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小さな謎が解けたらー凸凹バディの呉日常ミステリー  作者:
第2章 標本の羽ばたく教室
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9/24

2-3

「おいおい。月曜日から生物部に来るとは。よっぽど生物好きか、あるいは相当な暇人と見えるな」

 準備室から現れた三島先生は、レンズの分厚い丸眼鏡を指で押し上げた。中肉中背で、きっちりとした七三分け。三十代か、いっても四十代前半だろうか。想像していた「おじいちゃん先生」よりずっと若い。

「先生! さっきまでタマムシを見てたんですけど、この犬星くん、すごいんですよ。種類をピタリと言い当てましたから!」

 蒲原先輩が、嬉々として三島先生へ訴える。

「……いえ。たまたま、存じ上げていただけにございます」

 犬星がまた、おかしな敬語で謙遜する。三島先生は環の変な敬語を気にする様子もなく、「ほう」と声を漏らし、丸眼鏡の奥の目を細めた。

「たまたま、タマムシを存じていたか。いいよな、タマムシ。あの構造色は、何度見ても飽きがこない」

 三島先生は、一人で深く納得したように何度も頷いている。

「あの……先生、そのタマムシ、何に使うんですか?」

 俺が素朴な疑問を口にした瞬間、その場の全員が、時間が止まったかのように俺を凝視した。

「えっ? 崎本くん、今、何に使うかって本気で言うたん?」

 井上先輩が信じられないものを見るような目で俺を見る。

「崎本……それは流石に、無粋が過ぎるんちゃう」

 環まで、取り繕っていたおかしな敬語が剥がれて、素の環に戻ってしまっていた。俺を異端者を見るような冷ややかな目で見つめてくる。

 ……え、俺、そんなにおかしなこと言った?

 三島先生は俺の当惑を見て、意外にもケラケラと愉快そうに笑い出した。

「あー、分かった分かった。崎本くんは、こっち側の人間じゃないってことだな。いいか、我々は何に使うかなんて効率的なことは一切考えていない。ただ――愛でる。それだけだ」

 愛でる……ただ、死んだ虫を。

「つまり、綺麗に標本にして残す、ってことよ」

 井上先輩が、待ってましたとばかりに、年季の入った裁縫箱のような木箱を取り出した。

 開けられた箱の中には、ピンセットや細いピン、それから発泡スチロールの板など、標本製作に使う見慣れない道具が整然と並んでいた。

「標本作りはね、ただ針で刺すだけじゃないんよ」

 井上先輩が、ヤマトタマムシをピンセットで器用に扱いながら説明してくれる。

「まずは体に針を真っ直ぐ通して固定する。そのあと、この板の上で脚や触角を一本ずつ、別の針を使って理想的な形に整えていくんよ。理想的な形っていうのは、図鑑に載ってるみたいなイメージかな。上から見たときにきれいに見える形を思ってもらえたらいいよ。あとで図鑑も持ってくるけん。これを『展足』って言うんじゃけど……あとね、虫本体以外にも大事なもんがあるんよ」

 先輩はそう言って、道具箱の隅にあった白くて小さな紙の束――ラベルを指差した。

「どこで、いつ、誰が捕まえたか。そのデータを記したラベルをセットにするんよ。あとは、種名をつけて完成。基本はこんなところかなー」

「あれ? でもさっきの箱、タマムシが全部ごちゃ混ぜに入ってませんでした?」

 俺の疑問を聞きながら、三島先生は、眼鏡を押さえてため息をついた。

「井上の言う通り、本来は、見つけた場所や日時を記録してから保存しとくんだが、何も知らん生徒らが適当に持ってくるもんでな。まあ、十中八九この呉市内だとは思うが……全く教育がなっとらん……」

 三島先生の後半の言葉は、ほとんど自分自身への愚痴のように小さくなっていった。

「こっちの箱には、ちゃんとメモが入っとる個体があるけん。これをやってみようか」

 蒲原先輩が二つ目の箱を開けた。そこにもまた、タマムシ――ヤマトタマムシが眠っていた。ただし、今度は一匹ずつ仕切られた空間にきちんと置かれていて、そこには『呉市阿賀◇◇公園 ◯月△日 名前』といった詳細な手書きのラベルが添えられている。

「これ、すぐに標本にできるように用意しとったやつじゃけん、やってみようか」

 井上先輩は、るんるんと言った擬態語が聞こえてきそうな様子で、リズムよく俺たちに道具を配り始める。

 標本作りは初めてだ。

 乾燥したタマムシの体に、慎重に針を通す。環は、まるで外科医のような手つきでピンセットを操って、小さな触角の角度まで細かく調整している。一方の俺は、虫を押さえつけながらピンを刺していく感覚が、どうにも落ち着かない。

「崎本、もっと関節のところを狙った方がええよ」

 環が小声でご丁寧にアドバイスをしてくる。

 俺だって、関節を目印に刺した方がいいことは分かっている。でも、細かすぎて、ピンが言うことを効かなかった。関節からは絶妙に外れた場所に、俺のピンは刺さり続けた。

「環って、タマムシ好きなん?」

「うーん、まあまあ。蝶の方が好き……でございますよ」

 雑談もそこそこに、環は口を閉じて作業に集中する。

 賑やかだった二年生たちも、今は黙々と標本作りに励んでいる。

 しばらくして、作業を見ていた三島先生がふらりと立ち上がった。

「じゃ、俺は準備室に戻る。君らが生物部に入ろうが入るまいが俺の知ったことではないが、何か面白いものを見つけたら、場所と日時をメモして持ってこい。……あぁ、そうそう」

