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七津田高校の校舎は、上空から俯瞰すると綺麗なL字型をしている。L字の短い方が、今年できたばかりの新校舎。俺たち一年生の教室のある校舎だ。長い方が、少し年季の入ったコンクリート造りの旧校舎。どちらも四階建てになっている。
旧校舎の三階。その一番端っこに、生物教室はある。
「こんにちはー」
生物部に入りたいのは環なのに、なぜか俺が先頭を歩き、しかも先に挨拶をするハメになっている。心の中で小さく首を傾げながら、生物教室に踏み入った。
放課後の柔らかな春の日差しが差し込む生物室には、先客が二人いる。
といっても、どちらもネクタイやリボンの色が俺たちの学年のものとは違う。一年生の青の代わりに、赤いストライプの入ったネクタイやリボンは、確か二年生のものだったはずだ。
「うわー! 来てくれたん? 一年生よね。ようこそようこそ」
「来てくれて嬉しいわぁ。こっち入って」
先輩たちがガタガタと、理科室特有の背もたれのない椅子を引いて、俺たちを座らせてくれた。ぎぎぎ、と椅子と床がこすれる音が、まだ会話の始まっていない教室に、妙に大きく響く。
偏見で大変申し訳ないが、目の前に座る二人は、俺が抱いていた生物部員のイメージとは少しだけズレていた。もっと……こう、外見を気にしないオタクっぽい雰囲気の人たちを想像していた。だけど、二人ともオシャレだ。
女性の先輩は井上ひかり、男性の先輩は蒲原友樹と名乗った。
井上先輩は、制服を小慣れた感じで着崩して、胸元のリボンも緩めだ。蒲原先輩の方は、茶色がかったマッシュルームヘア、それから柔和な笑顔を浮かべて、俺たちを歓迎してくれていた。
「なんで月曜日に、真っ先にここに来てくれたん?」
早速、井上先輩が身を乗り出し、興味津々といった様子で俺たちを覗き込んできた。
それは……環が昆虫が好きで、生物部に興味があるからだ。それ以外に理由なんてあるだろうか。月曜日に来るのは、そんなにおかしなことだったのか? 俺と環は思わず顔を見合わせた。
「あはは、ごめんね、変な質問して。生物部ってね、初日に来る人ってそんなにおらんのんよ。今週一週間は見学期間じゃろ? みんな、最初は運動部とか、キラキラした人気のある部活を見に行って、生物部に来るのは……まあ、最終日の木曜日とか金曜日あたりが定番かな。みんな先にメインディッシュを決めて、そこから副菜を決めてるって感じ。生物部はかけもちもオッケーだから、運動部とかけもちで部活やりたい子がやってくるんよ」
なるほど。井上先輩の説明は、納得できる。俺も、環がいなければ、真っ先にソフトテニス部に行く。万が一、かけもちをしようと考えるなら、運動部二つをかけもつのはきついから、後半の部活見学では生物部や科学部、書道部のような部を選ぶだろう。
「……いえ、今日こちらにお伺いした理由は、私が、少々……昆虫を嗜んでおりまして。生物部が、その、最良の選択かと判断し、参った次第です」
突然、おかしな口調を繰り出した環を、俺は唖然と見つめた。まるで就職面接に挑む学生のようなガチガチのよく分からない口調だ。何でやねん。
環、まさかまだ大阪弁を隠そうとしているのか。それとも敬語に慣れてない? 緊張してる? とにかく、語彙がおかしな方向へ迷走しているようだ。
「そんなに固くならんでええよ。取って食わんし。あ、このお菓子は食べてね」
蒲原先輩も苦笑しながら、お徳用のスナック菓子が入った袋を差し出してくれた。
「虫、平気なんじゃったら、今うちらが集めとるやつ、見せてあげようか」
そう言って蒲原先輩は、隣にある準備室の扉を開けて中へ入り、お菓子の贈答用の箱を持ってきた。
箱は俺たちの座っているテーブルに置かれた。蒲原先輩が、ぱかりと蓋を開ける。
「ひゃあ……」
箱の中を覗き、俺は思わず、短い悲鳴を上げてしまった。
虫はある程度平気なはずだが、視界に飛び込んできたのは、予想外の光景だ。そこには、大量のタマムシの遺体が詰め込まれていたのだ。
