#18 天才と凡才
ハヤト君からの突然の電話は、「西京駅近くにいるから、DRIに向かうので少し時間をとれないか」というものだった。どうやら土曜日だということを失念していたらしいが、たまたまオフィスに来ているから問題ないと伝えると、彼は申し訳なさそうな声色ながらも「じゃあ、向かいます」と電話を切った。
「平井先生が来るんですか?」
「まあ、平日に来るよりはいいかもしれないな。エレベーターで外部の客と鉢合わせようものなら騒ぎになる。8階に案内するのか?」
蒼君と合田部長がいる傍で電話を受けたから、ふたりは会話内容を察したようだった。
「いえ、8階は真っ暗だし、今から冷房つけても暑いと思うので、コモンズ・カフェで話そうと思います。今日は休業で外部の利用者は来ませんし、エアコン効いてて、コーヒーベンダーは使えるから」
「翻案ミュージック止めてるのは残念だったな。あれ見たらスターライト・ネクストが使いたいって言ってきたかもしれないのに」
合田部長がニヤッと口の端を上げて蒼君を見た。スターライト・ネクスト(通称SLN)というのは、Deeeeepが所属する大手タレント事務所だ。
「コネクト・アベニューですら翻案ミュージックを延期、実質中止したんです。作家・平井颯人とリテラ・ノヴァの関係は今さら隠しようがないですけど、スターライト・ネクストも現状ではAI共創に慎重な態度をとると思います」
蒼君は冷静だ。でも、私が「翻案ミュージックを動かして」とお願いすれば、このふたりは躊躇いつつも聞き入れてくれるだろう。正直なところ、翻案ミュージックのAI音楽やAIによる美しいイメージ映像を芸能関係者に見て欲しいという気持ちはあった。けれど、蒼君の言葉を聞いてしまうと、押し付けがましく作動させて見せるのも気が引ける。
「じゃあ、私は降りますね。お仕事中に押しかけてすいませんでした」
「仕事中なのは俺だけで、惣領はいつも通りここに入り浸ってるだけだ。気にしなくていい」
「です」と蒼君は短く言ったあと、思い立ったように立ち上がった。
「腹減ったんで、コンビニ行くついでに一緒に降ります」
合田部長は何か言いたげな視線を蒼君に向けたが、クイッと眉を持ち上げ「おまえも休みだからな」と、自分のブースに戻っていった。
7階のエントランスロビーに到着すると、壁面の9台のサイネージは暗く沈黙している。センサーで天井の照明が数カ所点灯し、よく見るとコモンズ・カフェ内にも明かりがあった。
「もう来られてるんでしょうか」
まっすぐ地下駐車場に行くと思っていた蒼君は、私より先にエレベーターを降りてスタスタと歩いていく。
普段はNPO法人ひかりに運営委託しているコモンズカフェは、DRIも含めて、この西文ビル内のほとんどのオフィスが休みになる土日は店休日。コーヒーベンダーは使えるから他の階の会社の人が来ているかもと心配になったが、いたのは佐伯部長だった。
彼女はコーヒーベンダー横の柱を背に、スツールに腰掛けてコーヒーを飲んでいる。明かりが点いたことで私たちに気づいたようだった。
ガラス扉を押し開けると、中から流れ出た冷気がロビーの生ぬるい空気と混ざる。当然ながら、カウンターと飲食スペースはシャッターが降ろされていた。
コーヒーベンダー周りの8畳ほどのスペースに、小さなテーブルとスツールがあるだけの、ほぼDRI職員専用休憩スペース。
「惣領君はともかく、本宮さんまでどうしたの。今日は土曜日よ?」
「あ、えっと。今日たまたま結城先生に会って、ネット上のAI翻案コミュニティで予言が噂になってるっていう話を聞いたので」
「それで、隣の彼に相談を?」と、佐伯部長は蒼君に目をやる。
「それもなんですけど、9階にいたら平井先生から電話があったんです。近くにいるので時間があれば話がしたいと言われて。それで、8階は暑いのでコモンズ・カフェで話そうと」
オフモードだった佐伯部長の表情が曇った。
「プライベートな理由で会いたいって話じゃないんでしょう?」
「それはありません。DRIが休業日だということに気づかず電話して来られたので」
「そう。本宮さんを信用してのことだろうし、私がいると話せないだろうから席を外すわ。上にいるから、もし必要なら呼んで」
「あ、ありがとうございます」
佐伯部長は信楽焼のマグカップを手に立ち上がった。彼女のお気に入りのマイカップを使っているということは、一度8階の執務室に行ってきたのだろう。
「それで、惣領君も同席するの?」
「いえ、僕はコンビニに行くついでに一緒に降りてきただけです。平井先生がいたら、せっかくなので挨拶しておこうと思って」