 三島先生は扉に手をかけたまま、釘を刺すように振り返った。

「念のため言っとくが、コレクションのために、ルールを無視して生き物を殺すのは感心せんからな? 保全対象の種を採るとか、禁じられた場所で採るとかな。昔は俺もガンガン採取していたんだが、最近は動物愛護だ、ルールだなんだと言われるからな。もし俺が煽動したなんてことになったら、校長に大目玉を食らってタダじゃ済まん……」

 最後はまた独り言のようなぼやきになり、先生はそのまま準備室の向こうへと消えていった。


「はぁー……。これ、めちゃくちゃムズいですね」

 三島先生が準備室へ引っ込んだ後、俺は思わず大きなため息をついた。

 俺の手元にあるヤマトタマムシの標本は……お世辞にも美しいとは言えなかった。博物館の展示で見るような、あの綺麗に左右対称に揃えられ展示されている姿には程遠い。

 触覚の角度は左右あさっての方向を向き、さらに、あろうことか作業中にタマムシの左真ん中の脚がポロッと取れてしまった。

 タマムシさん、綺麗に完成させられなくてごめんよ。

 心の中で謝罪する。どうやら俺には、この手の緻密な作業は向いていないらしい。

 他の三人はどうだろうと覗き込むと、さすがに二年生コンビは手際が違う。すでに二匹目の標本に取り掛かっており、一匹目も美しい仕上がりだ。

 そして、隣の環を見て、俺は言葉を失った。

「環……めっちゃ上手いじゃん。職人かよ」

「……別に。慣れの問題やん」

 ぼそりと呟いた環は、耳の先を少し赤くしながらも、どこか誇らしげだった。

 ただし、こだわりが強すぎるのか、作業スピードは俺よりもずっと遅い。一本の触角の角度を決めるのに、ああでもない、こうでもないといった手つきでピンを動かしている。

 早々に集中力が切れた俺は、生物室の中をじっくり見渡すことにした。

 窓際には、陽の光を浴びる金魚とメダカの水槽。その隣には、愛嬌のあるウーパールーパーが、微動だにせず虚空を見つめて浮いている。

「それ、俺がメインで世話しとるんよ」

 ウーパールーパーに惹かれて、水槽を覗き込んでいると、いつの間にか隣には蒲原先輩が立っていた。

「かわいいじゃろ、ウーパールーパー。俺は昆虫のことはよう分からんけんね。どちらかと言えば脊椎動物の方が好きなんよ」

 脊椎動物という言い方が、いかにも生物好きらしい言い回しだと感心しながら、俺は同意した。

「確かに。俺もどちらかと言えば、足がたくさんあるやつより、脊椎があるやつの方が馴染みがありますね」

「じゃろじゃろ! いやぁ、嬉しいわぁ。最近、加藤の影響で生物部はみんな虫好きって思われとって、ちょっと肩身が狭かったんよ。生物部はね、個人個人が好きなものを研究していいし、ただ愛でるだけでもええ。三島先生も、口ではあんな感じで適当じゃけど、俺らが活動しやすいように色々準備してくれるし、意外と生徒を見とって、合いそうな研究対象を教えてくれるしな。ウーパールーパーも先生の勧めで。まぁ、そんなゆるい部活じゃけん、崎本くんも前向きに検討してみてや」

 これでもかとニコニコと勧誘してくる先輩を無下にもできず、俺は「前向きに考えます」なんて当たりさわりのない返事をしてしまった。

「あ、そうだ。せっかくだし、他のコレクションも見てみん?」

「それは興味あります!」

 マニアックな世界を覗き見るのは、嫌いじゃない。むしろ、好きだ。蒲原先輩も、井上先輩もそうだが、好きなことを楽しそうに話す人を見ているのは心地が良い。俺にはそこまで熱中できる趣味がないからだろうか――少々羨ましくもある。

「俺は今見せられるのがウーパールーパーぐらいじゃけん。じゃあ、さっき言った加藤の自慢のコレクションを見せてあげるわ。ちょっと待っとって」

 蒲原先輩はそう言い残し、隣の準備室へと消えていった。

 俺は再び席につき、最後の仕上げに没頭する環を眺める。

 しばらくして、準備室の奥から蒲原先輩の困惑した声が聞こえてきた。

「……あれ? 井上、加藤のコレクション、四箱あったはずなのに三箱しかないんじゃけど。心当たりない?」

「えっ、ほんまに四箱あったん?」

 井上先輩が手を止めて顔を上げた。

「今日の昼休みに確認したときは、確かにあったと思うんよ。先週の金曜日、あいつが持ってきて、そのうちの一つを特に自慢しとったけん。ほら、春休みに沖縄に行って採取したとか言っとったやつ」

「うーん……」

 井上先輩が腕を組む。

「あの準備室、全然整理されとらんけんね。どっかに紛れ込んどるんじゃろ。先生にも聞いてみようや」

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