#11 2043年の作家たち
一希君は隣の2人がけテーブルの、ベンチではなく蒼君の横の椅子に腰を下ろした。「フゥ」と疲れた様子で背もたれに体を預け、涼しげな氷の音をたててアイスコーヒーを半分くらい一気飲みする。
「新田さん、今戻ったところですか?」
「ん? ああ。西京大出たのは昼過ぎだけど、そのあと外でラーメン食って戻ってきた。おまえの提案通り『感情の行動指標に発声トーンを追加する』ってことで、問題なく進んでる」
西京大とDRIの共同研究の話だと察し、大人しく成り行きを見守ろうとしたが、一希君が「で?」と私に話を振った。
「俺の噂してただろ」
「別に変な話はしてないよ。今日の臨時会議で1970年代レトロ調アニメが問題になってたの。それで、アニメと言えば一希君だなって。だって、ほら。それもその年代のアニメキャラじゃない? キン肉ボーイ」
私が指さしたのは、一希君のポケットから覗いている『キン肉ボーイ』のキーホルダー。男の子向けのバトルアニメで、当時販売されたフィギュアは、オークションサイトで高額取引されているらしい。蒼君は「それ、アニメキャラだったんですね」と、淡白な反応。
「惣領にはこのレトロな良さが伝わらないのか?」
「アニメ自体を知らないですから。それより、反AI派が著作権の永久保護を求めて署名してるらしいですよ。そうなったら、キン肉ボーイの翻案アニメ生成は無理そうですね」
蒼君はおそらく一希君が残念がると思って口にしたようだったが、言われた本人はうんざり顔で肩をすくめた。
「原作アニメは好きだけど、最近出回ってるレトロ調アニメはどうも好きじゃないんだ。生たまご先生の作品に手を加えるなんて、冒涜だとしか思えないし」
いつも佐伯部長への不満ばかり口にしている一希君が、この点については部長と似た感覚を抱いているのが少々意外だった。蒼君も目を瞬かせている。
「新田さん。生たまご先生って、そのアニメの原作者なんですよね。だったら、著作権切れるのはたぶんまだ先だと思います。でも、新田さんの感覚だと、リテラ・ノヴァがやってることも作家への冒涜ってことになりません?」
蒼君の指摘に、一希君はうろっと視線を泳がせた。
「そうかもしれないけど、それはそれ、これはこれ。文字と映像は違うだろ。文学は、画像や映像みたいに瞬間的に認識できるものじゃないし、行間から受け取るものの方が多い。文学はその多義性に意味があるんだから」
「へえ、文学の多義性だなんて、そんな言葉が一希君の口から出るとは思わなかった」
申し訳ないと思いつつ、私は自分の口元がニヤついたのを自覚する。気恥ずかしくなったのか、一希君はプイと顔をそむけた。
「たまたま……、たまたま読んだんだよ。結城匠真のインタビュー記事。そこにそんな言葉が載ってただけ」
しどろもどろで答えた彼の言葉に、スッと気持ちが冷える。まさか、ここで匠真の名前が出てくるとは思わなかった。
「ねえ、それってもしかして『新蝶』春号の巻頭インタビュー? 一希君は文芸誌なんて興味ないと思ってたけど」
「ああ……、まあ、文芸誌はそんなに興味ないけど、結城匠真が出てるって聞いたら、ちょっとめくってみようかなって思うだろ。同僚の元恋人なわけだし」
私は反射的に一希君のすねを蹴りつけた。知られて困ることもないけれど、他人の口からバラされるのは腹が立つ。つま先が軽く触れた程度なのに、一希君は「いってぇ」と大袈裟に顔をしかめた。
「余計なこと言うからよ」
「別に、隠してるわけじゃないだろ」
一希君の言葉に反応するように、蒼君がチラと私の顔をうかがう。
「結城匠真って、芥河賞作家の結城匠真ですよね。出版社経由で翻案契約の話をしたら突っぱねられたって、糸井部長に聞いたことがあります。新田さんの言った同僚って、理久さんなんですか? 結城匠真の恋人だったんですか?」
「学生時代のことよ。もう7、8年前の話。翻案契約については、まあ、もともとAIに対して嫌悪感を持ってる人だから、フラレて当たり前かな。糸井部長は別に結城先生だけに声かけたわけじゃなくて、興味ある作家さんがいたら教えてって、出版社に頼んだだけらしいの。その話があの人にも行ったみたい」
「フラレたって、翻案の件だけですよね。理久さん、以前、結城匠真に同情的なこと言ってたじゃないですか。純文系作家が本の売上だけでやってくのは難しいから大変だろうって」
「あー、えっと、そうだっけ?」
「言ってました。もしかして、未練あるんですか?」
表情はいつも通り淡々としているし、声のトーンも普通なのに、矢継ぎ早に追求してくる蒼君に私はたじろいだ。一希君は面白がっているのか、さらに煽るようなことを言う。
「去年の初めくらいに離婚報道があったから、結城匠真は今は独身だよな」
「ちょっと、もう一回蹴られたい?」
私が睨みつけると、一希君は「まさか」と舌を出す。思わず吐息が漏れた。
「とにかく、ふたりとも変な勘ぐりはやめて。今はプライベートの連絡先も知らないし、何の関係もないから。あの人とは価値観が違い過ぎるの」