エッと思わず声が出た。9階メンバーが契約作家にわざわざ挨拶するなんて通常はないことだ。蒼君はアイドル見たさにそういうことをするミーハーな性格ではないし、佐伯部長も驚いたのか、銀縁眼鏡の奥で目を見開いた。
「意外ね。構わないけど、本宮さんと先生の話を邪魔しないようにね」
「まだ来られてないようなので、僕はこのままコンビニに行きます」
「そう。じゃあ、9階に戻ったら教えてくれる? 西京大との共同研究のことで少し話したいことがあって」
「……何か問題でも発生しました?」
わずかな間が、蒼君の警戒心を表していた。佐伯部長は顎に手をあて、言葉を選ぶように「そうねえ」とつぶやく。
「問題というほどのことでもないんだけど、新田君に関してちょっと」
「新田さん? 本人からは進捗に問題はないって聞いてますけど」
「うん。だから、そこまで深刻に受け止めなくていいわ。
新田君、技術的には問題ないけど、もう少し積極的にアイデアを出してほしいって、西京大の登坂教授に言われたの。わざわざその話で連絡してきたわけじゃなくて、たまたま会議で顔を合わせた時に軽く言われただけ。
それで、ついさっき新田君にここで会ったから、本人に話したの。そうしたら、『自分は三流大学出の凡才だから、天下の西京大から見れば足手まといかもしれない』って。登坂教授はそういう意味で言ったんじゃないだろうけど、私は技術的なことは良くわからないから」
私はふと、蒼君のプロンプトを見た時の一希君の表情を思い出した。普段にはない、どこか陰りのある思い詰めた表情。
今初めて、一希君が蒼君のことをどう考えているのか気になった。年下の、自分の後から入社してきた天才AIエンジニア。蒼君は合田部長に次ぐAIチームのナンバー2の立場にあり、定例会議に出席するのもそのふたりだ。
一希君がいつも明るくおちゃらけたキャラなのは、あえてそう演じているのだろうか?
いや、一緒に入社したときから彼はそんな性格だったはず――。
「足手まといってことはないはずです」と、蒼君はきっぱりと言いきった。
「登坂教授も技術的に問題ないって言ってるわけだし、むしろ、新田さんの技術が高いから要求も高くなったのかもしれません。
ただ、新田さんはひらめき型の天才タイプの人じゃなくて、論理を積み上げてコツコツやる職人タイプだから。DRIシステムは新田さんみたいな技術者なしでは維持できませんけど、研究となると……」
蒼君にしては珍しく語尾を濁した。
「惣領君は、別の人と交代したほうがいいと思う?」
「西京大側から言ってこない限りその必要はないと思います。でも、いちおう、合田部長にも話してみてください。たぶん、僕と同じ意見だと思います」
「わかった。合田部長は上?」
「はい。じゃあ、僕との話はこれで終わりでいいですか?」
飄々とした蒼君の言い方に、佐伯部長がクスッと笑みをこぼした。会議での凛とした雰囲気とは違い、たまに目にするこういう表情に心を掴まれる。つい見とれていたら、パッといつもの真面目な顔つきに切り替わった。
「来られたみたいよ」
振り返ると、エレベーターからハヤト君とマネージャーの砂川さんが降りてくるところだった。
蒼君がカフェの扉を開けて出迎えると、ハヤト君は変装用らしいキャップとサングラス、マスクを外し、少々居心地悪そうに会釈する。一方、砂川さんは恐縮した様子で「すいません」と深々頭を下げた。
「佐伯部長もいらっしゃったんですね。お休みの日に、本当に申し訳ありません。私が目を離した隙にハヤトが勝手なことを。ご迷惑でしたよね」
佐伯部長は「いえ」と外部者向けの穏やかな微笑を浮かべた。
「平井先生にはお世話になっていますから、何か心配事がおありでしたらすぐにおっしゃっていただいたほうがありがたいです。私は偶然居合わせたのですが、所要があるので担当の本宮にお任せしてよろしいでしょうか」
ハヤト君は佐伯部長がいることに明らかに戸惑った様子だった。そして、彼女がいなくなると知ってわずかに緊張が緩んだようにも見える。
砂川マネージャーとハヤト君にもう一度笑みを向け、佐伯部長はマグカップを手にカフェから出ていった。扉を支えていた蒼君も「じゃあ、理久さん、また後で」とその後を追う。
また後で、ということは戻って来るつもりなのだろうかと考えつつ、私は「こんな場所ですいません」と案内し、職員割引でコーヒーを淹れた。
ハヤト君は薄っすらメイクをしているようだが、こんな場所でも座っているだけでドラマのワンシーンのように見えるのは、さすがアイドルとしか言いようがない。




