無邪気な蹂躙、あるいは王都への引導
漆黒の沼がもたらした足止めは、皮肉にも最悪の軍勢を造り上げていた。
瘴気の森の奥地、そしてペオニア帝国の各所に散っていた魔獣たちが、ヒロンの招集に応じて続々と集結。その数は膨れ上がり、今や五万を超える大軍勢と化している。
そこへ、旧カグナール領主城から転移魔法で駆けつけたミロンとヒロンは、眼下の光景に怪訝な表情を浮かべた。
本来ならあと一週間は維持されるはずの漆黒の沼が、目に見えて縮小し、今にも枯れ果てようとしていたからだ。
「この辺りの空気は、瘴気を拡散させる勢いが強すぎるんだぞ。何があったかは知らないけど、まあ丁度よかったのだぞ。わたいはこの内の……そう、一万ほどを引き連れて、トレミエール王国の首都へ殴り込みだぞ!」
「……確かに。漆黒の沼も、もうすぐ枯れそうになっていますわね。ならばあたくしは、あそこで無駄な足掻きを続けているセラムの軍勢に、底知れぬ絶望を与えてやりましょう」
ミロンとヒロンは、不敵な笑みを交わしてパチンと手を打ち鳴らした。
「あたいは先に王都にいっているぞ。転移門――『ディメンション・ゲート』!!」
ミロンの詠唱と同時に、魔獣たちの足元に巨大な魔法陣が浮かび上がり、眩い光が溢れ出す。光が収まったとき、そこを埋め尽くしていたはずの五万の魔獣は跡形もなく消え去り、ぽっかりと不気味な空白だけが残された。
「出でよ、ワイバーンの王――『カムイ』ッ!!」
ヒロンの呼び声に応じ、天を裂いて一際巨大な翼が舞い降りる。颯爽とその背へ飛び乗ったヒロンは、残った魔獣たちを見下ろし、邪悪な高揚感を露わにした。
「この漆黒の霧が晴れたら、トレミエールのヒューマンどもは皆殺しですよ。さぞかし、いい声で鳴いてくれるんでしょうね……ぇ!」
ヒロンは舌なめずりをし、吊り上がった口角から残酷な笑みを零した。
◇ ◇ ◇
トレミエール王国の王都、その中心に位置するコロッセウム。熱狂に沸くはずの聖地の地面に、禍々しい魔法陣が浮かび上がった。
その中心から、巨大なワイバーンに跨った少女が躍り出る。南国風の鮮やかな衣装を纏い、不遜に腕を組む美少女――「ミロン」だ。
彼女の背後からは、底なしの深淵から溢れ出すかのように魔獣の群れが次々と這い出してくる。
折しも、五万人を収容したコロッセウムでは「最強剣闘士決定戦」の真っ最中だった。
華やかな舞台は一瞬にして修羅場へと変貌する。剣闘士たちは突如現れた魔物の群れに応戦するも、多勢に無勢。一人、また一人と魔獣の顎に消えていく。
数万の観客はパニックに陥り、出口へ殺到した。だが、客席の壁を這い登るゴブリンやオークの群れが、逃げ場を求める人々を蹂躙していく。魔獣たちの狙いは、ヒューマンの女だ。
仮面で素顔を隠した貴族たちも、今日ばかりはその特権を享受することはできない。護衛の騎士や冒険者たちが必死の抵抗を試みるが、雲霞のごとく湧き出る魔獣の前には、その命も灯火に過ぎなかった。
客席から引きずり下ろされ、魔獣がひしめく舞台へと投げ込まれる人々。それは、裸祭りで投下された宝木を奪い合う群衆のごとき凄惨さで、落ちた先から肉塊へと変わっていった。
やがてコロッセウムの「餌」を喰らい尽くした魔獣たちは、さらなる獲物を求めて街へと溢れ出す。
異変を察知し、王都を死守せんとする近衛騎士団一万の精鋭がコロッセウムを包囲した。だが、ワイバーンの上で不敵に笑うミロンがその手をかざす。
「やばい、手間が省けたんだぞ。王族こそがあたいらの敵だ!――『ブラック・ライトニング』っ!」
漆黒の雷鳴が轟いた。
騎士たちが咄嗟に構えた盾ごと、その身体を漆黒の雷光が貫く。鎧も、盾も、剣も、触れたそばからドロドロと腐食し、無残な残骸へと成り果てた。
「おっと、ちゃんと手加減できてるかな? ――『トルネード・イレイザー』!」
追撃の旋風が吹き荒れる。まだ人の形を保っていた騎士たちは天高く舞い上げられ、塵一つ残さず消滅した。
直前までの腐臭さえもが吹き飛ばされ、そこには戦場にそぐわない、あまりに清涼な空気が漂っていた。
「道は切り開いた! 王城に向かって進撃開始だぞ!」
ミロンの号令の下、瓦礫となったコロッセウムから王城へと魔獣の列が突き進む。
生き残った騎士団や魔法師団が到着し、決死の波状攻撃を仕掛けるが、ミロンの圧倒的な魔力の前には無力だった。十数人の魔導師による四属性魔法さえも、彼女は鼻歌交じりに無効化し、蹂躙していく。
魔獣の数は数千まで減っていた。だがそれは、討たれたのではない。多くの魔獣たちが、より容易な獲物を求めて平民街や下町へと散っていった結果だ。
もはや、王都に安全な場所などどこにもなかった。




