かなり暖気かもしれない
「……随分と景色が変わりますのね……」
眼前に広がる草原は青々と草が繁っていて、|戦ぐ微風にその草がゆるゆると波打ち、緑の海のように見える。でも潮っ気もべたつきもなくとても爽やか。陽射しが少し強くて暑いが、からっとしていて全く不快感はない。伸びがしたくなるほど気持ち良い。
残念ながらその穏やかで長閑な景色は私の領地ではない。別の貴族の治める土地。私の領地は森の端まで。この森が領境だ。かなり曖昧な気がしたけど、ちゃんと領境石なるものが埋め込まれていた。結構大変だったろうに、妙なところがしっかりしているな。
「そうですね。山脈のせいでしょうか。その辺りはよく分かりませんが……」
「そうね。……それにしても、これだけ見晴らしの良いところから賊が侵入してくるなんて……。一体何処に拠点を作っているのかしら。見つからずに休めそうなところがあるようには見えないのですけれど」
タナーの言葉にぐるりと見える範囲に目を凝らすが、見渡す限り、緑の海。村や集落どころか道の1つもない。これで人を見つけられないほうが難しい気がする。まして警備のプロなら猶更。
「それ故の、夕方から夜半にかけての侵入なのではないかと思います」
「夕方はともかく、夜になれば灯りなしには難しいと思いますけれど……それでも気づくと領境に迫られているのですわよね?」
「はい。私共も不思議に思っているのですが……。これより先はワディング領になりますから、簡単には調べようもなく……」
あら、物凄く悔しそう、タナー。完璧主義者って感じ? まあ、他領への出入りは割りと自由だけれど、商売や移住、調査は勝手にできないし、分からなくとも当然だと思うけどな。
「仕方ありませんわ。勝手に調査|等を行えば此方が咎められますし。そもそも何の証拠もなしにワディング領に賊の拠点があると断じることはできませんもの。調査は考えなくてよいですわ」
そんなことしちゃったら|此方が罰を喰らう。それはパス。そんなことで|タナー(できる人材)を失うほうが痛手だ。
「それよりも他のことが気になりますわ」
広がる草原から振り返って森に視線を向けると、その場にいた皆が森に視線を向けた。ちょっと面白い。イケメン率が高いけど、今同行してくれている警備員の纏め役の警備隊長は、当然その道の人なので勿論とても鍛えられた身体をしている。フォードは半年程休職しているとは言え騎士は騎士、やっぱり鍛えられた身体つき。そしてタナーも渋メンなのにがっちりした筋肉質な体型。イケメンだけどごつい男達がぴったり揃って同じ動きをするとか、か、可愛い。笑える。くっ、駄目よ私、笑い上戸は堪えるのよ。今は真面目な場面なんだから!
「……他のこと、とは?」
あ、ごめんタナー。答えるの忘れてた。
「……なぜ、わざわざ此処から侵入するのか、ですわ」
よし、繕えた、よね?
……えー、それはともかく、自分で言っといて何だけど、そうなんだよねえ。此処、何にもないんだよ。侵入してきたところで盗む物がないとか言う前に人すらいない。何でそんなところにわざわざ来るかな?
アルトレイ領に行けばそれは勿論、栄えている。でも此処からだと遠回り。何なら面倒。だと思うのは素人考え?
