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ハイブリッド保守宣言 ——「血」を問わない民族主義と、三層構造の国家OS  作者: えいの
第3部:絶対的コアとしての「皇統」とシステム防衛

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第7話:なぜ「天皇」に人権制限(不自由)という代償を背負わせるのか

 これまで第二部(第四話から補論)を通じて、我々は新しい国家アーキテクチャの外部構造たる「国民」の定義を根底から再構築してきた。レイヤー1(法的国民)においては、憲法という契約に基づく厳格なシビック・ナショナリズムを採用し、レイヤー2(文化的民族)においては、万物神聖化と歴史的連続性への「文化の同化」を要求した。この二層構造を貫く絶対的な原則は、「生物学的な血統(DNA)の完全なる無効化」である。人間は、どのような血を持って生まれようとも、自らの理知と覚悟によって国家の理念と文化(OS)をインストールする意志があるならば、等しく主権者たる市民権を与えられ、包摂される。逆に言えば、いかに生粋の血統を持とうとも、この国家のOSを共有し維持する義務(契約)を放棄する者は、国家からの基本的な生存権(保護的国籍)こそ保障されれど、国家を運営する主権者たる資格は決して得られない。我々は、市民権を「生得的な無条件の権利」というリベラルの幻想から引き剥がし、極めて能動的で後天的な「双務的契約」として再定義したのである。

 この「血を問わない同化主義」は、多様なルーツを持つ人々を統合し、グローバル化の波から共同体を防衛するための最も合理的かつ強靭なシステムである。しかしながら、国家のすべてを「後天的な契約と同化(人間の意志)」に委ねてしまうことには、国家というシステムの存立を根底から脅かす致命的な論理的脆弱性バグが潜んでいる。それは、「契約に基づくものは、契約の当事者たちの意志(多数決)によって、いつでも変更、破棄、あるいは全く別のものに書き換えられてしまう」という、近代民主主義が孕む根本的な危うさである。

 もし、日本という国家のOSが、単なる「現在の主権者たち(レイヤー1および2の国民)の合意」のみによって支えられているのだとすれば、ある日、国民の過半数がポピュリズムに熱狂し、「明日から日本の歴史的連続性を断絶させ、全く新しい国名と憲法を持つ国家に移行しよう」と決議した場合、それを阻止する論理的根拠が存在しなくなる。フランス革命において、契約によって成立したはずの国民議会が急進的なジャコバン派に乗っ取られ、理性と平等の名の下に伝統を全否定し、自国民への大虐殺(恐怖政治)へと暴走した歴史が示す通り、「人間の意志(理屈)」のみで構成された国家は、いとも容易に狂気に支配され、自壊する。

 多様な国民(レイヤー1・2)という存在が、どこまでも契約や同化といった「人間の意志(後天的なもの)」によって作られる流動的な存在であるからこそ、その国家システムの最深部には、国民の意志や契約、あるいは民主主義の多数決といった「人間の理屈」が一切介入できない、絶対的に固定された不変のアンカー(碇)が打ち込まれていなければならない。コンピューターのシステムに例えるならば、国民が自由にアプリケーションを展開し、データの読み書きを行う「RAM(Random Access Memory)」であるならば、国家のコアには、いかなる多数決や時代の流行によっても決して上書きすることができない「ROM(Read Only Memory)」が存在しなければならないのである。

 この「決して上書きされない絶対的なROM」として機能する究極のシステム防衛装置、それこそが本章より全容を解き明かす第三の層(レイヤー3)、「皇統(天皇制)」の存在論的根拠である。そして、国民の側(レイヤー1・2)において「血統の完全なる否定」を行った我々が、このレイヤー3においてのみ、男系継承による万世一系という「究極の血統主義」を絶対の条件として要求するという、一見すると最大の矛盾に見える非対称性こそが、このハイブリッド保守宣言の最も深遠なる法理的アーキテクチャである。

 なぜ、国民は血統不問であるにもかかわらず、天皇制においては生物学的な血統が絶対視されなければならないのか。その答えは極めて冷徹な論理の帰結である。「血統(先天的なDNA)」という要素が、人間の努力、意志、契約、多数決といった「一切の後天的な人間的理屈」の及ばない、最も非民主主義的で、最も理不尽な基準だからである。

