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まさか、こんなことになるなんて。
俺と環は顔を見合わせた。
「それ私のだよ。私の財布、返して……!」
小学校低学年ぐらいの小さな女の子が、泣きそうになりながら、小さな声で訴えかけてくる。
俺たちは、女の子を泣かすつもりなんてない。
子供が、みんなが、笑顔になるはずのイベントに来ているというのに。
俺の手には、小銭が入った透明なポーチが一つ。俺のものではない。この財布は、本当の持ち主に返すべきものだ。
でも、どう考えても、さっき財布を落とした子とは違う子がやってきて「返して」なんて言っているように思えるから……。俺はこの財布を、この目の前にいる子に渡していいものか分からなくて、途方に暮れた。
***
「まだ大和ミュージアムも行ったことがないのに、先にゆるキャラ祭に来るとはな」
押し寄せる人の波と、屋台から漂うソースの香りに包まれる中で、環が呆れたように呟いた。
「まぁ、大和ミュージアムはそのうち行けばいいじゃん。常にやっとるんじゃけん。俺も去年リニューアルしてから行ってないけん、今度一緒に行こうや」
「……別に一人で行けるけど」
「まあまあ。そう言わずに」
休日に環と会うのは、あの釣り以来、約一か月ぶりだった。この日は梅雨入り直前の、貴重な晴天。俺たちは今、呉の街を毎年熱狂させている一大イベント『呉ご当地キャラ祭』の真っ只中にいた。
「しっかし……なんやねん。この人だかりと、着ぐるみは」
「着ぐるみじゃない! ゆるキャラ!」
「おんなじやん」
「違うし! ゆるキャラに対する冒涜を許さんよ!」
俺がおどけて指を突きつけると、環は呆れ半分に肩をすくめた。
「ほんますごい数やな。……そんなにみんなゆるキャラが好きなんか? 崎本も、何かお目当てとか……高校生にもなって、まさかあるんか?」
「あるよ! つーか、高校生になって、はかなり余計じゃわ。いくつになっても好きなものは好き、この前学んだじゃろ」
俺が軽く言い返すと、環は素直に謝った。
「ごめん……」
「ええよええよ。俺もそう思うことあるもんな。環ならまあこうやって言い返せるけんええよ。今日は俺の『推し』に会いに来たんよ!」
俺は意気揚々と、今日のメインキャストを指折り数えて説明し始めた。環は「話が長くなりそうだ」とばかりに怪訝な顔をしたが、俺は止まるつもりはない!
まずは『呉氏』。言わずもがな、我が町・呉の顔だ。頭にデカデカと「呉」の文字を掲げた、あのシュールで愛くるしいフォルム。一度見たら忘れられない、呉における絶対王者だ。フォルムだけではない。すごいのはその動きだ。『キミクレハート』という呉のテーマソングに合わせて、ゆるキャラらしくないキレッキレの踊りを披露する。
それから、『ふなっしー』。言わずもがな、全国的大人気キャラだ。悔しながら、呉氏よりもふなっしーを知っている人の方が多いだろう。
この祭りにおいて、ふなっしーの存在は特別だ。
2018年の夏、呉は大変な集中豪雨災害に見舞われた。甚大な被害が出る中、ふなっしーは復興に向けて真っ先に駆けつけてくれたのだ。さらに、全国のゆるキャラたちに支援を呼びかけ、呉で会おう!と言って呉を盛り上げ、勇気づけてくれた。ふなっしーが動けば、皆が動く。あの梨の妖精が全国の仲間たちを連れてきてくれたことで、この祭りは復興と希望の象徴になったのだ。
そして今日、俺が何としても会いたかった本命……。
「あ! いた、さぬどん!」
「さぬ、どん?」
環が怪訝な顔をする。香川県の『うどんの妖精♪さぬどん』。八の字になった困り眉と、分厚い唇が特徴的なキャラだ。だが、彼はただのキャラではない。とんでもなく臨機応変でかっこかわいいキャラなのだ。
あれは昨年のステージ。子供たちとさぬどんたちが踊るはずだった曲が、手違いで「歌の入っていないカラオケ音源」になって流れたのだ。静まり返る会場。一瞬、「あれ? いつもと違う?」という雰囲気が流れた瞬間、なんとさぬどんはその場で歌い始めたのだ。
音楽の代わりに、さぬどんのかわいらしい歌声が会場に響き渡った。しかも、曲はなんと『キミクレハート』。自分のテーマソングでもないのに、呉のテーマソングを堂々と歌い上げたのだ。
SNSでその映像を見たとき、俺はスマホの前で感動した。あの状況で、機転を利かせて子供たちを笑顔にし続けるなんて。あれ以来、俺はさぬどんのファンである。
環に話しながら、俺はスマホでパシャパシャとさぬどんを撮った。
「……中の人、やるな」
俺の熱い説明と、SNSにアップされた動画を見て、環がボソリと呟く。
「中の人なんておらん! うどんの妖精さん!」
冗談を混ぜて否定の言葉を発してみたが、俺も現実が分かっているから、苦笑いして同意する。
「俺もそう思う。運営しとる人たちの熱量、ほんま凄いよな。俺もそんな臨機応変な大人になりたいわぁ。そういえば環、大阪のどこ出身やったっけ?」
「泉佐野市やけど」
「泉佐野市!?」
俺はおそらく、今日一番大きい声を出した。周囲の人が少し振り返る。
「なんや、いきなり……」
「泉佐野市のゆるキャラ、知らんのん!?」
「知らんし」
平然と「知らん」と言い放つ環に対して、俺は、この世の終わりを見るような哀れみをこめて見つめた。
「環、人生半分損しとるで。泉佐野のキャラ、ぶちかわいいしかっこええで。……イヌナキンって言うんよ。大人気漫画を描いた漫画家がリライトしたデザインなんよ。ほんまに知らんのん? 正直、めちゃくちゃ好き。犬鳴山があるからイヌナキンらしいよ。というか、環も苗字に『犬』あるし、何か関係あるんかな」
「まじで? イヌナキンかぁ……。知らんかった」
このイベントに誘ったときは、興味なさそうだったのに。今は環の目に、少しだけ光が宿る。
きっと、環もイヌナキンの魅力に落ちる日は近い……はずだ。まぁ、そこは長い目で見ていきたいと思っている。
バッチリ、環に今日の目的と、推しのゆるキャラを布教した俺は、まず一つ満足をしたのだった。




