遺産の謎の答
「シア。これから貴女にとってはとても辛い話をします」
そう仰ったお祖母様のお顔にはもう優しい微笑みはなく、先程までの穏やかさも既になく、変わりに少し厳しいような、そう、凛とした雰囲気、と言えば良いのだろうか、そんな空気があった。
お母様に、似ていらっしゃる。
いや、本来は逆なのだけれども。分かってはいるが私はお母様の娘なので、どうしても基準がお母様になってしまう。……それは、どうでもよくて。
今のお祖母様は、怒った時のお母様によく似ていらっしゃった。怒った時のお母様は、それはもう怖い。怖いが殆どを占めていた。何より先に怖いが来た。けれどその中に、何と言うか、丁度今のお祖母様のような凛とした、強い思いというのか、意思というか、信念というのか、そんなものを感じさせた。そのお母様と同じような雰囲気、空気を感じる。
私の背中が、自然と伸びた。いや、元々気をつけて座ってはいましたよ、勿論。つまり気持ちの問題です、はい。
真っ直ぐに私を見つめるお祖母様に、私は覚悟を決め神妙な表情で小さく頷く。お祖母様も真剣な表情で頷き返してくださった。
「簡単には信じられないかもしれません。私も聞いた時、はじめは信じられませんでした」
だからすぐに信じられずともおかしくはない、と言うように、お祖母様は改めて私を見つめてから、徐に口を開き、話を続けた。
「もう分かっていますね。貴女が初めて此方に来た時、ミナが――貴女のお母様が何をしに来たのか」
私は頷いた。お祖母様も頷いた。
「そうです。領地の一部を譲ってほしいと言いに来たのです」
ここまできたら、気づかざるを得ない。そしてその願いは、私に譲る為だった。――でもなぜ?
「正直、驚いたわ。何を言い出すのかとも思ったものです……。何しろ、先程も言いましたけれど前代未聞ですからね。女が領地を持つなど。でもあの子には、ミナには切羽詰まった理由があったのです」
お祖母様のお顔が少し厳しくなる。私の中に緊張が生まれる。
「それはシア、貴女です。貴女を守る為でした」
「……私を、守る……?」
お祖母様の言葉は、なぜ私への遺産に領地があったのかの答えになるどころか、返って私の頭の混乱を招いた。要するに、さっぱり分からない。
続きがあるかも、と黙ってお祖母様を見つめたまま待った。お祖母様は逡巡していらっしゃるようだった。言葉を選んでいらっしゃるような。それも僅かな時間。再びしっかり目を合わせると、はっきりと話し始めた。
「そうです。あの時、貴女は知らされていなかったでしょうが、縁談の話があったのです」
――はい? 縁談? 縁談って、あの、結婚するだの何だのっていう、あの縁談? いやでも、あの時私、まだ14歳だったよ? 成人してなかったよ? この国では確か、成人前の縁談は基本的にしないことになってた筈なんだけど。恋愛結婚を推奨しているから。――結局壊れたけどあの婚約だって、恋愛とかそんなものはなかったけれど、それでも話が出たのは成人する年、つまり社交界デビューする年だった。それなのに、14歳に縁談? 何それ何なの、全く以て意味不明です、お祖母様。
「……縁談、ですか? 兄ではなく、私に?」
「そうです。貴女にです」
重々しく頷くお祖母様の表情が、それが事実であると如実に伝えてくる。でも実感として受け止められない。よく、分からない。
「あの男が――デズモンド・ホストリーが」
父の名前を口にするのがよほど嫌なのか、お祖母様のお顔が僅かに歪む。それが何だか可笑しく思えて、お蔭で混乱が少し収まった。でも、それも次の瞬間打ち砕かれた。
「デズモンド・ホストリーが、ウェグリー男爵との縁談を貴女に持ってきたのです」
……。
……。……。
……。……。……ウェグリー男爵。
ウェグリー男爵ね、うん、聞いたことはある名前だ。だってホストリー家のご近所さんだ。ホストリー領の南西に領地があるからね。だけどあの男爵、確か独り身だったような。え? いや、そんなまさか。……わ、私の記憶違いかな? それとも、えっとえーっと……、……あ! 隠し子、とか!?
しかしお祖母様の言葉は残酷だった。
「ウェグリー男爵本人と、貴女を、あの男は、娶せようとしたのです! ウェグリー男爵領欲しさにです!」
ゆっくりと一言ずつ区切って話していたお祖母様だったが、次第に声が大きくなり、最後は我慢ならないとばかりに怒りを表していた。……お、お母様だ……。
いや、だけど上手く納得できない。確かに父には嫌われていたとはっきりしたけれど、そこまで? 実の娘だよ? それを、いくら嫌いだからって、40以上歳の離れた相手に嫁がせる?……確かに、この国でも、全くそういうことがないわけではないけれど。でも恋愛結婚した人でしょ? 領地が欲しいとか、だってウェグリー男爵領はそんなに豊かだと聞いたことがない。……まあ、主にその原因は領地そのものではなく領主にある、というのは社交界では有名な噂だったけれど。……ええ、まさかそれで欲しいって? 私を嫁がせて、領地改革させてその益を掠め取ろうって?……どんだけ強欲なの……。……まあ、それ故に我が家――いや、ホストリー家は金持ちだったわけだけれども。
げんなりし始めた私とは裏腹に、お祖母様はヒートアップしていった。
「あの! 少女好きの! 変態に! 自らの娘を嫁がせるなどと……!」
握り締めた拳が震えていらっしゃる。……え、え!? あのおっさん、ロリコン!? ええ……あの腹が出まくった肥満体の髭ぼさぼさ面の、あまり整っているとは言えない、自分のことを棚に上げて有り体に言えば脂ぎった不細工――淑女はこんなこと言っちゃいけない、エリンがいなくて良かった、否違う、身体的特徴の悪口いくない、駄目、でも他に言いようがないからご免なさい、脂ぎった不細工――が幼い女の子に迫るとか……犯罪以前に無理……。気持ち悪。でも納得。それで成人前の14歳ね……。ああ、精神がごりごり削られている気がする……。
「……父は……それほどまでに私のことが嫌いだったのですわね……」
「シア……」
あれ? 憤っていたお祖母様のお顔が微妙な表情になった。何? 何かおかしなこと言ったっけ?
