#39 茶楠
新堂坂駅のホームにたどり着くと、イヤホンからは「堂西線、西京駅方面、まもなく発車します」と聞こえてくる。同時に発車を告げるベルが鳴りはじめ、私は疲れ切った体に鞭を打って電車に乗り込んだ。
ちょうど空いた座席に身を沈め、窓の外に目をやる。新堂坂駅周辺は煌々とネオンが輝き、巨大なビジョンからはお笑いコンビ『あうふへーべん』の漫才が流れていた。
列車が加速すると車窓の景色は徐々に変化し、あの綺羅びやかな夜景が本当に存在したのかと思うような、ありきたりな夜の町が続く。30分ほどで堂坂府県境近くの高齢過疎地区に差し掛かると、街の灯は一層まばらになった。
夜闇の中にうっすらと建物のシルエットは浮かんでいるけれど、窓明かりのない空き家ばかり。夜はさほど気にならないが、昼間の陽光の下で見ると押しただけで崩れてしまうのではと心配になるような古民家がいくつもあるのだ。倒壊の恐れだけでなく、不法投棄や不審火、野生の獣が住み着いたりと、残された地域住民にとって放置された空き家は悩みの種でしかなかった。
都市郊外の過疎地では、こういった『スポンジ化』と呼ばれる現象がかなり進行している。この夜の暗さは、都市部との間に横たわる埋めがたい格差を表しているように思えた。
また違った格差を感じさせるのは、列車が県境を越えた瞬間だ。西京側の県境に位置するのは、私が高校卒業まで祖父母と暮らした茶楠町。外灯は規則的に並び、田畑の中に点在する民家には人の気配がある。AGIモデル地区に指定されたことで、都市部からの若者移住者が古民家に暮らし始めていた。
正直、運が良かったのだろうと思う。もし隣町がAGIモデル地区になっていたら、茶楠町もさっき堂坂側県境で見たような、寂れた町になっていたかもしれないのだ。
茶楠駅に降り立ったのは午後11時を回っていた。高校時代はこの辺りはもっと暗く、駅舎も古びていたが、AGIモデル地区になってから駅周辺は重点的にインフラが整備され、今は夜でも比較的明るいエリア。
一緒に降りた乗客が、駅舎前に待機していた自動タクシーに乗り込んで去っていった。もう1台停まっているのは、農業用軽トラック。そのトラックはタクシーがいなくなった後にゆるゆると動いて目の前で停止した。私は助手席に乗り込み、硬いサスペンションに懐かしさを覚える。
「ただいま、おじいちゃん。こんな遅くに迎えに来させてごめんね」
「なにが。お安い御用だ。さあさ、ばあちゃんも待ってるから家に帰ろう」
祖父は皺だらけの手でハンドルを握ったが、パネルを確認すると自動運転モードになっていてホッとする。昼間の手動運転はまだいいけれど、視力が落ちているから夜間の運転はしないでと念押ししていた。私の視線に気づいたのか、祖父は「じいちゃんよりAIの方が安全運転だからな」と笑った。
家に着くなり祖母が玄関を開けて出迎え、奥からは味噌汁の匂いが漂ってくる。農作業で朝が早いふたりはいつもならとっくに寝ている時間なのに、無理して夕飯の用意までしてくれたらしい。私が手を洗って台所のテーブルに座ると、オーブントースターがチンと音をたてた。
「適当に何か買って帰るって言ったのに、作ってくれたんだ」
「大したものじゃないわよ。理久が仕事後に戻ってくるときは、いつもカップスープと菓子パンでしょ。明日も仕事だっていうから何も作ってあげる機会がないし、味噌汁と、理久の好きな焼きおにぎり。こんな時間にお腹いっぱい食べるのも嫌なんでしょ?」
祖母は私の考えをすべて見透かしたように話すが、その目はかなり眠そうだ。
「ありがとね、おばあちゃん。もう遅いから寝ていいよ」
「はいはい。言われなくてもそうさせてもらいます。理久も、あんまり夜更かししないようにね。寝坊しても、ばあちゃんたちは畑に出てるから起こしてあげれないのよ」
「わかってるって。おやすみ」
私が焼きおにぎりにかぶりつくと、ふたりは満足した様子で寝室に向かった。
いつもと同じひとりの夕食なのに、実家で食べる祖母のごはんは自分でつくる料理と違ってじんわりと体に染みる。都会とは切り離された、時間の流れの異なる別の次元に飛ばされたような、不思議な感覚。
