#19 ハヤトの苦悩
やっぱり8階の相談室に案内すれば良かっただろうかと考えながら、私はスツールより小さな丸テーブルを、ハヤト君と砂川さんそれぞれの近くにひとつずつ置いた。
ふたりのコーヒーはテーブルに、自分のコーヒーカップは手の中に持ったまま、「お待たせしました」と、さっきまで佐伯部長が座っていた場所に腰を下ろす。
砂川さんはまだ申し訳なさそうにしていたが、ハヤト君は私を待ちわびていたような表情でこっちを見た。よほど話したいことがあるのだろうと思ったら、予想外のことを口にする。
「理久さん、さっきの男性の方は? お仕事中みたいでしたけど」
「彼はAI開発・アルゴリズム研究部の惣領です。本当は休みなんですけど、DRIの仕事以外に外部との共同研究や、個人研究なんかもしてるみたいで、ここに住んでるんじゃないかって思うくらい、いつもいます」
そう言えば、蒼君は「平井先生に挨拶しようと思って」と佐伯部長に言っていたのに、結局そのまま行ってしまった。
「お若いですよね。僕とそんなに年が変わらないように見えるのに、堂々としてて、かっこいいなと思って」
「国民的アイドルDeeeeepのメンバーが何を言ってるんですか。ハヤト君も堂々とされてるでしょう?」
「ステージに立つ時は開き直れるんですけど、実は僕、佐伯さんみたいな先生っぽい雰囲気の人の前だと緊張しちゃうんです。なんとなく身構えちゃうし、つい相手の求めることを言おうとする癖があって、空回りしちゃうっていうか。
惣領さんは上司の前でも自然体でしたよね。それに、僕を平井颯人だと知ってて初対面でああいう普通な態度をとる人って珍しいから、この人は物事に動じない人なんだなって。
僕はちょっとのことで色々考えちゃうタイプで、ああいう感じの人を見ると羨ましいです」
気落ちしたようにハヤト君は肩を落とした。
砂川さんは話を切り出すタイミングを見計らっていたのか、ハヤト君の言葉が途切れたのを機に「これを」とタブレット画面を見せる。そこには、私もよく知る翻案予言botの投稿があった。
「ハヤトが本宮さんと話したかったのは、このアカウントのことだと思うんですが。だろう? ハヤト」
「はい。理久さんは、このアカウントのことは?」
ハヤト君は、なぜか不安げな、心苦しそうな表情をしていた。私はDRIで翻案予言botについて調査を進めていること、AI翻案コミュニティというのが存在することを説明する。
「――そのコミュニティがどこにあるのかは、まだわかっていません。もう少し時間をいただければ何かわかるかもしれませんが……、もしかして、この予言botのことで何か問題がありましたか?
予言元になってる投稿文には『#AI翻案抜粋』というタグと、たまに『#リテラ・ノヴァ』というタグ付けもされてますが、『#ハヤト文体』のタグがついたものはなかったと思うのですが」
見落としていたのかもしれないと慎重に尋ねると、予想していなかった答えが返ってきた。
「僕がこのアカウントを知ったのは、ファンからのメールなんです。翻案予言botが予言に使っている文章が、ハヤト文体じゃないかって」
「えっ?」
うっかり素っ頓狂な声を出すと、「ですよね」と砂川さんが苦笑いを浮かべる。
「ファンの方を悪く言う気はありませんが、いくらなんでもこじつけが過ぎるというか、何をどう読んだらハヤト文体だと思うのか理解できません。どれを読んでみても、ハヤト文体のように特徴ある文章だとは思えなくて」
「砂川さんのおっしゃる通りだと思います。……ただ、『#AI翻案抜粋』のタグをつけて投稿している人たちは、翻案予言botに予言してもらうことを目的に投稿しているようなんです。だから、予言的解釈がしやすい、曖昧で比喩の使われた文章だという傾向があります。それが、比喩を多様されるハヤト君の文章と同じと言えば言えなくもないんですが……」
どう説明しようかと考えていると、「僕は別にいいんです」とハヤト君はどこか諦めたような微笑を浮かべる。
「たぶん、本当に僕の文体に似てるかどうかはあまり関係ないんです。僕の文章って、読み手によってかなり解釈が変わるじゃないですか。理久さんが言った通り比喩も多用してるし、こういう、予言にしやすいふわっとした文章を読んで、ハヤト文体と似てると感じるファンの子がいても、まあ、そうだろうなって。
ただ、そのファンの子が予言を信じてるっぽくて、それが心配なんです。しかも、一人じゃなくて、一部のファングループが。
それで、平井颯人の公式アカウントで注意喚起したいって事務所に相談したんですけど、余計に翻案予言botに注目が集まることになるからダメだって。……それは、そうなんでしょうけど」
内省的で自罰的――パーソナライズ長編翻案の傾向について蒼君が話していたことを思い出した。それは、ハヤト君にも共通する傾向だ、と。
「ハヤト君は自分を責めすぎです。ファンの子のことが心配なのはわかりますけど、翻案予言botのようなおかしなアカウントが現れたのはハヤト君のせいじゃないですよ」
「そうなんです」と、砂川さんが我が意を得たりというように膝を打つ。
「この件だけじゃなく、最近AI生成アニメへの反発があちこちから出てるのも、ハヤトは自分のせいだって言うんです。むしろ、私はハヤトがAIアニメアプリのベンダーに利用されたと思ってるんですけどね。それに、ハヤト文体で生成される数秒のアニメが、アニメ業界にどれだけの影響を与えるっていうんですか?