「これって……全部、タマムシ……ですか?」
「お、よう分かったね」
蒲原先輩がにやりとする。
タマムシ――緑色に輝く、あの美麗な甲虫だ。
箱の中のタマムシたちは、光の加減で虹色に揺らめく翅を閉じ、静かに横たわっている。一匹なら「綺麗だな」で済む。しかし、ここには……少なくとも数十匹はいる。
隣の環を見ると、全く動じる様子はない。それどころか、楽しそうに、目尻がわずかに下がっているのを、俺は見逃さなかった。
「タマムシをこれほどの数、収集されているとは。へぇ、これ……シラホシナガタマムシでございますね」
環は、おかしな敬語を使いながら、缶の中の一匹をそっと指差した。
俺が知っているタマムシは、緑の体に赤い筋が入ったものだが、環が指を指した個体は違う。細い筆の先に白い絵の具をつけて、ぽてんと落としたような斑点が、翅のあちこちに散らばっている。
「えっ、種類まで分かるん!? 犬星くん、めちゃくちゃ詳しいじゃん! いやー、これはもう、絶対に入部してほしいわ」
井上先輩が、目を輝かせて環を絶賛した。
「……昔、図鑑で見たことが……あるだけでございます」
照れている。間違いない。
「いや、すごいわ。俺なんて、さっき崎本くんが言ったみたいに、これ全部タマムシっていう認識しかないもん」
蒲原先輩も感心したように頷く。
「……ちなみに。崎本が先ほど申しましたのは、一般的に言われる『ヤマトタマムシ』のことでございます」
環が、冷徹な解説者のような口調で俺の無知を訂正してきた。ヤマトタマムシ……今後の人生で口にする機会は二度となさそうだが、一応覚えておくことにしよう。
「これは、皆さんで集めてるんですか?」
俺が尋ねると、井上先輩が肩をすくめた。
「元々は三島先生が言い出したんよ。『タマムシの遺体を見つけたら、持ってこい』って。それを聞いた生徒たちが、半分面白がって持ってくるうちに、こんなことになってしもうて」
「それで、こんなに……」
あの変わり者と噂の三島先生。一体、これだけの遺体を集めて何をしようというのか。
「君は、なんか好きな生き物おるん?」
突然、井上先輩に話を振られ、俺は慌てて愛想笑いを浮かべた。
「いやぁ、すみません。俺は犬星の付き添いで来ただけなんです。動物園とか水族館は好きですけど、知識の方は全くなくて」
正直に答えると、蒲原先輩が再びニヤリと笑った。
「はは、ええよ。俺も実は、加藤の付き添いで冷やかしに来ただけだったのに、いつの間にか入部させられとった口じゃし」
「加藤って、どなたですか?」
「生物部のエース、かな。エース言うても、別にスポーツができるわけじゃないんじゃけど、この中じゃ一番、昆虫や動物に詳しいんよ。生物の成績だけは二年でトップクラス。それ以外は……まあ、残念な感じなんじゃけど」
「会いたかったですね。今日はいないんですか?」
俺は持ち前の社交性をフル回転させ、会話が弾むような言葉を差し出した。
「それがね、昨日まで『絶対勧誘するぞ!』って鼻息荒くしとったくせに、今日は見事に風邪引いて休み。肝心なときにいつもこれなんよ、あいつは」
蒲原先輩と井上先輩が顔を見合わせて、ふふふと笑った。その笑いには、揶揄うとか馬鹿にするとか、そんなニュアンスはない。仲の良さを感じさせる、温かな笑顔だった。
高校生っていいな、と思う。俺の通っていた中学校でなら、虫に詳しくて、生物しかできない、それだけで揶揄われていたかもしれない。――揶揄われるようなことでもないのに。
でも、ここでは『ちょっと面白いやつ』ぐらいで、自分の好きなものを、素直に好きと言えそうだ。蒲原先輩なんて、加藤先輩に誘われて渋々入ったのだろうが……井上先輩と三人で仲が良いのが分かる。
環もここなら、高校生活を楽しめるかもしれない。
――ギィ、ガコッ。
突如、隣の準備室から、立て付けの悪い扉を開ける音と、何かが派手にぶつかる衝撃音が響いた。
俺たちは一瞬、しんと静まり返ったが、井上先輩が慣れた様子で立ち上がった。
「あ、多分三島先生が来たわ。ちょっと呼んでくるね」




