超高校級ピッチャー
練習試合前夜のことだった。
その日は明日に疲れを残したらまずいという速水の提案で、いつもより少し早く自主練を打ち切って、電気を消した今で、速水と少しばかりの世間話に興じていたのだった。
「じゃあ明日、赤点回避のご褒美の試合を見に行くからね」
「ああ」
「友達も何人か誘った。ほら、穂乃香とか美香とか茜とか。同じクラスで、時々話してる姿も見るし、知ってるでしょ?」
「下の名前じゃわからん」
「広末穂乃香と井上美香、安藤茜だよ」
「おお、広末さんとは日直したことがあった気がする」
知ってる名前に、俺は手を叩いた。
「本当、野球のこと以外は適当だな、この男」
速水の声は、少し呆れていた。
「で、一年で一番上手い武田君。明日は試合に出れそう?」
「うん? わからん」
「えぇ、ちょっと、今更そりゃあないよ。あたし、結構楽しみにしてるんだよ?」
「それは、申し訳ない。でも客観視してみると、どうも不安だ」
「……やっぱり、嘘だったの?」
速水の声は寂しそうだった。
「何が?」
「あんたが一年で一番上手いって話」
「いいや、それは事実だ」
「じゃあ何故?」
「まず断っておきたいことは、俺は自惚れていないってことだな。前にも度々言ってきたけど。
そんな自惚れてない俺から言わせてもらって、俺は実は一つ。周囲と比べて明らかに劣るものがあるわけだ。
何だと思う?」
速水はしばらく唸った後、
「協調性?」
そんなことを言い出した。
「何を言う。俺は協調性の塊だろ」
「自惚れないでよ、武田さん。一回目の同居の時、関係深める間もなくランニングに行ったり、挙げ句迷ったりして中々帰って来なかったじゃない。最近だって、あなた練習ばっかりで全然あたしに構ってくれない!」
「それ、協調性とは関係ないだろ」
否定的な言葉を連ねたら、速水は少し機嫌を損ねたらしい。暗闇の中で一人唸っていた。
「で、何が足りないのよ。お馬鹿で方向音痴でマイペースな武田君っ」
「なんで怒ってるのさ。まあいいや」
そう言って、俺はわざとらしい咳払いをして、続けた。
「俺に足りないもの。それは実績だ」
「実績?」
「おう。俺は部員内でも確固たる実力。センス。闘争心を持っている自覚はある。
だけどな、中学時代から無名だった俺には、周囲に最初舐められる程度には誇れる実績がないんだ」
「それで?」
「実績というのは、酸いも甘いも知ってる大人にとっては他の追随を許さない程度に重要な指針だってことだよ。
例えば、受験なんかがそうだろう?
仮にあんたが面接官として、合格ボーダーラインに同じ点数の子が二人いたとする。そんで、片方しか合格に出来ない状況だとする」
「うんうん」
「それでだ。仮にA君は、中学時代帰宅部で、生徒会活動にも参加していないとして、対してB君は、中学時代部活で優秀な成績を残していて、生徒会会長をやっていたとする。
もし仮にあんたが面接官なら、どちらを自分の学校の生徒にしたいと思う?」
「A君B君て、もっとリアリティあるネーミングセンスはないの?」
「いいから、どっちだよ」
「……まあ、仮にそこまで明確に経歴に差があるなら、B君よね」
「そっ。仮にテストの点が同じ場合、優先されるのは実績がある方ってわけだ。こんな感じで、物事を見定めようとする時、結構な確率で実績ってのは確認される。
ただこれが厄介なところだが、時には実績が優先され過ぎて、取った点数が度外視され評価される場合があるってこと」
「つまり?」
「例えば。
転校生が優秀な選手と認めざるを得なくても、在籍日数が長くて苦楽を共にした経緯があって、最後の大会である三年生が優先されてレギュラーになる場合があるってこと。
これも、ある種の実績、だろ?」
「……あ」
速水は何かに気付いたように小さく悲痛な声を上げた。
「辛かったね」
「辛かないさ。向こうからしたら、俺みたいな余所者が突然湧いてきてポジションを奪われるかもしれなくて、辛かっただろうよ」
相手の気持ちを慮れる。
ほうら、俺って強調性あるだろ?
とは、淀んだ空気からして言えなかった。
「まあ、そういうわけで、この世は実績ってのは重要な指針なんだよ。ウチの野球部は野球名門。
集まる生徒も、そりゃあ思わず目も眩むような実績を引っさげてくる奴ばかりさ。
その中で、肩書一つない俺が無下にされることなんて、更々おかしくないと思うだろ?」
「なるほどね。確かにそれは、辛そうだ」
「実績がない中で、意外にも早々に特別待遇も受けたりもしたが、なにせテスト週間で練習に参加出来なかったからな。その間に、このひ弱な肩書のせいで評価が逆転、なんてことも考えられなくもない。
ただ、だからこそ燃える」
長話してたら、本当に奮い立ってきた。
気持ちを沈めながら、俺は続けた。
「実績から得られる信頼は、崩れるのもあっという間だが、築くのも早いものだからな。
少ないチャンスをどうモノにするか。明日は、それを心掛けようと思う」
「少なくともチャンスはある前提なんだ」
「ああ、いきなりノーチャンスになるはずないと思えるほどのアピールは日々してる」
「さすが。ストイック野球馬鹿」
話に一段落ついて、俺達は笑いあった。
「それで、明日の相手ってどこなの?」
「都内でも有数の野球名門校だよ。打撃が売りのチームで、堅守で名高いウチとは真逆だな。
しかし、今年はどうやら、守備力も相当なものらしい。春の選抜大会で、二十イニング連続無失点を記録してた」
「それ、凄いの?」
「二試合プラスアルファで点取られてないわけだからな。滅多なもんじゃない」
「ほへー」
「その一因となったのは、まあ野球というスポーツの特性上、ピッチャーになる。野球って結局、ピッチャーが無双すれば多少バックの守備がザルでも点は取られないスポーツだからな」
「凄いピッチャーなんだね。ねぇ、その人の名前は?」
「ああ、その人の名前は……」
……。
練習試合当日は、良く晴れた野球日和の天気だった。
今回の練習試合は、都内の高校から近場の球場で行われることになっていた。だからこそ、気兼ねなく速水達を観戦に誘えたわけだ。
敵チームより先に球場に到着した俺達は、先にアップを開始した。
丁度、軽めのノックを受けている頃、遠征用のバスに乗って、奴らは姿を現した。
目下、今年の夏の東東京大会の優勝候補と名高い奴らは、どこか風格すら漂って見えた。
その中でも一際風格ある男を、俺は見逃さなかった。
身長百八十四センチ。
体重八十四キロ。
鍛え抜かれた太腿が、奴の豪速球を支えているのは、一目瞭然だった。
彼の名前は、及川大河。
三年生。左投げ左打ち。
先日の選抜大会で、自己最速となるマックス百五十二キロを計測した、今年のドライチ候補の超高校級ピッチャーだ。




