#35 路地裏の偶然
先日、カフェ紡ぎで出会った時は椅子に座っていたため意識しなかったけれど、久しぶりに向かい合ってみると、匠真の背の高さに不思議な驚きを覚えた。恋人だった頃はこんなに顎をあげて見上げていただろうか。
「こんなとこで会うと思わなかった」
私が言うと、「こっちこそ」と肩をすくめる。
「寄席を見に来たついでに、ここらへんでちょっと飲んで帰ろうと思って。そっちはひとり?」
「あ、うん。仕事」
私は周囲のファンに聞かれないよう小声で言ってSLNビルを指さした。彼は「ああ」と納得した様子で、そのビルに背を預ける。
「先生のご機嫌伺いか。西京大の学生が噂してるの聞いたけど、大変なことになってるみたいだな。先生にも同情するよ」
「……いい加減、そういう皮肉っぽい言い方やめてくれない? 先生だなんて、普段は彼のことそんなふうに呼んでないくせに」
「じゃあ、ここで名前を出して話してもいいのか? 理久だって名前伏せて喋ってるだろ」
匠真の言っていることは正しいが、言い方の問題だ。私は苛立ちを鎮めるためにフゥとひとつ息を吐く。
「結城先生、どうして私と顔を合わせるたびに突っかかってくるんですか?」
「お互いさまだろ。価値観が相容れないんだからどうしようもない。理久のところのAIがこれ以上誰かを不幸にしないよう、陰ながら祈ってるよ」
怒りとともに湧き上がってくるのは、言いようもない悔しさともどかしさだ。お互い言葉を職業にしながら、コミュニケーションが言葉だけでは成立しないことを身に沁みて感じる。そして、それをわかっていながら尖った口調で言葉を返してしまう自分がいる。
「時間がないからもう行くわ。先生もどうか華泰堀の夜を楽しんでくださいね」
立ち去ろうとすると、思いがけず匠真が私の腕を掴んだ。
「あー……、理久、仕事終わったら一杯飲まないか?」
不機嫌な表情のまま、目も合わさず誘いの言葉を口にする。今になって何をと考え、ふと彼が去年離婚したことを思い出した。
――寂しいのかもしれない。
同情心が過ったが、それならなおさら線引きが必要だ。
「飲みません。終わったら茶楠の実家帰ることにしてるの。祖父と祖母が待ってるから」
匠真の視線が困惑したように宙を彷徨い、ふと表情が和らぐ。
「……おじいさんと、おばあさん、元気にやってるのか?」
「あ……、うん。元気。相変わらず朝から畑仕事してる」
「でも、もういい歳だろうし、田舎はいろいろ不便じゃないのか?」
「前と違って、茶楠町はAGI実装モデル地区になってからずいぶん良くなったの。全世帯にバイタルリンクが支給されて、私もふたりの健康状態をスマホで確認できるし、もし何かあったとしてもすぐ通知がくるようになってる」
バイタルリンク(Vital Link)というのは、地方の小規模都市で導入され始めている健康管理システム。ユーザーは専用端末を使って日々のバイタルデータを計測し、定期的な保健師のアドバイスを受けられる。それとは別に、毎回計測時にAI診断が表示され、必要であれば『医師か保健師への相談をおすすめします』というメッセージとともに『数日中に』『今すぐ』といった緊急度が示され、その場でオンライン診療所に接続することも可能だ。
私としては、恋人時代に匠真が山間に暮らす祖父母のことを気にかけてくれていたことを思い出して口にしたことだったが、「AGI(人工汎用知能)」という言葉が彼の表情を曇らせた。どうやら、揶揄と受け取ったようだった。
「なあ、理久。AIにおじいさんたちを任せて心配じゃないのか?」
「まだ70代前半よ。任せてるわけじゃなくて、私が安心したいだけ。だいたい、匠真だって地下鉄乗ってここまで来たんだからAIの世話になってるのは同じでしょ」
「AIのない時代でも電車は動いてた。流通AIフリーズに、去年末にはアルカディア事件(軍事AI事故)が起きてる。それでもAIが――」
「ストップ。悪いけど匠真と議論してる時間はないの。じゃあ、本当に行くから」
