過ぎたるは及ばざるが如し
翌日から、フォード様は脱・マス◯・オブ・ゾ◯、◯ペラ座の怪◯した。要するに前髪を少しすっきりさせたのだ。但し、左側は少し残している。七三風味で前髪を額の左側が隠れるように流している。それでも随分顔が見えるようになって、さっぱりしている。
フォード様ご自身もすっきりしたような表情をしている、気がする。多分。クールで涼やかな――頭痛が痛いみたいになっているけど気にしない――イケメンは顔が見えても感情が読み取り辛かった。いや、貴族の標準装備なんだけどね、普通は。己ができていないのは分かっていますとも、ええ。良いの気にしない。
この変化にとても驚いたのは、モニカとターラだ。ターラはともかく、モニカもフォード様の素顔を見たことがなかったらしい。ネイトとタナーがあまり驚いていない気がするのは素顔を知っていたからか、男だからか。この館もそうだけど、アルトレイ家で働く男性陣は元騎士が多いから刀傷は見慣れているのかも。まあ、ターラとモニカの驚きは、フォード様のイケメン度が超絶高いことが大きいとは思うけど。ターラなんか顔が赤くなってたもんね。めっちゃ可愛い。流石私のターラ。
そんな1日の始まり、さて今日も1日頑張りますか、と執務室までやって来たらば、フォード様が扉前で待ち構えていらっしゃる。何事。
「お嬢様」
「はい」
何だか表情が固い気がする。なぜ。
「あの──」
何だろうどうした。貴族の娘の必殺技──かどうかは知らないけれど、お母様直伝、無言での「どうぞお続けになって」。首を少し傾げるだけだけど。
それでもフォード様は逡巡した。割りとさくさく話をするフォード様にしては珍しい。何か言い難いことなのかな?
「……大したことでは、ないのですが」
「はい」
構いませんよー、という意味を込めてにっこり。私も随分気が長くなったものだ。前世ではついつい「何?」と急かしてしまったりするのが常だったが、今世のお母様に学んだ。お母様は滅多なことで急かすことをしなかった。相手の速度に合わせられる、余裕のある素晴らしい対応のできる人だった。私の行動の素はお母様のような人間になりたい、だ。それは今でも変わらない。おそらく生涯変わらない。プラスされることはあっても。今はお祖母様と義伯母様が加わっている。
「……その、私のことを、様づけで呼ぶ必要は、ないかと……」
うん? なぜ?
「フォード様は騎士様でごさいましょう?」
「……はい。正確には、だった、ですが」
「あら、それは分かりませんわ。リハビリ次第で騎士関係のお仕事ができるかもしれませんし、或いはまた騎士として働けるかもしれませんでしょう? 勿論フォード様の希望次第でその他の道として、現在お勉強なさっている家令や家宰という道もありますけれど」
最大限の笑みを浮かべる。この怖いと表される顔でどれ程の効果があるかは大いに疑問だが、それは無視だ。
希望は時に残酷ではある。しかし希望があるほうが良い時もある。フォード様の場合は、あるほうが良いパターンだと思う。勿論、逃げ道は必要だ。駄目だった時のダメージを少しでも軽減する為に。これがないと、叶わなかった時には希望は絶望へと変貌する。これは言い表せない程辛い。私はそれを知っている。逃げ道があることは、決して悪いことではないのだ。
笑顔を保ったまま、フォード様を見つめる。視線を固定。しっかり見つめるのがポイント。私的に。どうか希望を持つことも、逃げ道を用意することも良いことなのだと思ってくれますように。
私には相手が望む言葉を的確に言ってあげる等という芸当はできない。できる人が羨ましい。ハンカチを噛んで「きいっ!」ってしたいくらい羨ましい。しかしできないものは仕方がない。諦めもよくなったものだ。これも今世のお母様のお蔭だ。
あ。
「そうですね。有り難う御座います」
ふ、と空気が微かに揺れた。フォード様の微笑みで。何とも破壊力抜群の微笑み……! フォード様それは最早凶器です……! ああ何と素晴らしいご褒美御馳走様です何もしてないけど有り難う御座いますって何ですか……!?
「お嬢様」
「……はい」
「私は確かに、今は勉強中の身。ですが此方で学ばせて頂いている間は、お嬢様の使用人でもあります。どうかタナー殿やネイト殿に対するように、フォード、とお呼びください」
「……え?」
ええと? 今呼び捨てにしろと仰いましたか? いやいやいやいや、無理無理無理。前世よりは短いとは言え、これでもこの国で生きて19年。騎士様への敬意はしっかり身に染み込んでいる。
「そんな失礼なこと、できませんわ。騎士様に敬称なしだなど」
「今此処にいるのは、騎士ではなく家宰、家令見習い、執事の1人です。それなのにタナー殿やネイト殿と違って敬称つきというのは、些か……座りが悪いと申しますか……。ずっと気になっておりましたので、呼び捨てて頂けると私も気が楽になります」
「……今までフォード様とお呼びしてましたけれど、何も仰らなかったではありませんか」
「ずっと気になっていたのですが、言い出すタイミングを逃してしまって。ですが、お嬢様のお蔭で髪もすっきりできましたし、この件もすっきりさせたいと思ったのです。今更とお思いでしょうが、どうぞフォードとお呼びください」
「……」
うむむ。そう来るか。
しかしフォード様、律儀な。騎士様って皆こうなのかな。そう言えばダルトン士爵様も清廉潔白で律儀な人だったな……。……お懐かしい。
ううむ、とすると、ダルトン士爵……今はもう騎士爵を返上したんだっけ……とするとダルトン様か。ダルトン様を思い出すに、これは引いてくれなそうな……。となると私が折れるしかない……でも騎士様だよ! 騎士様呼び捨てとかないんだよこの国! ああ、フォード様の良い笑顔が逆に厳しい……! 正しく最終兵器……! フォード様の場合、最終ではない気もするけど……。あああ、仕方ない。
「……分かりましたわ、フォード。これで宜しい?」
不本意である、と示すために溜息は隠さない。そこは譲れない。私、不敬なことはしたくない。戦争反対平和万歳主義者だけど騎士様への感謝をしないわけではないのだ。
「はい。有り難う御座います」
……この、また種類の違う笑顔が……! 何だこの、何て言うの? 犬が全力で尻尾を振って喜びを表しているかのような、爽やかな中にも嬉しさを全面に押し出した可愛い笑顔は……! くっ、一体どれだけの武器を隠し持っているんだフォード様……! 違ったフォード! 前髪仮面を脱させたのはもしや間違いだったか……!?