「……そうではないのです。そうではないのですよ、シア……」
呟くように言ったお祖母様の表情は苦渋に満ちていた。そして告げられた言葉は、私にかなりの衝撃を与える。
「あの男は、貴女を自分の娘だと思っていなかったのですよ……」
――……わけが分からない。本気で分からない。自分の子供じゃないって? これだけ似てて? 似ていたくなかったけど。似るならお母様が断然、比べるべくもなく、いやむしろ比べるなんて烏滸がましいほど、切実にお母様に似ていたかったさ、私だって! だけど似てるもんは似てるんだ、どこをどうしたら親子じゃないと言えるのか、最早理解不能。お母様が浮気をしたとでも言うのか、馬鹿じゃないだろうか。馬鹿なんだろう。
お祖母様が、私の混乱を察したのか何かを言おうとして――止める。少し逡巡して、また口を開きかけて――閉じる。少し逡巡して――決意を決めた表情になる。
私は憤りながらただぼんやりと、お祖母様が口を開くのを見つめていた。
「ミナの話によれば、あの男は貴女が自分に似ていると思っていなかったそうです。――もっと正しく言うならば、ミナに似ていなければ自分達の子ではない、と思っていたのだそうよ。……それはおそらく、今でも変わっていないのでしょう……」
お祖母様が痛まし気にお顔を歪められた。
お祖母様、そんなお顔は似合いませんよ。お祖母様は明るく快活な笑顔がお似合いです。――そんな場合じゃないか。
と言うか、頭おかしいでしょ。腐ってるでしょ。馬鹿でしょ。と言うより異常じゃない? あんたの子供じゃなかったら誰の子だっていうのさ。どうせお母様が浮気をしたとは思っていないんでしょ? なのに何で? 分からない。さっぱり分からない。血が繋がっている筈なのに、全く以てこれっぽっちもあの人の思考が分からない。何なんだ。どういう思考回路だ。じゃあ私は誰さ。誰の子さ。まさか神隠しに遭って本当の子供と取り替えられたとか言い出さないよな。この世界に神隠しという概念はなかったと思うけど。
今生の私の生物学上の父親は、頭がイカれているらしい。常人には到底理解できない人間だったようだ。そうでも思わなければ収まりどころがない。
――ああ、でもそうか。今の話で納得いくものもある。あの人が私達兄妹に対してとっていた態度。
ずっと疑問だった。痣があって、世話係も白状して、私も訴えて、それでもあの人は私を信じなかった。兄の言葉を信じた。お母様が怒るまで――いや、もしかしたらお母様が怒ったから仕方なく納得した振りをしていたのかもしれない。本当は私の言葉は全く信じていなかったのかも。もしそうだったとしたら、今の話で辻褄が合う。私より、兄のほうがお母様に似ていた。髪色や虹彩は私と同じで父親似だったが、兄の顔立ちは母似だった。だから大層美しい男だった、外見だけは。そんな兄のほうが、私より父の愛情が深くなった、というわけだ。
そして兄妹の中で最も甘やかされ愛されていたのが妹だった。あの子が私達兄妹の中で最もお母様に似ていた。そっくりだった、外見だけは。
そして、最もお母様に似ていない私は、家族認定されていなかった、というわけだ。だから扱いが1番酷かった。本当は接触すらしたくなかったのかもしれない。お母様が可愛がるから仕方なく家族の輪に入れていただけなのかもしれない。けれどあの人の中では私はいないも同然だったのかもしれない。――もしかしたらもっと質が悪かったかも。家族に入り込んでお母様の愛情を奪う邪魔者、とか。有り得そうな気がしてきた。なぜなら私は知っている。前世でそんな親子を、どちらも我が子だというのに明白に片方だけを可愛がる親を実際に目の当たりにしたことがあるから。あれは幼心にも違和感を覚え、異様に感じた。
だけど怖い。知っていても理解はできない。この歳だからこそ、否、前世+現世経験を以てしても全く分からない。同じ人間とも思えない。――ここまで思ってしまう私もおかしいのかな。やっぱりあの人の子供だということだろうか。物凄く嫌だけど。全身の血を抜いてしまいたいくらい嫌だけど。ああでもそんなことをしたらお母様の血もなくなってしまうか。それは嫌だなあ。血を分解とか分離とかさせられないかな。お母様の血とそれ以外とで。で、それ以外を捨てるとか。無理なのは分かっているけどできるものならやりたい。こんなことを考える私は、狂っているのかな。狂っているのかも。
ああ、指先が冷たい。現実味がない気がする。
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2020.03.05