こんなふうに、彼の著書を読む時以外に昔のことを思い出すのはうんざりだった。消化しきれない感情と、あちこちから聞こえてくる作家・結城匠真の噂話。それらが私の苛立ちを焚きつける。
ハヤト君が芥河賞を受賞したとき、「賞主催者が人気タレントにおもねった」という趣旨の発言をした人の中に匠真の名前もあった。ハヤト文体流行後は、執筆にAIを使用すると公言しているハヤト君を文芸誌のコラムで名指しで批判した。その批判は、作家・平井颯人が翻案契約したリテラ・ノヴァへも及んでいる。
DRI職員のうち、文芸にそれほど詳しくない9階メンバーを除いて、結城匠真のそういった発言を快く思っていない人がほとんどだった。匠真との関係を、酔った勢いでうっかり一希君に暴露してしまったのは蒼君が入社する前のこと。佐伯部長と糸井部長には、匠真がリテラ・ノヴァ批判をした時に事情を説明してある。別れた原因がリテラ・ノヴァだったから、彼の言動に私への意趣返しも含まれているのではと思ったのだ。
ただ、芥河賞作家を悪く言わないだけの意地は、酔っ払った状態でも残っていた。意固地になっていると言われればそうかもしれないけれど、匠真がハヤト君に八つ当たりしたくなる気持ちもわからないではない。
受賞時における文芸誌のふたりへの扱いひとつでも、そこには大きな違いがあった。現役アイドル大学生と、大学非常勤講師の地味な兼業作家とでは当然のことだ。ハヤト君が特殊だっただけ。文芸誌がハヤト君人気を当てにして、こぞって表紙に据えたのは間違いないだろう。
そんな中で匠真のとった態度は、ある意味においては、出版不況で鬱屈状態にある他の作家たちのガス抜きになっていた面もある。刺激的なエンタメコンテンツに居場所を奪われ、先細りする市場の中で、あえて作家として活動し続ける理由を自問自答しながら、それでも書くしかない人たち。
そんな人たちを同情するような、大層な立場に私はいるわけじゃない。でも、そんな人たちの姿を人伝てに聞くたびに、いくらAIが進化しても人間の文学は死なない――そんな確信を得て、彼らへの尊崇の念が湧き上がってくる。
そう。匠真への感情は恋愛などではなく、情と尊崇。
「じゃあ、アイドルを狙ってみれば? 平井先生、理久にけっこう懐いてるんだろ?」
一希君が茶化すように言った。私の表情が沈んでいるのを見て匠真の話題を切り上げようとしたのだろうが、一希君はいつもこんな軽口ばかりだ。
「人懐こいのはハヤト君のもともとのキャラクター。Deeeeepメンバー相手にそんな大それた妄想したこともないし、21歳のアイドルの隣にこんなオバサンがいたらファンが激怒するわよ」
「7歳差なんてたいしたことないけど、まあ、理久は年上が好みみたいだから――」
そのとき、蒼君がパッと顔をあげた。私は年下の同僚相手に妙な気まずさを覚えたが、彼が反応したのは一希君の言葉ではなかったようだ。
「怪しいアカウント見つけました」
蒼君が指さしたのは、彼がさっきから触っていた私のタブレット。真っ黒なアイコンの横に『翻案予言bot』とアカウント名が記載されている。そこにある引用リポストの投稿文に、私と一希君は同時に身を乗り出した。
『翻案予言bot/予言:5月末に海岸沿いで脱線事故』
「なんだ? 予言?」と、臨時会議に出ていない一希君が首をひねる。
「引用元の投稿、リテラ・ノヴァのタグはついてませんけど、AI翻案抜粋っていうタグがついてます」
そう言って蒼君が表示した投稿は、次のような文章。
『それは五月も終わろうとしている頃だった。僕の目の前で、目指すべき道は慈悲なく崩壊してしまったのだ。敷かれたレールの脆さに愕然としながら、転がり落ちた海で次々と打ち寄せる波に揺られている。 #AI翻案抜粋』
蒼君は翻案予言botのタイムラインに戻すと、ゆっくりとスクロールしていく。そこにはズラリと『予言』が並んでいる。翻案予言bot自身が短文を投稿し、リプライで予言文を投稿しているものもあれば、今の投稿のように、『#AI翻案抜粋』というタグのついた他のアカウントの投稿を引用リポストして予言を投稿しているものもある。
「怪しさ抜群だな」と一希君。プロフィールには何も書かれておらず、登録は昨年の10月になっていた。最初の投稿は今年――2043年の1月。
「フォロー0で、フォロワー3千人。フォロワー3千って微妙に多い数字ですよね。フォロワーは、やっぱりリテラ・ノヴァ利用者が結構いそうです」
臨時会議での、佐伯部長の言葉が嫌な予感とともに私の脳裏に蘇った。
『マイクロノベル詐称と同じ問題が、中長編のパーソナライズ翻案で起きないとも限らないのです。』
予言元になっている投稿文には『#リテラ・ノヴァ』というタグはついていない。けれど、AI翻案という言葉から多くの人がリテラ・ノヴァを想像するのは間違いない。
もし、何か問題のある文章が投稿されたら――いや、それ以前にリテラ・ノヴァの翻案が「予言」とされること自体に問題があると、私はこのとき直観したのだった。