「アルトレイ領に入る為にしては随分遠回りではありませんの? 森の中だと拠点が作りやすいからですかしら? としても、補給に困ると思うのですけれど……」
警備員の皆さんだって、1番近くの村から週1で食糧を運んできているのに。ワディング領のほうだって近くに村もない。
「どう思いまして?」
素人の私に分かる筈もない。なら分かりそうな人に訊くのが1番。此処には3人もいるし。
「今のところは、あくまで推測の可能性でしかありませんが……」
おお、流石タナー。推測でも何でも良い。解決の糸口が欲しい。
「構いませんわ」
「では僭越ながら。これは可能性としては低いものですが。無断移住です」
「むだんいじゅう」
鸚鵡返ししちゃった。聞き慣れない言葉だけど……無断移住、かな? あ、大真面目に頷かれた。うん、分かってる振りで通そう。
「はい。アルトレイの旦那様にお伺いしたところ、ワディング領は、言葉が悪いのですが、少々貧しいようでして……」
「……そうですの……」
広がる草原を振り返る。緑豊かで貧しいようには思えないけれど。やりようが悪いと言うこと? 何にせよ、暮らし難ければ民は逃げ出す。それはどの世界でも変わらないってことか。
「……他の可能性は?」
「鉱山資源の強奪です」
「……随分物騒ですわね……」
アルトレイ領の鉄鉱石が狙いか。それにしても犯罪だよ? 捕まれば貴族としてどころか人として終わるけど。そこまでするかね。
「此方のほうが可能性は高いです。昔からワディング家は、この地──お嬢様の領地となったこの領地を、己の物と主張しておりますから」
「……そうですの……」
それって最早犯罪者の思考では? 分かんないわあ。私、色々問題があるという自覚はあるけど犯罪は無理。小心者に犯罪は無理。恐ろし過ぎる。捕まったらって考えたら無理。絶対無理。考えるだけで心臓がばくばく言うわ。
「ただ、残念ながらどちらも推測に過ぎませんが」
悔しそうだなあ、タナー。まあ、推測じゃあワディング家に乗り込めないしね。
鉱山、ね。あの山脈か。森の上に見える荘厳な雰囲気の山々。近いから迫力がある。
何にせよ。
「……一旦拠点まで戻りましょう」
颯爽と踵を返した──ところでぐいと肩を引かれた。うわ、転ぶ──! と思ったけれど。
「お嬢様、申しわけないことを致しました。ですが──」
フォードにがっちり抱え込まれてことなきを得る。ほっ。ワンピースと言えど上質な物。あんまり汚したくない。洗濯婦の皆さんが大変だし。洗濯機がないから専門職になるとか、洗濯の大変さがここでも窺われる。
いや、今はそれどころじゃない。
「フォード、一体──」
「来る……! 警戒せよ!」
小声でフォードが命じた。こんなフォードは初めて見た。抗い難い声音。厳しい表情。油断なく辺りを見回す鋭い眼。
警備員の皆さんは当然のように警戒体制に入っている。
でも来るって何が。何が来るの。何か皆怖いんですけど。あ、ターラは? あ、良かった、タナーがついてる。
「タナー殿。我々は足手まといになります。少し離れたところに身を潜めましょう」
「それが良いでしょう。──後は頼みますよ」
タナーとフォードの連携が凄い。警備員の皆さんの頷きが心強い。それにしてもフォードが近い。
「お嬢様、ターラ殿。静かに、身を低くしてついてきてください。できますか」
「ええ」
「……はい……」
ターラ、顔色が悪い。大丈夫かな……。しかしどうにも心配してうだうだしていられるような雰囲気じゃない。フォードは既に進み始めている。殿はタナー。黙ってついていくしかない。
獣よろしくがさがさと匍匐前進擬きで進む。う、これ結構きつい……! 明日は筋肉質待ったなし。うへえ。
「……此方へ」
フォードが僅かな窪みに誘う。よく見つけたなあ、こんなところ。あ、ターラ。ちょっと震えてる? 大丈夫かな。手を握るしかできないけど。
「……お嬢様」
「大丈夫ですわ、きっと。皆さんを信じましょう」
あ、タナーとフォードが滑り込んできた。
ん? 何だか叫ぶ声と剣戟の音がするような……。この金属音、剣戟だよね。クローディアおば様のところで聞いたことがある。つまり、話していた賊が来たってこと? でもパターンが違うんじゃない? どういうこと?
「お嬢様。いざとなったらターラ殿と走って逃げてください。──拠点は彼方のほうにあります。道がなくともそのままなるべく真っ直ぐに走ってください。宜しいですね?」
いざとなったら。
この期に及んでぴんとこない。
「フォードはどうするのです? タナーは?」
「タナー殿も一緒に行って頂きますが、万一を考えて、方向を覚えておいてください」
「フォード。あなたは」
「私はこの足です。一緒に逃げるのは無理ですから、後から別の方向から逃げます」
「それではあなたが危ないのではなくて?」
それくらい、平和惚け著しい私でも分かる。フォードは囮になるつもりだ。多分。
「鈍っているとは言え、一応騎士ですから。戦い方は心得ています」
──イケメンスマイルを今使わないで。近過ぎて目が潰れるから。
「──いけません。|私達全員でいましょう」
「しかし──」
「駄目です。これは命令です、フォード」
「──」
そんな不服そうな顔をしても駄目なものは駄目。ランディ叔父様に頼まれているんだから。私自身は危険に鈍いとは言え、フォードが危ないことを引き受けようとしていることくらい分かる。それは絶対駄目。皆一緒に帰るんだから。
「──お嬢様、お静かに」
あ、ごめんタナー。小声のつもりだったんだけど──て、そういう意味じゃない? タナーは何処を見てるんだ?
ん? 今、微かに「お嬢様」と呼ぶ声がしたような?