 もし、国家の最高権威(元首や象徴)を、国民の選挙(多数決)や、個人の能力、徳の高さといった「人間の定めた基準」によって選出する共和制を採用したとする。その瞬間、その最高権威の正当性は「国民の意志(契約)」に従属することになる。つまり、ROMがRAMに飲み込まれ、国家の中心軸が時代の流行やポピュリズムの波に翻弄されて漂流を始めるのである。国家の歴史的連続性を担保するアンカーは、人間の小賢しい理屈や「能力主義メリトクラシー」を超越した場所に置かれなければならない。特定の血統に生まれたという、本人の努力や国民の意志とは全く無関係な「大いなる偶然(あるいは宿命)」のみを存在の根拠とすること。これこそが、天皇を政治権力や民主主義の恣意性から完全に切り離し、国家の不変のコアとして固定するための、最も精緻なシステム工学的要請なのである。

 しかし、ここで近代法学の極めて重大なパラドックスが立ち現れる。近代の普遍的価値観である「すべての人間に基本的人権が平等に保障される」という大原則が支配する現代の日本国憲法下において、特定の血統の者にのみ世襲の特権的地位(国家の象徴)を与えることは、明らかに法の下の平等(憲法第十四条)に反する特例である。この巨大な矛盾を、近代法体系はどのように処理しているのか。

 ここで我々は、保守派もリベラル派も直視しようとしない、日本国憲法における最大のタブーであり、かつ最も過酷な法理である「不自由の代償」という概念に到達する。天皇および皇族が、特定の血統によって「国家の象徴」という地位を世襲する法的正当性は、彼らが近代国民国家において最も尊ばれるべき「基本的人権」の適用から外れ、完全なる「不自由」を国家から課されているという、壮絶なる自己犠牲トレードオフによってのみ成立しているという冷徹な事実である。

 日本国憲法第三章には「国民の権利及び義務」として、基本的人権が永久の権利として保障されている。しかし、天皇および皇族は、憲法上の「国民」とは異なる特別な地位にあり、この基本的人権の恩恵を等しく受けることができない。第一に、彼らには「職業選択の自由(第二十二条)」がない。自らの意志で他の職業に就くことも、皇位を拒否することも原則として許されない。第二に、「居住・移転の自由(同条)」がない。第三に、「表現の自由および政治活動の自由(第二十一条)」がない。天皇は国政に関する権能を有しない(第四条)とされ、自らの政治的意見を公に発信することは厳しく制限されている。第四に、最も根源的な「婚姻の自由(第二十四条)」でさえ、皇室典範という国家の法律によって厳しく管理されている。さらには、主権国家の構成員として最も重要な「選挙権・被選挙権(第十五条)」すら持たない。

 彼らは、我々一般国民が空気のように享受している「個人の自由」や「プライバシー」を持たず、二十四時間三百六十五日、常に国家の象徴としての責務を全うされる、極めて過酷で孤独な立場におられる。ドイツの法学者カール・シュミットは『政治神学』において「主権者とは、例外状態について決定を下す者である」と定義し、近代国家における究極の権力者は、法の枠外(例外)に立つ存在であると説いた。しかし、日本の天皇制というシステムは、天皇を一切の政治権力から切り離し、同時に基本的人権という法の恩恵の外側に位置づけることによって、逆説的に国家の絶対的な象徴として成立させるという、極めて高度で特異な「例外状態」を創り出しているのである。

 イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンが提示した「ホモ・サケル(神聖なる生/呪われた生)」の概念をシステム論的に援用するならば、現代の天皇制における皇統とは、まさに国家という巨大なシステムを維持するために、基本的人権という近代の普遍的ルールから意図的に除外され、国家の祭祀と連続性のために「捧げられた」存在にほかならない。ルソーの『社会契約論』によれば、国家の主権者(国民)は、自らの自然権の一部を国家に譲渡することで市民としての自由を獲得する。しかし、天皇はその社会契約の枠組みの外にある。血統という偶然によって生まれた瞬間から、個人の自由を国家(OS)の連続性を担保するために手放しているのである。我々一般国民(レイヤー1・2)が完全な自由を保障されているのは、この国家の最深部において、一族の血統を継ぎ、個人の自由を持たずに祈り続ける存在が、国家の歴史的連続性の重荷をすべて引き受けているからに他ならない。

 この「象徴としての権威と、人間としての不自由の凄まじいトレードオフ」こそが、レイヤー3(皇統)が国民の支持と尊敬を集め続ける最大の法理的・精神的根拠である。天皇制が二千年にわたり存続し得たのは、彼らが独裁的な権力や無制限の自由を持っていたからではない。むしろ、それらを徹底的に手放し、国家と国民のために自己を無に帰す「神事(祈り)」に徹してきたからである。エルンスト・カントロヴィチが『王の二つの身体』において、中世の王には「自然の身体(生身の人間)」と「政治的身体(不滅の国家の象徴)」の二つがあると論じたように、日本の天皇は、自らの「自然の身体(個人の自由や欲望)」を完全に抑え込むことで、国家の連続性という「政治的身体」を体現しているのである。