外から聞こえる山鳩の鳴き声、静寂の中で遠くから聞こえてくる列車の音、歩くたびに軋む床に、ふと昔にタイムスリップしたような気分になる。しかし、異様に低かったシャワーの水圧は改善されていて、リビングには真新しいタブレットと、バイタルリンク端末が置かれている。手のひらに収まる文庫本ほどのハブから、伸縮性のアームバンドと小型のクリップセンサーが伸びているだけのもので、使用方法も難しくはない。ふたりはこの機械を使って血圧や血中酸素濃度などを計測し、健康管理を続けている。
茶楠町がAGIモデル地区に指定された恩恵は十分に感じている一方、どこかちぐはぐな感覚を、こうして帰省するたびに感じた。公共インフラは整備され、快適で健康な暮らしのための新たなシステムが導入されてはいるけれど、古びていく木造家屋を補修する経済的余裕はなかなかない。格差の根本がいったいどこにあるのか、考えれば考えるほどわからなくなる。
疲れた脳でごちゃごちゃと無意味な思考に陥っていたけれど、布団に入ると太陽の匂いがして、気づいたらカーテンの隙間から朝日が差していた。階下からは物音がし、祖父母の話し声が聞こえてくる。まだ早朝の5時。私は重い体を無理やり起こし、階段を降りた。
「あら、理久。トイレにでも起きたの?」
昨夜の眠そうな顔とはうってかわって、祖父も祖母もシャキッとした顔をしている。
「話し声が聞こえたから、今会っとかないと会えないと思って」
「ちょうど今、隣の根津さんが茄子とオクラ持ってきてくれたのよ。ありがたいわよねえ。ばあちゃんがここに住み始めたときはまだ近所にスーパーがあったんだけど、今は週3回の移動販売しかないでしょう」
「日用品はネットで頼んでるよね? 食べ物も自動購入したら楽なのは楽だよ。AIが在庫管理してくれる機能もあるし」
「水とかトイレットペーパーとか備蓄できるものはいいんだけど、ネットで加工された野菜買うより、根津さんの茄子のほうが何百倍もおいしいわよ。食べ物なんかは自動購入しても食べ切れないって、推進会の人も言ってたし」
「まあ、そうかもね」と答えながら、私は一度だけ会ったことのある『AI協働地域社会自立推進会』――通称『推進会』の若い男性の顔を思い出した。
推進会はAGIモデル事業の一貫で、メンバーはこの事業のために町が全国に募集をかけて移住してきた若者がほとんどだという。こういった、住民に対する人的な支えができたことは、AIの支え以上に私に安心感をもたらしている。
「推進会の人はAI推進してるのに、AI自動購入システム使ってないんだね」
「バカとAIは使いようなんだって言ってたわよ。だいたい、AIなんて他人みたいなものでしょ? 他人に勝手にいらないものまで注文されたら嫌だし、それに自分で考えなくなったら、じいちゃんもばあちゃんも認知症になっちゃうわよ。
理久と違って、毎日同じことの繰り返し。AIに管理してもらわなきゃいけないほど忙しい身じゃないのよ。健康管理も町から大層な機械をもらったけど、日々こうして動いてれば自分の体調のいい悪いくらいは自分でわかるわ。何でもかんでも数字にして、ちょっと数値が超えたからってあれこれ言われるのは、振り回されてる気がして好きじゃないの。
そうよね、高雄さん」
そう言って祖母は祖父に話を振る。私に話すときは「じいちゃん」「ばあちゃん」なのに、お互いを呼び合う時は名前で呼び合っているふたりの姿が、昔から好きだった。祖父が「まあそうだなあ」と曖昧にうなずくのも昔と変わらない。
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、ちゃんと計測は続けてね。私を安心させると思って」
「はいはい。それより、理久こそちゃんと食べてるの? ちょっとやせ過ぎじゃない?」
「そんなことない、普通だよ」
「しっかり食べて、しっかり寝るのが一番よ。まだ朝早いんだから、もう少し寝なさい。じいちゃんとばあちゃんは出かけるからね。またいつでも戻ってきなさいよ」
祖母は言うべきことをすべて言いきったというように、祖父を急かして玄関に向かう。2階の自室に戻り窓を開けると、軽トラックが庭から出ていくところだった。
夏至まであと数日。外はすっかり明るく、結局そのまま起きて身支度を整え家を出た。
朝練なのか、ジャージ姿の学生と一緒にバスに乗り込み駅に向かう途中、閉館になった図書館が目に入った。それは時代に取り残されたように、以前より古びた姿で佇んでいた。