「──!」
ひいっ! 何かが来た! がさって! 繁みががさっていった! 頭! 頭を隠さなくちゃ! 違う顔!
「……お嬢様」
……フォードが溜息吐いてる……?
「警備隊です。どうやらことなきを得たようです」
ことなきをえた……。フォードが窪みから顔出してる。背中広いなあ。綺麗な逆三角だ。うむ、大変に好みである。肩幅広くてウエストがきゅっとしてるの、良いよねえ。器械体操の選手の体型とか、結構好み。この世界に器械体操なんてないけど。あ、フォードが誰かと話してる。タナーと……。
あ、警備隊長。
何か頭がはっきりしてきた。引っ繰り返っていた心臓が戻ってきたらしい。緊張している時に物音するの、いくない。ホラー映画とかによくあるあれ。めっちゃ嫌い。怖い。心臓止まる。
さて。
「ターラ。大丈夫?」
「……い。はいい……」
あ、駄目だ。警備員の何方かにお姫様抱っこしてもらおうそうしよう。
ターラを姫抱きしてもらって帰ってきた拠点の1つ。滅茶苦茶ほっとするわあ。全員で帰ってこられたし。タナーと隊長さんはちょっと不満そうだけど。なぜだ。
それにしても、幾つか点在する拠点は本当に簡易的に感じる。まあ、ロッジ風の家はしっかりしているように見えるけど。でも此処に雑魚寝だもんね、警備員の皆さん。既婚者もいるのに、これじゃあ奥さんも子供も呼べない。やっぱり各自一軒の家は急務だよねえ。
ああ、ターラの淹れてくれた紅茶が美味しい。森の中を歩くのは想像以上に大変だった。ぺたんこ靴を履いているのに。トレッキングシューズが恋しいわ。
うん、紅茶は行き渡ったかな? 流石ターラ、仕事が早い。あれだけ脅えていたのに仕事となるとしゃっきりするとか。どれだけ仕事人間なのか。まあ確かに私が淹れた紅茶なんて不安なんだろうけど……。紅茶くらいは流石に淹れられるのに……。信用ないのかな……。
……いや、今はそれは置いておいて。
「……タナーは、侵入者はワディングの者と考えているのですね?」
これは質問じゃない。確認だ。
「……はい」
カップをソーサーに戻してしまったタナーの表情が硬い。ごめんよ、厳しい質問で。でも確認はしておきたいのだ。
「根拠は?」
「盗賊であるにしろ無断移住者であるにしろ、何であろうとも普通であればワディング領方面以外からも来ているという話があってもよい筈ですが、ウェスリー殿からはそのような話を聞いておりませんので」
「では賊は全てワディング領方面から侵入しているんですのね?」
念押しすると、タナーは警備隊長さんを見た。視線を隊長さんに向けてみる。頭を丁寧に下げられた。
「座ったままで構いませんわ」
「有り難う御座います。──では失礼して。確かに、確認できた賊に関しては全てワディング領方面から侵入しております」
「そう。有り難う」
再び頭を下げる隊長さん。律儀だなあ。やっぱり元騎士だからかな。警備員の皆さんは全員元騎士だもんね。怪我とか病気とか家の都合とか、色々な理由で騎士が続けられなくなった人達。勿論罪を犯して騎士の称号を剥奪された人はいない。その辺はしっかり身元と経歴を調査している。フェイ伯父様が。だから荒っぽい仕事をしているにも関わらず、皆さん紳士的。
さて。元騎士な警備員さん達が虚偽の報告をするとは思えない。と、なると。
「……タナー──」
「──はい」
内緒話は申しわけないけど、この件は、私とタナーだけで良い。
で、もう1つ。
「隊長」
「はい」
「見張りは具体的にどうやってやっていますの?」
「残念ながら大した策はありません。領境で普通に見張っています」
「交代で領境を歩いて見て回ってますの?」
「2人組で、そのようにしています。他の拠点も同じようにしております」
「……そうですの。それは大変ですわね……」
「慣れれば大したことはありません。良い運動です」
……良い運動。小さいとは言え、結構な長さありますけど、領境。それが、良い運動。うん、違う生き物。……いや、じゃなくて。
「……|私、少し考えたのですけれど……。樹の上に小屋を作れませんかしら」
「……小屋、ですか……?」
木の上の小屋、それはツリーハウス! 造ってみたかったんだよね、前世の子供の頃! 憧れたんだよね! 領境にあった木はかなり立派な枝振りだったし、しっかり太かったからいけると思うんだ! うう、楽しい!
……あれ? なんで皆不思議そうな顔なの?