「どうぞ」
何でもないかのように笑顔のまま、扉を開けられました。良かった、内心の悶絶は顔には出ていなかったらしい。……ああ、そうか。図らずも赤面したターラの気持ちが分かってしまった。これはきつい。これから、私、ご令嬢の仮面を保っていけるのだろうか。物凄く不安。不安しかない。
でもとりあえず。
「……有り難う」
仕事はしなければ。タナーが待ってる。ああ、タナーが癒しになるとは。渋メンタナーが眼福ではなく癒し……。贅沢。よし、今日も1日頑張ろう。
……はあああああ、1日がやっと終わった……はああ、幸せが逃げていく……。
「……ターラ。私、間違ったかもしれませんわ……」
「? 何をでございますか?」
ああ、首を傾げるターラ、可愛い。癒しだ。癒しの天使がいる。この国に天使の概念ないけど。
「……お嬢様?」
「……フォードのことですわ……。前髪を上げさせたのは、間違いだったかも……」
表情が分かるのは良い。しかし、やはり過ぎるイケメンは宜しくない。あのご尊顔で微笑むのは凶器だ。あの凶器を浴び続けたら身が持たない。
「なぜですか?」
「……見目麗しい殿方の笑顔は凶器になりますのよ。そんなものをしょっちゅう見るのは精神衛生上あまりよくありませんわ」
「……確かに。心臓が持ちそうにありませんね」
ああ良かった、ターラが同意してくれた。あ、もしやターラ、君、今朝を思い出したね? 顔が赤くなってるよ、可愛い!
「……今日は物凄く疲れましたわ……」
「お疲れを癒しましょう。湯浴みの準備はできていますから」
「有り難う……」
お風呂に入るのに気兼ねしなくて良いって素晴らしい。前は使用人さん達が沸かしたお湯を浴槽に溜めて入っていたから、いつも有り難いやら申しわけないやらだったけど。アルトレイ領は休火山があるお蔭で源泉が豊富にあるから、いつでも入りたい放題なんだよね。こんな端っこの領地の屋敷でもばっちり1階に温泉風呂が作ってある。まあそれでもお嬢様は1人では入れないんだけど。それも慣れた。ターラなら良い。あとエリン。
「本当にお疲れですねえ」
「ええ、これ以上なく疲れましたわ……」
苦笑されてしまった。ぼけっとターラについてお風呂まで来て、ぼけっとしたままお湯に浸かって。ああ至福。リラックスタイム、大事。元日本人には必須。やっぱり領内の家には全てお風呂を標準装備にしたい。衛生面でも大切。健康第一。
「……何か策はないものかしら……」
「何の策ですか?」
「フォードさ……フォードの笑顔に対する策ですわ。何とかしないと私の精神が持ちませんわ」
「まあ」
なぜくすくす笑うの、ターラ。
「……何ですの、ターラ?」
「良い傾向だと思いまして」
「良い傾向?」
「はい」
「……」
……何が?
くすくす笑ってないで。いや、可愛いから笑ってても良いけど、答えをくださいターラさん。
ああ、駄目だ。頭が働かない。温泉風呂標準装備についてタナーに相談するの、明日忘れないようにしないと……。明日……。明日もあれを喰らうのか……。明日……。あれ? 何かを忘れているような……? 何だっけ……?
「……ねえ、ターラ……」
「はい、お嬢様」
「……明日の予定はどうなっていましたっけ……?」
「明日ですか? 明日は視察の予定が入っています。……領境の視察です」
……そう言えばそうだったな。タナーも言っていた気が……。ああ、駄目だ、ぼけっとしたまま1日が終わっていく……。そう言えば夕飯、何を食べたっけ……?
「……エリン様と大奥様に良い報告ができそうですねえ」
「……? 良い報告……? どんな……?」
「独り言です、お気になさらないでくださいませ。さあ、お身体を流しますので台に横になってくださいませ」
……至れり尽くせりのエステ……。最初は嫌だったけど慣れたなあ。エリンも、エリン仕込みのターラも、めっちゃ気持ち良いんだよね、マッサージつきのこの……身体洗い。他の言い方……そんなんないよ……だって前世では自分でやるのが普通だったんだから……。
「お嬢様、ターラはいつだってお嬢様の味方でございますからね! いつでもご協力致しますから!」
……何を? 屋敷の内装の構想?
読んでくださっている方がいらっしゃると今更知りました。驚きです……! 有難う御座います……!
自分が楽しむ為だけに書いていたので、よもや読んでくださる方がいらっしゃるとは露程も思わず……。こんなところでこんなタイミングでのご挨拶で申しわけないです(汗)
色々アナログで疎くて……すみません。もうすみませんしか言えません(泣)
見切り発車で書いていたので、ストックが完全に切れてしまいました。今後の更新はかなり不定期になると思います。すみません。
次の更新はいつになるか未定です。重ねてすみません。




