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翌日、俺はある覚悟を決めて学校へ向かった。
クラスの人達と広く仲良くするのも大事だけど、今日の昼休みは、何が何でも犬星に話しかけてやる。俺には、どうしても犬星に確かめたいことが、話してみたいことがある。
訪れた昼休み。
チャイムの余韻が消えるより早く、犬星はスッと立ち上がって、誰にも構わず教室を出ていこうとした。
だけど、今日の俺は、犬星を逃がすつもりは毛頭なかった。
「ごめん! 俺、今日は食堂で食べるけん!」
「ありゃ、そうなん? それは残念」
昨日一緒に食べた青木くんたちのグループに笑顔で断りを入れ、俺はカバンから財布を掴むと、猛スピードで教室を飛び出した。犬星の後を追う。
「犬星ーーっ! 待ってー!」
新校舎の廊下、少し先をぐんぐんと長い足で進んでいく黒髪の背中に向けて声をかける。すると、犬星は体をびくりとさせて足を止め、振り返った。
「……何?」
「今日も食堂なんじゃろ? 俺も今日は食堂デビューしようと思っとったんよ。一緒に行こう」
犬星は、あからさまに迷惑そうな顔を作った。
そんな顔せんでや、って心の中でつっこむ。
けれど、面と向かって断る明確な理由が思いつかなかったのか、それとも何か別の意図があるのか。少しの気まずい沈黙の後、小さくため息をついて言った。
「……まぁ、いいけど」
七津田高校の食堂は、俺たちの教室がある棟とは別の棟の一階に位置している。
中に入ると、そこはすでに上級生や先生、そして俺たちと同じ新入生でごった返していた。お腹を空かせた高校生たちの熱気の中に、うどんの芳醇な出汁の匂いや、とんこつラーメンのガツンとした香りが混ざり合い、それだけで食欲が刺激される。
「犬星くん、何にするん?」
「……チャーハン」
「じゃあ俺はうどんにするわ。買ったらここで食べよう。席、キープしとくね」
ちょうど立ち上がったばかりの先輩二人の席を見定め、俺は自分のハンカチを素早く机に置いた。
「……」
犬星は、同意するでも拒否するでもなく、淡々と食券コーナーへと去っていった。
俺は初めての学食に少しキョロキョロしながらも、犬星のスマートな動きを真似て食券を買い、うどんのトレイを受け取る。
本当に席に戻ってきてくれるだろうか……と一瞬だけ不安がよぎった。けれど、さすがに犬星は俺を裏切るようなことはせず、俺がハンカチを置いた対面の席にチャーハンの皿を持って戻ってきた。ひとまずほっとため息をつく。
「よし、じゃあ食べようか。いただきまーす!」
「……いただきます」
ぶっきらぼうだけど、犬星が胸の前で小さく手を合わせ、小さな声で「いただきます」と唱えたのがなんだかおかしくて、俺は少し笑ってしまった。
「犬星くんって、これから毎日食堂なん?」
「多分」
「チャーハン美味しい?」
「普通……」
――予想はしていたけれど、まったく会話が弾まない。
一問一答のチャットボットを相手にしている気分だ。さて、どうやって本題に入ろうか。俺がうどんをすすりながら考えていると、今度は犬星の方から、どこか気まずそうな声を絞り出してきた。
「……なぁ、何で俺のこと誘ったん?」
「え?」
「いや……客観的に見て、俺、感じ悪いやろ」
それは自覚あったんだ、と言いそうになるのを、俺はぐっと堪えた。
「感じ悪いっていうか……何考えてんのかなって、気になったんよ。犬星くん、あまりにも言葉が少なすぎるんじゃもん。でも、俺的には犬星くんって……けっこういいやつかもなって思っとる」
「は? なんで?」
よし、外れてたら大恥だけど、ここまでの違和感を全部繋ぎ合わせてみよう。俺の脳内にある、犬星環の人物像をぶつけてみたい。
「違っとったら、ほんまに全力でごめんなんじゃけどさ。犬星くん……もしかして、入学式の新入生代表挨拶、先生から最初に頼まれとったんじゃないん?」
ビクッ、と犬星の肩が跳ね上がった。チャーハンを口に運ぼうとしていたスプーンが止まり、犬星は慌ててコップの水を一気に飲み干した。
「……なんで、そう思うん」
「だって、入学式のときに俺が新入生代表挨拶をすること、犬星くんは最初から知っとったじゃん」
「それは……崎本が教室で、白い封筒を持っとったからやろ。見たら分かる」
確かに、それはそうだ。だけど、俺の推理はそこからが本番だ。
「でもね、俺、教室であの紙を一枚も開いてないんよ。ただ白い和紙の封筒をカバンから出し入れしとっただけ。なのに、それを見ただけで新入生代表挨拶の挨拶の台本って、普通見抜けるもんかな?」
「……」
俺の言葉に、犬星が沈黙する。
「普通なら『その封筒、何?』ってなるじゃん。それが一発で分かったってことは、犬星くん自身も、新入生代表に縁があったんじゃないん。入学式当日に取り出すような白い封筒に心当たりがあったとか」
俺は、脳内で組み立てた簡単な推理を披露した。正直に言えば、別に外れていても良かった。これはただ、犬星の心の壁を少しでも崩すためのきっかけに過ぎないのだから。
黙り込んでしまった犬星に、俺は畳みかけるように、もう一つのピースを突きつけた。
「あとね、春休みに教頭先生から俺の家に電話をもらったとき、俺が引き受けたら『崎本くんに断られたら今年は本当にどうしようかと思いました』って言われたんよ。これってさ、もうすでに誰か他の人に打診して、盛大に断られた後じゃないと言わんセリフじゃろ? 教頭先生、妙にほっとしとったしね」
「……教頭、そんなことまで喋ったんか」
犬星が観念したようにポツリと溢した。よし、犬星が挨拶を断った張本人であることは、これでほぼ確定だ。心の中でガッツポーズを決める。
「ということは、やっぱり犬星くんが『学年一位』の成績でこの学校に入ってきたんじゃろ? 頼まれたけど断った。……そこまで考えたら、色々と納得がいくんよ。俺が机に忘れた台本を全速力で取りに行ってくれたのも、自分のせいで俺がピンチになったっていう罪悪感があったけん? それに、俺がみんなに学年一位を詰められて弁明しとるとき、変な顔をしとったのも……俺に申し訳ないって思ってくれとったけん?」
俺は、昨日まで色々と考えていたこと、その推理を犬星に突きつけた。
「……俺って、そんなに変な顔しとったか」
「うん、しとったよ」
俺は、犬星は冷たい人間じゃないと思っている。確かに初日と昨日、教室ではぶっきらぼうだったけど、本当は責任感が強くて優しい奴なんじゃないか、って。自分が断ったことで、俺に迷惑をかけた……とかそんなことを思ってるんじゃないか、って。
「もー、そんなに罪悪感を持つくらいならさ、俺がみんなに詰められとるときに『おい待て、実は学年一位は俺だ!』ってヒーローみたいに名乗り出てくれたら良かったのに!」
冗談めかして笑う俺を、犬星はただじっと、呆気にとられたような目で見つめていた。
そして次の瞬間――犬星は、初めて片方の口端を少しだけ持ち上げて、フッと皮肉っぽく、でもどこか面白そうに笑った。
「……その推理、一つだけ決定的に間違うてるわ」




