#29 リテラ・ノヴァとパーソナライズ翻案
蓮見部長も、合田部長も、驚きを隠せない様子だった。蒼君の表情の読みにくい顔つきが、仮面のように無機質に強張っている。そして、彼は私に見透かすような視線を向け、ゆっくりと口を開いた。
「佐伯部長は、パーソナライズ翻案サービスの提供停止も視野に入れているということですか?」
会議室は息が詰まりそうなほど緊迫している。佐伯部長はいつも以上に慎重に言葉を選びながら、蒼君の質問に答えた。
「それを含め、どういった形がよいか検討しましょうという問題提起です。
今起きている問題には、コモンズの拡大を目的としたリテラ・ノヴァにおいて副次的に生成される、『コモンズではない著作物』が関わっています。パーソナライズ翻案で非公開を選択し、ユーザーの著作物となった翻案が予言として出回っているのですから。そして、惣領君が以前指摘したように、それが本当にリテラ・ノヴァによる生成物なのかも確認できません」
佐伯部長の言葉に耳を傾けながら、全員が何か言いたげな眼差しに不安の色を浮かべていた。それを察したのか、佐伯部長はため息とともにふと肩の力を抜く。
「実は、リテラ・ノヴァを起ち上げる前にも、パーソナライズ翻案をどう扱うかという点については二転三転したんです。何度も議論を交わしたし、不要だという意見も根強くあった。鴻巣理事長も反対していて、私がそれを無理やり説得したようなものなのよ。
当時の私は、文学コモンズは人々の心の支えになってこそ意義があると考えていたし、なんとかそれを形にできないかと思ってた。模索の末に当時の開発者と一緒にたどり着いた答えがユーザー個人個人のカウンセリングデータを反映したパーソナライズ翻案という形だった」
佐伯部長がリテラ・ノヴァ起ち上げに関わっていたというのは、DRI職員全員が知っていることだった。しかし、倫理的運営を前面に押し出し、耳にタコができるほどシステムの見直しをAIチームに迫ってきた彼女が、鴻巣理事長の反対を押し切ってまでパーソナライズ翻案を始めたという事実は、ここにいるメンバー全員初耳だったのは間違いない。
誰もが言葉を失う中、先ほどから砕けた口調になっていた佐伯部長だけが、普段とは違う柔らかな空気をまとって自嘲のような笑みを浮かべる。
「みんな、私を血の通わない人間みたいに考えてるようだけど、こう見えて普通の人間なの。みんなと同じように個人的な悩みも抱えてるし、予言や占いに頼りたくなる人たちの気持ちも理解できる。だからこそ、そういう感情が大きなうねりとなって社会に表出したときに何が起こるかということを、考えずにはいられないの。
だから、みんなも一度冷静に考えてみてくれないかしら。パーソナライズ翻案はリテラ・ノヴァですべきことなのか。
すぐに結論を出すつもりはないし、カンサポ部のふたりは首になるんじゃないかとか、余計な心配はいらないわ」
最後のひと言に、蓮見部長と小山内さんが顔を見合わせた。その表情には、雇用継続の不安というより、問題提起された内容への困惑のほうが強く表れている。
小山内さんが、躊躇いがちな視線をチラと佐伯部長に向け、すぐに顔を伏せた。
「小山内さん。何か聞きたいことがあったら発言して。別に、考えをまとめて言おうとしなくていいから」
いつになく穏やかな佐伯部長の口調に、小山内さんはおずおずと喋り始める。
「あの……、パーソナライズ翻案のことじゃなくて、翻案予言botのことなんですが」
「構わないから続けて」
「えっと……、予言に関する騒ぎは、もとはと言えば翻案予言botです。あのアカウントが何のためにあんなことをしてるのかわかりませんが、とてもアンバランスというか、矛盾を抱えた状態にあるように感じます。
他者の投稿をリポストするのは、自分の投稿を見てもらいたいという意図もあるはずだけど、目立ちそうなタグは使っていなくて。『Deeeeep★Oracle』が開設されてからは嵐が過ぎ去るのを待つように沈黙を貫いてます。
