2-5
「ちょっと確認したいことがある。二年生の教室、行ってくるわ」
翌日の昼休み。購買で買ったパンを口に押し込むなり、環が唐突に言い出した。
「昨日の……加藤先輩の標本のことで?」
「そう」
環はそれ以上話すか迷っているようだったが、結局何も話さなかった。でも、その目はいつになく真剣だ。口数の少ない環が何を考えているのかは完全には読み取れない。けれど、俺にも一つだけ、喉に刺さった魚の小骨のように気になる点があった。多分、環と同じことを考えているのではないかと思う。
「俺も一緒に行くよ。今日なら加藤先輩も登校しとるかもしれんしね」
俺たちの教室がある新校舎の一階から、さらに上の階へと階段を上る。同じ建物の三階、四階が二年生のフロアだ。
上級生のフロアに足を踏み入れるのは、少しだけ背伸びをするような、ちょっとした緊張感がある。まだ入学後二週間と少し。上の階まで来る一年生が珍しいのか、先輩たちが俺たちの顔を見ているような気がした。
「あ、一年生の子ら! 昨日はほんまごめんね」
二年生の教室を訪ねると、蒲原先輩が真っ先に駆け寄ってきて、また頭を下げた。周囲の先輩たちが「何、知り合い?」と物珍しそうに俺たちを見ている。
「いえ、それは全然いいんですが……標本のことが気になって。加藤先輩の、見つかりましたか?」
昼休みはあと十分ほど。ここでごまかして話を長引かせても仕方ないので、単刀直入に切り出す。蒲原先輩は「うーん」と情けない声を上げて肩を落とした。
「まだじゃね。というか、今日はまだ生物室に行ってないんよ」
それから、蒲原先輩は周囲を気にするように声を潜めた。
「……実は、まだ加藤には話しとらんのんよ。あいつ、まだ微熱があるみたいで今日も休み。余計な心配させて、ぶり返してもいけんしね。あいつが出てくるまでに見つけたいんじゃけど……」
「加藤先輩自身が、あの三番目の箱を持って帰ったって可能性は、ございませんか?」
環は今日もおかしな敬語のままだ。蒲原先輩はもう突っ込む気力もないのか、慣れたのか、冷静に首を振った。
「それはないわ。昨日の昼休みまでは、絶対にあそこに四つあったんよ。万が一、俺が見落としとったと仮定しても、昨日は加藤は休んどるし、土日は学校自体が休みじゃろ。土日は生物室の鍵もしっかり閉まっとったと思うしね」
一年生は心配せんでいいよ、と言って去ろうとする蒲原先輩を、俺は引き止める。
「そういえば、昨日、なくなったときに真っ先に蒲原先輩は、井上先輩に標本のことを聞いてたじゃないですか。井上先輩が知ってるって心当たりが何かあったんですか? あ、疑ってるわけじゃなくて、無くなってすぐ蒲原先輩が三島先生より先に井上先輩に聞いてたからどうしたのかなぁって」
俺は、あくまで、昨日あの場にいた者の疑問として無邪気に聞いた。
それが通用したのか、蒲原先輩は、何でもないように答えた。
「俺はね、井上が隠したんかなと思うたんよ。あいつ、ああ見えて結構いたずら好きで。もちろん、盗むとかじゃなくて、俺らを慌てさせて『じゃーん、実はここでした!』とか言い出しそうというか」
「前にも、そういうことがあったんですか?」
「あったあった!」
そう言うと、蒲原先輩は楽しそうに話してくれる。
昨年、蒲原先輩が、魚類の骨格標本を持ってきたことがあったらしい。それを生物室に置いていたら、井上先輩が隠した、と。
「でも、全く珍しいものでも大事なものでもなかったけん、俺はなくなっとることにも気づかんかったんよ! 次の日に井上が『なんで気づかんのん!?』って言いながら、俺の机の奥から骨格標本を出してきたことがあって。俺を驚かそうと思ったらしいんじゃけど」
なるほど。それなら、昨日蒲原先輩が真っ先に井上先輩を疑ったのも頷ける。
「ありがとうございました。早く見つかるといいですね。また綺麗な蝶、見せてもらうのを楽しみにしとります!」
「こっちこそ、気にしてくれてありがとうね」
蒲原先輩と別れ、俺たちは一つ下の階にある井上先輩の教室へ向かった。
階段の踊り場で、環がふと足を止めた。
「崎本。今から井上先輩に会ったら、俺の代わりにこれ、聞いてくれん?」
ごしょごしょ、と耳打ちされる。
なるほど、確かに。
「それは……井上先輩が本当に中身を知っとるか、確認するためよな?」
こくんと環が頷く。
「リトマス試験紙みたいな言葉やな」
そこまで打ち合わせをして、俺たちは井上先輩の教室にたどり着いた。
――数分後。井上先輩との会話を終えた俺たちは、廊下の隅で顔を見合わせていた。
環が、深く長いため息をつく。
「消去法で、あの人しかおらんやん」
「そうじゃろうな。状況的に、多分。というか、絶対」
井上先輩は、俺たちが仕掛けた「リトマス試験紙」に対して、何の反応も示さなかった。
「……でも、なんでそんなことしたんやろ。意味分からん」
環の呟きに、俺は思わず吹き出してしまった。
「なんでって……環、分かってないん?」
「……何がおかしいんや。崎本には分かるんか?」
環が不機嫌そうに眉を寄せる。
俺は腹を抱えて笑い声を上げた。
「多分、分かる。環は探偵みたいに犯人を当てる方はうまいけど、犯人の動機には疎いタイプとお見受けしたわ」
俺が茶化すと、環は怪訝そうな顔を見せた。悪いが、今回の場合、犯人が分かった時点で動機はこれしかない。
「まぁ、今回は一番の原因の環には分からんのんかもな」
「俺? 俺が原因?」
狐につままれたような顔で立ち尽くす環に、俺は人差し指を立てて告げた。
「今回の件、環が昨日生物部に行かんかったら、加藤先輩の箱は一つもなくなってなかったと思うよ」
「はぁ?」
環の言葉と同時に、キーンコーンとチャイムが鳴り響いた。
呆然とする環を置いて、謎の解けた俺は、軽やかな足取りで一年のフロアへと続く階段を駆け下りた。