1970年代風レトロ調アニメの流行は、ハヤト文体のせいじゃなくて世間の欲求の表れです。アニメ生成アプリで作れるのは、1970年代レトロ調だけではないんですから」
普段穏やかな砂川さんの口からは堰を切ったように鬱憤が吐き出され、私は内心たじろいだ。ハヤト君もこういう姿はあまり見慣れていないのか、呆気にとられたようにマネージャーを見ている。
「そうそう、本宮さん。最近話題になった『幻の宇宙冒険アニメ・スターイーター、未公開エピソード発見!』という動画をご存知ですか?」
「え、あっ、はい。アニメ好きの同僚がいるのでチラッと」
「あれ、1970年代の人気アニメ『宇宙冒険スターイーター』の、公式には存在しない『第127話』としてネットに流れたんです。当時の作画や声優の癖、BGMの雰囲気まで完璧に再現されていて、多くのファンが熱狂したんですけど――」
「フェイクだったんですよね?」
「ええ。AIが既存の全話データを学習し、生成した二次創作物だったそうです。
今のAIは、単に『レトロ調』の絵柄を真似るだけでなく、特定の作品のキャラクターや世界観、演出スタイルを寸分違わず模倣し、あたかも公式作品であるかのように見せかけることができる。その過程で著作権侵害があれば、それを批判するのは当然のことだと思います。
しかし、合法的に、かつ倫理的問題を熟慮した上で、著作権フリーの学習データを使ってサービスを提供しているリテラ・ノヴァや、ハヤト文体に対して同じ批判を向けるのは違うでしょう。それはただの無知です。誰でもいいから叩きたいだけなんです。
まあ、叩かれるのは人気の裏返しでもあるので、ハヤトは堂々としていればいいって、いつも言ってるんですけどね」
最後のひと言を伝えたくて、砂川さんは意図的に怒りを露わにしたのだろう。しかし、ハヤト君は繊細なだけでなく頑固でもあるのだ。
「僕もできれば堂々としていたいんですけど、実際には自分の意思でファンに注意喚起することもできないんです」
その言葉に、砂川さんは「それはなぁ」と言葉を濁した。そこには組織の思惑が働いているのだろう。
「別に、砂川さんを責めるつもりはないんです。頭ではわかってるし。
ただ、時々よくわからなくなるんです。自分で生み出した言葉ではない文章にタグという形で自分の名前がついて、ネット上に拡散される。それを眺めていると、反AI翻案を主張してる人たちが言うように、僕は先人たちの言葉を勝手に切り貼りして、自分の売名行為に使ってるんじゃないかって思うんです。
以前は、翻案という形で過去の文豪たちとコラボできたら素敵だって思ってたんですけど、僕は偉大な先人たちの言葉を、薄っぺらくて軽い言葉に変換する手伝いをしたのかもしれないって……」
あ、これはマズい――そう思った時だった。
「言葉に軽いも重いもないですよ」
ガラス扉を片手で支え、蒼君が立っていた。3人とも話に夢中で、ロビーに明かりが灯ったのも、彼がエレベーターから降りて来たのにも気づかなかったようだ。