それで……、えっと、何が言いたいかというと、翻案予言botは自己顕示欲と保身とがせめぎ合ってる状態なんだと思います。ちゃんとした分析に基づいたものではないので、私の個人的な感想として聞いて欲しいんですが、翻案予言botの中の人は、自己評価が低く、完璧主義の傾向にある気がします。そして、自分の投稿によって他者をコントロールしている感覚に酔っているんじゃないかと」
ずっと言おうと思っていたのか、喋り終えた小山内さんがフゥと息を吐く。ふと視線を感じて振り返ると蒼君がこちらを見ていて、彼は私と目が合うと発言を求めて手をあげた。
「惣領君、どうぞ話して」
「僕も小山内さんと同感です。今、小山内さんが話したのと同じ内容を、僕も理久さんとしました。有り体に言うと、翻案予言botは面倒なタイプの構ってちゃんという印象です」
「ですです!」
小山内さんが両手を握りしめてうなずいている。その様子を横目に見ながら、私の頭を過ったのはかつての恋人、結城匠真の顔だった。
完璧主義で、他人からの評価に敏感で、横柄な物言いの裏にはどこかしら劣等感を感じさせる、繊細で不器用な人。彼には、蒼君が今言った『面倒なタイプの構ってちゃん』という言葉がぴったりだ。
「その上で」と、蒼君の話は続く。
「翻案予言botが沈黙すれば新たな予言がなくなるかといえば、そうでもないと思います。ベージビューを稼ぐために予言を投稿するアカウントが出てくる可能性がありますし、そういったアカウントの動向によっては、過去の予言投稿に注目が集まることもあるでしょう。
いずれにせよ、翻案予言botの動きは今後も注視しておくべきです」
「翻案予言botが、自己保身のためにアカウントを削除する可能性はあると思う?」
佐伯部長の質問に、蒼君は「現時点ではなんとも」と肩をすくめる。視線で返答を促された小山内さんも「私もちょっと」と自信なさげな顔をしたが、もう少し言葉を付け加えた。
「翻案予言botが自己保身に走るならアカウント削除ということもあるかもしれませんが、逆にこういった状況に開き直って、今までより大きな動きを見せるということもあるかもしれません」
「例えば?」と佐伯部長。
小山内さんは視線を泳がせたあと、「より話題性のある予言を投稿するとか?」と疑問形で首をかしげた。その返答を聞いた佐伯部長は、頭痛に耐えるようにこめかみを揉む。
「小山内さんと惣領君の意見を念頭においた上で、あらゆる場合に対処できるよう準備しましょう。
ひとまず、さっき言った専用ページの準備。キュレ部は引き続きネット上の予言関連の動きを追ってください。SLNとの情報共有も忘れずに。
パーソナライズ翻案については各自で考えてもらって、後日また話し合いの場を設けることにします。では、今日の会議は以上で」
佐伯部長が時計を確認して立ち上がると、微妙な空気のままそれぞれが荷物をまとめ始める。蒼君の視線を感じたが、私は逃げるようにタブレットを抱え、足早にキュレ部に戻った。
まだ、パーソナライズ翻案について蒼君と話したくなかったのだ。
どんな言葉で説得されても、私はパーソナライズ翻案の中止に納得できないだろうし、彼の口からは、「倫理的にはパーソナライズ翻案停止を検討するのは正しい選択だと思います」というような、佐伯部長を尊重する言葉しか出てこない気がした。
この日の夕方、蒼君とコモンズ・カフェで顔を合わせたけれど、彼の口からパーソナライズ翻案についての話題が出てくることはなかった。それは、彼なりの私への気遣いだった気がする。
その後、数日間はPitterにも予言まとめサイトにも目立った動きがなかったが、臨時会議での小山内さんの〝予言〟が的中したのは6月6日の金曜日。
翻案予言botは『たまこ』というアカウントの投稿をリポストし、次のような予言文を投稿した。
『七月、大都市に大停電が起きる』