私がピシャリとはねつけると、匠真は「ああ、気をつけろよ」と自分から背を向けた。その口調は、まったく私を気遣っているようには聞こえない。もうひと言くらい言ってやりたかったが、スマホを見るとすでに午後8時42分。
ムカムカした気分を抱えたまま、私は急いでSLNビル裏口に向かった。
ストリート・アート・ウォールの、蛸を描いたスプレーアートの前では、アコースティックギターを抱えた男性2人がDeeeeepの曲を歌っていた。観客が集まり始めていたが、駆け寄ってきた警備員がピッと短く笛を鳴らし、「散れ」とばかりに手を払う。
私はその様子を横目に見ながら、SLNビルの、地下駐車場へと続く通路に足を踏み入れた。ゲートバーは降りていて、その脇に『関係者以外立入禁止』と大きな立て看板が設置されている。それだけでなく、次のような注意書きもされていた。
『ファンの皆様へ
敷地内への無断侵入は固くお断りいたします。判明した際は警察に通報の上で法的措置をとらせていただきます。また、ファンクラブ会員の方は永久に登録抹消させていただきます。』
分別のないファンが過去にいたのだろう。私はその立て看板の脇をすり抜け、警備員室前に立つ係員にスマホを提示した。砂川さんから電話の後に送られてきた『SLN訪問者証』だ。
係員は訪問者証のQRコードをハンディ端末で読み込む。間を置かず私のスマホに認証メールが送られてきて、それを再度提示した。そこには私の訪問先が『SLN本社』であることと、担当者が『グループ部門所属・砂川一月』ということが記載されている。
「認証を確認しました。待ち受けロビーでお待ち下さい。担当者には連絡が行っているはずですので、じきに案内の者が来ます」
係員は扉を開け、私は会釈して建物内へ入った。
正面玄関とは違って綺羅びやかではないが、清潔感があって、クリニックの待合室を思い出させる。ソファのほかには自動販売機と化粧室、2台のエレベーター、その横の案内板。私の他には誰もいない。
5分も待たず降りてきたのは、案内係ではなく砂川さん本人だった。彼はエレベーターに乗り込んで「37階」のボタンを押したあと、「外、どうでした?」と私に尋ねる。
「いつもとそんなに変わりませんけど、記者らしい人が路地で取材してました。ファンの子たちも予言騒動を心配してるみたいです。信じてるわけじゃなくて、ハヤト君が心配だって」
砂川さんの表情にホッと安堵の色が浮かぶ。外の騒ぎがどれほどか気になっていたのだろうと思ったが、違っていた。
「それなら良かったです。いつも早めに来られるのに、なかなか訪問通知が来ないから、外で何かあったのかと思ってたんです」
「あっ、すいませんでした。実は――」
話そうとしたとき、エレベーターが停止して扉が開く。
「別に本宮さんを責めてるわけじゃないですから、お気になさらず。話は部屋で」
打ち合わせはいつもこの37階だったが、通路の先に見える窓ガラス越しの風景に思わず「うわぁ」と声が出た。昼とは違う、綺羅びやかな堂坂の街。それはまるで宝石箱をひっくり返したようだ。砂川さんは私の視線を追い、微笑する。
「ここで働いてると慣れちゃって何も感じませんけど、なかなかいい夜景ですよね」
そう言いながら、彼は限られた時間を惜しむように早足で通路を進んだ。私は遅れないよう彼について行く。
「あんな夜景、西京では見られません。西京は建築規制で駅周辺に高層ビルがありませんし、それに高い建物があったとしても、山のあたりは夜は真っ暗です」
「確かにそうですね。でも、私は西京の環境が羨ましいです。最先端の技術に支えられた中心地から、電車でちょっと行くだけで自然を堪能できるじゃないですか。しかも、ただの田舎じゃなくて、整備されてサービスが充実してる。堂坂にある自然と言えば、万博記念公園にあるような人工的な自然と、時代に取り残された不便な田舎だけです。
――あっ、ここです。どうぞ」
砂川さんは『面談室C』とある部屋の扉を押し開けた。DRIの小会議室のような造りだが、調度品のグレードはかなり違う。座り心地の良さそうな革張りのチェアに腰掛けていたハヤト君が、キイッとキャスターの軋む音をさせて立ち上がった。




