ストイック過ぎて、引く
速水に怒られた翌日から、普通科の呪いである部活動禁止のテスト週間が開始されて数日経った。
他の野球部員が騒がしいグラウンドを横目に帰路に着くことが、こんなにも心苦しい時間になろうとは、先日までの俺は微塵も思っていなかった。
「ただいま」
「おかえり」
家に帰ると、既に速水は帰宅していた。同じ頃合いに帰宅しただろうに、帰宅時間が違うというのは、つまり俺は相当のんびりと歩いて帰ったらしい。
「とりあえず、夕飯にしちゃいましょう」
「うい」
簡素な返事をすると、速水は調理に取り掛かった。先日から思っていたことだが、速水はどうやら、この前の一件は引き摺っていないようだった。前々から割り切りいい人だと思っていたが、今回ばかりはそれに助けられたみたいだった。
夕飯を食べて、早速勉強の時間は始まった。
速水の指導は、俺なんかが上から言うのもどうかと思うが、結構上手かった。頭が良い人は人に教えるのも上手だと以前どっかで聞いた気がするが、まさしくその通りだと俺は一人思っていた。
「なんだかんだ、あんたって飲み込みが早いよね」
しばらく集中して勉強していた頃、速水は突然そんなことを言い出した。
「そうだろうそうだろう。俺も自分で自分の才能が怖いよ」
「思ってもないことは言わないの」
「なんでわかった」
「どれだけあんたと一緒にいると思ってるのよ」
「まだ一月くらいだぞ」
「そっか。そんなもんか」
速水は突然、笑い出した。
「なんだか濃密な一か月だった気がするなあ」
「一か月は一か月だ」
「ロマンのない男ね」
「なんとでも言えい」
ノートにシャープペンを走らせながら、俺は言った。
しばらく、再び二人だけの勉強会に、俺達は興じた。
「うん。正解。この調子なら、中間テストはきっと大丈夫だね」
「あんたのお墨付きだと心強いな」
「そうでしょう? もっと褒めてくれてもいいのよ」
「わー、凄いな」
「心篭ってないなあ、もう」
速水は少しだけ寂しそうに苦笑していた。
「……そろそろ決まった?」
「何が?」
俺はノートから目を離して、顔を上げた。
速水は、何やら頬を染めてモジモジしていた。
「ご褒美よ、ご褒美」
「あんた、本気だったのか?」
俺は呆れたようにため息を吐いた。
「何よ。本気よ。女に二言はないわよ」
「それ使い方あってる?」
「合ってない。細かいことは気にしないの。男でしょう?」
その使い方は合ってそうだな。
「……なんで、そんなに嫌がるの?」
「なんでって、俺はあくまで俺のために勉強しているんだぞ。勉強まで教えてもらって、その上そのことであんたに褒美までもらうというのは、なんというか……邪な気がしてならないんだよ」
「生真面目」
「なんかこの件になると、あんたとてつもなく毒を吐くな」
「いいじゃない。別にあんたにとって減るもんでもないでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさあ」
「……そんなにあたし、魅力ない?」
「はあ? そんなこと一言も……」
慌てて速水の方を見ると、俺は息をのんだ。速水はなんだか寂しそうに俯いていて、今にも泣きだしそうに見えた。
正直言って、理解に苦しむ。
確かに彼女の言う通りだ。この件、俺にとってはまったく減るものがない。むしろ、良いこと尽くめに違いない。
だけど、ならば速水はどうなのだ。
彼女は自らの勉強時間を削ってまで俺に勉強を教えて、挙句モチベーションアップのために褒美まで振舞うのだと言う。
そんなことまですれば、彼女は減るものばかりじゃないか。
だから、俺はどうにも申し訳なくてその案に乗っかろうとしないのに。
なんでこの女は、今こんなに寂しそうにしているのだろうか。
「わかった、わかったよ!」
この女の気持ちは、どうにも俺には理解出来ん。これ以上頑なな態度は時間の無駄だと思った俺は、呆れながらそう言った。
ようやく俺が応じたことに速水は、
「本当っ!?」
いつにもまして、眩しい笑顔を見せていた。
……心臓が、高鳴った気がした。
「ああ、そうだよ。乗っかるよ、乗っかる」
どうにも速水の顔が直視出来なくて、俺は熱い顔を彼女に見せないようにそっぽを向きながら、まくし立てた。
「うん。うんっ! ありがとう」
何故、俺は今お礼を言われているのだろう。
正直、よくわからない。だけど、悪い気がしないのは確かだった。
「で、どんなご褒美が欲しいの? ねえ、教えて」
速水は、先ほどとは打って変わって明るかった。
明るくて、強引で、我が強くて。
なんだかいつも通りの、彼女だった。だけど、どうにもいつもと違って見える気もした。
「ああ、考えてなかった」
「えぇ、じゃあ早く考えてよぅ」
甘えるような声で催促する速水に、俺は柄にもなく混乱していた。だけど混乱する頭でも、彼女の提案には答えねばと必死だった。
彼女にしてほしいこと。
一体俺は、彼女に何をしてほしいのだろう。
日々美味しい料理を振舞ってもらって。
勉強を教えてもらって。
……また一緒に、同居してもらって。
いつかも伝えたが、彼女には感謝することばかりだ。
その上俺は、一体彼女に何をしてほしいと思っているのだろう。
『うん。信じなかったかもなー。あんたのプロになるって夢』
悩みに耽ったその時、真っ先に思い出したのは……。
『何言ってるのよ、あんた。普通科のくせして』
……いくら俺が事実を言っても信じてくれない彼女の呆れ顔。
『あたしが、あんたのファン第一号だ』
そして、照れた微笑みだった。
「テスト週間明けに、早速他校との練習試合をするんだ」
「それが?」
俺は、息をのんだ。
試合でもこんなに緊張したことがないのに、俺は今、声を発することが出来るか不安になるくらい、喉がカラカラだった。
決意を固めて、
「その試合、見に来てくれ」
俺は言った。
速水は、
「それ、ご褒美になるの?」
目を丸めていた。
「な、なる!」
驚くくらい、大きな声で俺は反論した。
「あ、あんたはどうも、俺をオオカミ少年と思っているきらいがあるからな。この際はっきりさせてやる。
それに……。
お、俺のファン第一号のあんたが見に来てくれれば、いつにもまして結果を出せそうだ」
言い終えて、自分が何を言ったか、反芻すら出来ないくらい、俺は羞恥を抱いた。
「た、他意はないからな。というか、一人で来ると目立つだろうから、友達も誘って来てくれ。その方があんたとしてもカモフラージュになっていいだろう」
慌てて言って取り繕うと、
「わかった」
速水は優しい微笑みを見せていた。
その微笑みに吸い込まれていくような錯覚を、俺は覚えていた。いつかも思ったが、彼女は不思議な力を持つ、不思議な女子だった。
「本当あんたはさ……」
しばらく微笑んで、速水は突然噴き出した。
「ストイック過ぎて、引く」
後日、中間テスト。
俺は速水の甲斐甲斐しい手助けもあって、無事全教科で赤点回避を成し遂げたのだった。




