、今の今までぐっすり寝ちゃってたよ)


隣を見ると、いつの間にか紬希ちゃんがキッチンの影に立って、泣きそうな顔で二人を見守っていた。

紬希ちゃんは、きっと、ずっと起きて見てたんだろうな。


「あ……紬希ちゃん、おはよう……。ごめん、わたし寝坊しちゃって……」


「ふふっ。ひなたさんらしいですね。……でも、見てください。あのお二人、今、本当の地獄に踏み込もうとしています」


紬希ちゃんの言葉通り、テーブルの上の空気は、今にもパリンッて割れそうなくらい張り詰めていた。


(だーりん……美月ちゃん、昨日からずっと嘘をついてる自分に苦しんでたんだよ。だから、優しくしてあげて……ううん、ちゃんと、全部聞いてあげて……)


わたしは、寝起きの頭で一生懸命二人のために祈った。


「頑張れ、だーりん……あとで、わたしの分もトースト焼いてもらうんだからねっ!」

 

お腹の虫がグーって鳴ったけど、透明なわたしの音は、誰に耳も届かなかった。



紬希―――


陽翔さんが、フライパンに卵を落とすと、ジュウゥゥ、という音がキッチンに響きました。

私は、そのすぐ隣に立っていました。

手を伸ばせば届く距離。

でも、私の手はフライパンの柄を握ることも、陽翔さんの背中に触れることもできません。


(……陽翔さん。火加減、少し強いですよ)


いつもの私なら、すぐに飛んでいって弱火にするでしょう。

でも、今日は手出し無用。

焦げ付く寸前のその強火こそが、今の陽翔さんの「必死さ」そのものだから。

漂っているであろう、醤油が少し焦げた匂いを想像する。

私が作る完璧な朝ごはんとは違う、無骨で、不器用な男の人の料理。


(……匂いは感じなくても、私には想像出来ます)


胸の奥が、きゅっと痛みました。

私がいないキッチンで、あなたが誰かのために料理をする姿を見るのが、こんなに寂しいなんて。

ふと、ダイニングテーブルに視線を移します。

そこに座る美月さんは、まるで死刑を待つ囚人のように青ざめて、震える手を膝の上で固く握りしめていました。


「毒入りのスープであっても頂くわ」


彼女の、悲痛な強がりが聞こえました。


(……美月さん。怯えないで)


私は、透明な身体で美月さんの背後に回り込み、そっと抱きしめる真似をしました。

温もりは伝えられないけれど、せめて「独りじゃない」と祈りを込めて。


(陽翔さんが作っているのは、毒なんかじゃありません。あれは……あなたの凍りついた心を溶かすための、一番熱い『薬』です)


チンッ


トースターの音が、静寂を破りました。

陽翔さんが、お皿を持ってテーブルへ向かいます。

その動作を見守りながら、私は唇を噛み締めました。


(陽翔さん。私とひなたさんがいない、この食卓で、どうか、その不器用な愛で、美月さんを連れ戻してあげてください)


私ができるのは、この場所から一歩も動かず、ただ「お家」として二人を見守ることだけ。

たとえ、その光景が私の心を焼き尽くすものだとしても……。



陽翔―――


「……食べようか」


俺は、美月の対面の席に座り、自分の分のトーストを皿に載せた。

いつもなら紬希の「さあ、召し上がれ」という明るい声や、ひなたの「わーい、美味しそう!」という賑やかな笑い声が流れているはずの食卓。

けれど今は、壁掛け時計が時を刻む無機質な音しか聞こえない。


(……少し焦げちゃったな)


不恰好に焦げたトーストの端を、爪でカリカリと削る。


「……ごめん。紬希みたいには、上手くいかなくて」


俺がそう言うと、美月はビクッとして、ようやく俺の方へと視線を向けた。

俺は、その美月の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「美月。昨日は……あんな酷いことを言って、本当にごめん」


事実をハッキリさせたい。

その決意は変わっていないけれど、目の前で青ざめている彼女を見ていると、言葉よりも先に後悔が込み上げてくる。


「『お前は誰だ』なんて……あんなの、夫が言う言葉じゃなかったよな。……本当に、ごめん」


俺が頭を下げると、食卓に一瞬、昨日よりも重い沈黙が降りた。

俺は、自分の無力さを噛み締めながら、彼女の返答を待った。



美月―――


陽翔が深く頭を下げた瞬間、わたしの視界がぐにゃりとゆがんだ。


(……やめて)