 この絶対的な非対称性(国民の自由と、天皇の不自由)を理解したとき、なぜ皇統が「男系継承(父方に天皇の血を引く男子による継承)」という、現代のリベラルな価値観から見れば極めて理不尽なルールを固守しなければならないのかという、最大の論点に対する答えが明確になる。

 現在のリベラル派や一部の世論は、「男女平等の時代に男系男子に限定するのは時代遅れである」「女性天皇や女系天皇を認めるべきだ」と主張する。しかし、この主張は、システム工学における「ROM(皇統)とRAM(国民)の混同」という致命的なバグを含んでいる。「男女平等」や「基本的人権」というのは、レイヤー1および2に属する「国民の側のルール(現代の人間の理屈)」である。この人間の理屈を、一切の理屈を超越したROMであるレイヤー3(皇統)に持ち込むことは、アンカーとしての天皇の存在意義を根底から破壊する行為にほかならない。

 男系継承というルールは、男尊女卑というイデオロギーや、男性の遺伝子が優れているといった生物学的な理由から要請されているものではない。それは、二千年という途方もない歴史の中で「例外なく一度も破られることなく守られ続けてきた、極めて人工的で、絶対的な制約ルール」であるという、その事実自体にこそ唯一無二の価値がある。もし、「時代が変わったから」「人権感覚に合わないから」という理由でこのルールを変更したとする。それは、「皇統の在り方(レイヤー3のルール)は、その時代の国民の価値観や多数決(レイヤー1の論理)によって自由に変更できる」ということを公式に宣言することである。

 その瞬間、天皇の正当性の根拠は「二千年の連続性」から、「現代の国民の支持(多数決)」へと完全にすり替わる。国民の多数決でルールを変えられるのであれば、次の時代には「時代に合わないから天皇を公選制にしよう」あるいは「天皇制を廃止しよう」という議論を止める論理的な防波堤は完全に決壊する。男系継承というルールが、現代の価値観から見てどれほど非合理的で理不尽に見えようとも、いや、むしろ「現代の理屈が一切通用しない非合理的なルール」であるからこそ、それは国家の歴史的連続性を守るための「絶対のアンカー」として機能するのだ。人間の知恵や時代の流行リベラリズムが介入できないブラックボックスを国家の最深部に残しておくこと。これこそが、国家を維持する上で保守主義が持ち得る最高の知性である。

 国民(レイヤー1・2)は、血統を問わず、同化と契約によって誰でも平等に国家に参画できる。だからこそ、その国民を束ねる中心(レイヤー3)は、個人の能力も契約も一切関係のない、完全な不平等と不自由の極致たる「特定の血統(男系)」によって貫かれていなければならない。我々の享受する自由と平等の裏側には、天皇および皇室が背負う途方もない不自由が確固として存在している。我々が皇室に対して深い敬愛の念を抱くべき理由は、単なる歴史的な慣習ではなく、この冷徹なシステム的犠牲に対する道義的な応答なのである。

 しかしながら、この完璧に見えるシステムにも、現代の法制度上、放置することのできない重大な「バグ」が存在する。それは、皇位継承の可能性を持たない女性皇族や、傍系の皇族方に対する「非対称な契約状態」である。天皇という絶対的なアンカーを支えるために、継承の可能性がない方々にまで一律に厳格な人権制限を課し続けることは、法理的な不均衡を生むだけでなく、皇室というシステムそのものの維持を物理的に困難にしている。

 次章では、この冷徹なシステム論の観点から、男系男子以外の皇族方が抱える法的な矛盾をどう論理的に解消し、皇室をお守りしつつ再定義するのか。その具体的なバグ修正のプロセス(時限的信託の概念)を提示する。

【引用文献・資料】

・カール・シュミット『政治神学――主権の学説についての四章』(長尾龍一訳、未来社、一九九五年)

・ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』(高桑和巳訳、以文社、二〇〇三年)

・ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇八年)

・エルンスト・カントロヴィチ『王の二つの身体――中世政治神学の研究』(小林公訳、ちくま学芸文庫、二〇〇三年)

・『日本国憲法』(第三章 国民の権利及び義務に関する各規定)

・『皇室典範』(第一条 皇位継承資格に関する規定)


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