「背景」と呼ばれた少年の選択
脳裏に蘇るのは、数週間前の光景。ここは、千葉県立華嶺高校二年三組の教室だ。
二学期の中間試験が終わった午後の、あの緩みきったホームルームだ。
「次、竹内!」
担任の秋山先生――地味なメガネのアラサー独身、メガネを外した顔は絶世の美女だったと目撃者は言うが――に呼ばれ、俺――竹内巧は教壇へ向かった。
黒板の端、俺が狙うべき「アタリ」の場所をこっそり確認する。全集中。狙うは一点。
担任が昨夜、徹夜で作ったという『修学旅行班分け大抽選会』と書かれた段ボール箱。そこに腕を突っ込み、指先に触れたくじを迷わず引き抜いた。
二つ折りの紙を開く。そこには――『E』の文字。
(……よしっ!)
心の中で激しいガッツポーズ。 何食わぬ顔で黒板へ歩き、E班の枠を確認する。
そこにはすでに、俺の意中の相手、松島莉那の名前があった。 手の震えを悟られないよう、莉那の名前の下に、わざと雑な字で『竹内巧』と書き殴る。
背後から野郎どものため息が聞こえたが、知ったことか。俺は緩みそうになる口元を引き締め、平然と自分の席に戻った。
最終的に、E班のメンバーは以下の六人に決まった。
女子: 杜若詩音、桜坂華恋、松島莉那
男子: 梅田清、竹内巧、藤井寺靖
「よし、これで全員だな。じゃあ班ごとに集まって京都の自由行動の予定を立てろ。いいか、勝手な単独行動は厳禁だぞ」
秋山先生はそう告げると、早々に単行本を開いて自分の世界に入ってしまった。 教室中がガタガタと机を動かす音で騒がしくなる。
さて、E班はどこに集まれば……。
「E班、ここに集合! あたし、動くのメンドイから」
窓際の後方から、よく通る声が響いた。
桜坂華恋。
ロシアとのハーフで、銀髪の毛先をピンクに染めたミディアムレイヤー。アメジスト色の瞳に、彫りの深い美貌。改造制服で強調された抜群のスタイルと、無敵のコミュ力。 クラスカーストの頂点に君臨する彼女に、異を唱える者などこの教室には存在しない。
「……華恋。詩音がこんなのと一緒の班なんて、最悪。はぁ……」
桜坂に向かって深い溜息をついたのは、もう一人の女帝、杜若詩音だ。
光の加減で藍色に見えるほど艶やかな黒髪ロング。袴のようなロングスカートの佇まいだが、不良っぽさとは無縁の「武人」としての気品に溢れている。
それもそのはず。彼女は古流武術・天衝幽玄流の跡取り娘だ。
渋谷で絡んできたチーマーの集団を伸縮警棒一本で病院送りにした……なんて物騒な噂も、彼女の冷徹な美貌を見れば「あり得る」と思わせてしまう説得力があった。
「ご、ごめんなさい……」
消え入りそうな声で謝ったのは、俺が密かに想いを寄せる相手――松島莉那さんだ。
肩にかからない柔らかなボブカット。小動物のように揺れる大きな瞳と長い睫毛。標準的な制服に身を包み、小柄な体をさらに縮こまらせている。
「莉那のことじゃないわよ。そこのアホな男たちのことを言ったの」
「莉那が代わりに謝る必要はない。詩音は不器用だが、お前とは友達になりたいと思っていたんだ」
桜坂と杜若の二人が、莉那にだけは「悪かった」とばかりに手を合わせた。
弓道部で全国トップクラスの実力を持つ莉那さんは、『静』の美少女として杜若と並び称される有名人だ。
夏のインターハイで見せた、凛とした袴姿。あの瞬間に俺の心は射抜かれたのだ。春は短し恋せよ性年って字が違うか。
(恋愛など無意味……それが『掟』だ……)
不意に脳裏をよぎる、霞がかった記憶。掟? 何の掟だ? 混乱する頭を振って、俺は思考を今に引き戻した。
「アホって、ワイらのことなんか?」
「アホちゃいまんねん、パーでんねん」
「認めてどないすんねん!」
小気味いい打撃音とともに、清が靖の頭を叩いた。
梅田清と藤井寺靖。大阪からの越境入学者である二人は、カースト上位層から伝説の漫才コンビになぞらえて『ヤスキヨ』と呼ばれている。
本人たちも「目立てば勝ち」と言わんばかりに自虐ネタを披露しているが、その実体は転生モノをこよなく愛する異世界オタクだ。
「まあ、あんたたちは賑やかし担当ね。それで、最後の一人は?」
桜坂の視線がさまよう。ヤスキヨの二人がわざとらしくキョロキョロし始めたので、俺は靖のメガネを指先で弾いてやった。
「メガネ、メガネ、どこやねん……?」
「コラ、わざとらしいねん!」
ひとしきりボケ倒した後、ようやく靖が俺の方を振り返った。
「わっ! 自分、背景かと思ったわ!」
「そういうのはいいから」
「いやいや、あのゴ○ゴ13の背後を取れるのは竹内、あんただけやで」
「「「「うん、うん」」」」
班員全員が深く頷く。
俺、竹内巧は、とにかく影が薄い。球技大会で某バスケアニメ並みの『ミスディレクション』を無意識に発動させ、味方にすら認識されず一度もパスが来なかったのは、今思い出しても涙が出る。
「竹内巧です。特技は影が薄いこと。忘れられないように必死についていきます」
十二歳までの俺は、家族に強要された特殊な訓練で鍛え抜かれた神童だった。
だが、一年間の入院を経て、当時の記憶の大部分と身体能力を失ってしまった。今の俺は影が薄いだけのただのモブだ。
「あんた、竹内っていうんだ。……まあ、そうしてもらえると助かるわ。あたしたち、あなたを置いていく『自信』があるから」
「詩音に手を繋いでもらうとか、期待しないでね」
相変わらずの塩対応。だが、何より堪えたのは――。
縋るような俺の視線から、莉那さんがそっと目を逸らしたことだった。
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