心臓を、冷たい手で鷲掴わしづかみにされたような痛みが走る。

謝らないで。

頭を下げないで。

悪いのはわたしの方。

思い出を売り払い、空っぽになった中身を隠して、あなたの優しさに寄生しているのは……この卑怯ひきょうなわたしの方なのに。


「……顔を、上げて。陽翔」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど低く、震えていた。

わたしはテーブルの下で、ニットの生地を強く握りしめる。

これ以上、彼の誠実さに触れてしまったら、わたしは全てを吐き出して泣き崩れてしまう。

見えない場所でわたしを軽蔑しているであろう紬希の前で、そんな無様な姿は晒せない。


「……謝らないで。あなたは……何も、悪くないわ。わたしを疑うのも、偽物だと思うのも……それは、あなたの『正しい反応』だもの」


陽翔が顔を上げ、悲痛な瞳でわたしを見る。

その視線に耐えきれず、わたしは震える手で箸を取り、逃げるように焦げた目玉焼きを小さく切り取った。


「いただきます……」


一口、口に運ぶ。

焦げた醤油の苦味と、半熟の黄身の熱。

それが喉を通るたびに、陽翔への罪悪感が身体中を駆け巡る。


「……おいしいわ、陽翔」


無理やり言葉を紡ぎ、わたしは食事を続けようとした。

けれど――。


コトッ。


乾いた音がして、向かいの陽翔が、1度手に取ったトーストを皿に戻した。

彼は一口も食べていない。

ただ、苦しげに眉を寄せ、わたしを真っ直ぐに見つめている。


「……ごめん、美月。さっきは『食べてから話そう』なんて言ったけど……俺、やっぱり無理だ」


陽翔の声が、静かなリビングに響く。

彼は、自分の焦りや不安を隠そうともせずに話し始めた。


「……悪い。食事中だけど、どうしても今、確認させてくれ」


わたしは箸を止めた。

来る。

一番、聞かれたくない問いが。


「……昨日のことだけど、俺が『ダンス』の話をした時、お前は答えられなかったよな。……温泉旅行の時も、お前は話を逸らしたよな」


陽翔の声が、(わず)かに震えを帯びる。


「...……なぁ、美月。もしかして、お前……あの日のこと、覚えてないのか?」


心臓が、早鐘を打つ。

否定したい。

嘘をつきたい。

けれど、ここには真実を知る「お家」の気配がある。

あの子が見届けているこの場所で、これ以上、陽翔に嘘を重ねることは、許されない。


「…………ええ」


わたしは、かすれる声で、肯定した。

視線を落とし、少しだけ欠けた目玉焼きの載ったお皿を見つめながら。


「……そうよ。あなたの言う通り……わたし、覚えていないの」


重たい沈黙が落ちる。

陽翔が息を呑む気配がした。

そして、すがるような、悲痛な声で彼が次の言葉を紡ぐ。


「……他の事は覚えてるんだよな?忘れてるのはあの夜の事だけなのか?」


わたしは唇を噛んでうつむいた。けれど、彼の追及はそこで終わらなかった。

陽翔は、何かを思い出したように、さらに鋭い視線をわたしに向けた。


「……いや、待てよ。お前……『覚えていた』はずだ」


心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。


「……え?」


「あの時...この世界に来てすぐ、二人でベランダでワインを飲んだ夜。俺がダンスのことを聞いた時、お前はハッキリ言ったじゃないか。『もちろん覚えているわ。あなたが馬鹿みたいに誘ってきた夜のことでしょう』って」


陽翔がテーブルに身を乗り出す。


「あの時のあのお前の言葉……あれは、演技なんかじゃなかった。俺には分かる。あの時、お前は確かに俺と同じ『思い出』を見ていた。……俺たちの心は、あの夜、確かに通じ合っていたはずだ」


(……やめて)


記憶の彼方から、あの夜のワインの味と、心地よい夜風の感触がよみがえる。

そうよ。

あの時は、まだ持っていた。

あなたと踊った、あの大切なきらめきを、わたしはこの胸に抱いていた。


「なのに……どうして今は『覚えていない』なんて言うんだ?記憶障害か? それとも…………悪魔に何かされたのか?」


陽翔の瞳に、決定的な「疑念」の色が浮かぶ。

そして、震えた声で口を開く。


「まさか……あの夜のお前と、今ここにいるお前は……『別人』って訳じゃない...よな?」


(……っ……!)


わたしは、膝の上で握りしめていた指の力を、さらに強めた。

別人……ええ、そうかもしれないわね。あの夜のわたしは、まだ「思い出」を持っていた。

けれど、今のわたしは……あなたを手に入れたいという欲のために、その思い出を悪魔に売り払った「抜け殻」。


「…………」


わたしは、ゆっくりと顔を上げた。

陽翔の指摘は、あまりにも正しくて、残酷すぎた。

「嘘をついていた」と言えば楽になれるかもしれない。

けれど、あの夜にあったであろう、無くしてしまった幸せな時間まで「嘘」にしてしまうことは、どうしてもできなかった。


「……そうね。あなたの言う通りよ、陽翔。……あの夜、わたしは確かに覚えていたわ」


「なら、どうして……!」


「……捨てたのよ」


「……え??」


陽翔が、意味がわからないと言った顔で目を丸くする。

わたしは、乾いた笑みを浮かべて、自らの罪の一部を告白した。

悪魔のことは伏せたまま、けれど、結果としての真実だけを。


「……あなたを手に入れるために。今のあなたを振り向かせるために……わたしは、過去の思い出なんて邪魔だと思って、捨ててしまったのよ」


陽翔が絶句する。

わたしは、テーブルの上の少し焦げたトーストを見つめながら、独り言のように呟いた。


「……過去むかしの思い出に浸っているだけの『美月』じゃ、あなたを繋ぎ止められないと思ったから。だから……全部、忘れようとしたの。……その結果が、これよ。一番大切なものを失って、あなたに『偽物』だと疑われている……滑稽な女の末路」

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