その感情の名は
お祖母様の言葉に不穏なものを感じて思わず身構えてしまう。お祖母様はそんな私には気づいていないようで、記憶を手繰っているのか何処か遠くを見ているように見える。
「……感情、そう、愛情と言うより、執着、に感じたのよ……」
執着。
その言葉は、何と言うのか、ぴしゃりと雷が一筋走ったかのように、或いはぴったりと正しい組み合わせのパズルのピースが噛み合うように、私の中にすとんと落ちてはまった。
「貴女に分かるかしら、シア。あの男はね、本当に凄かったのよ……。手紙は返事をしていなくとも毎日届いたし、ミナが王都にいる間、毎日熱心に通ってきたわ。真っ赤な薔薇の花束を抱えて。会えなくても、私達が追い払っても、門前払いをしても、毎日毎日、門前で待ち構えていたのよ。その上王都ならばともかく、領地に戻ってまで、何日もかけて来ていたの。既に領主になっていたのに、仕事はどうしているのかと不安に思うほどにね」
それは怖い。
はっきり言って滅茶苦茶怖い。所謂、つき纏い、というやつではないか、完全に。お母様が父と結婚した理由が分からない。曲がりなりにも、そして生物学上は父である人間に対して何だが、私なら嫌だそんなス◯ーカーみたいな奴。
「それはそれは情熱的だったわ」
……この世界では情熱的になるのか……。ああ、でも昔、前世の世界でもそんな歌があったっけ……。……私待ーつーわー、いつまでも待ーつーわー、とかいう……。それを何とも思わなかった時もあったけど、時代の流れと共に、これって今だとストー◯ーになるよね? て話になった記憶が……。うん、時代の流れ怖い。価値観の違い恐ろしい。この前世の記憶がある以上、私には無理。駄目、犯罪。
「かける言葉もとてもロマンティックなものでね……」
……お祖母様、まさか出歯亀なさったんですか。……いや、ないか。お母様、包み隠さず話しちゃったんですね……。男性的に、こういうのはどうなのだろうか。まあぶっちゃけどうでも良いけれど。
「男性と接する機会の全くなかったミナは、すっかり舞い上がってしまったのよ。お姫様になったみたい、なんて子供っぽいことを言ってね……」
ああ……そう言うことかあ……。当然、普通に健康だったあの父のほうが社会経験は豊かだったろうし、世間知らずで初な娘を落とすのは簡単だったのかもしれない。父も、お母様には敵わないけれど、やっぱり容姿は悪くないし。……何て、お母様には失礼だけど。でもなあ……ご免なさい、お母様。やっぱり私には無理です、うん。
「でも私はあの男の目に、尋常ならざるものを感じて仕方なかったのよ」
つまり、お祖母様は父の何かに気づいていらしたということなのか。それはそれで凄いな。私には無理だわ。
お祖母様は視線を私に向け、物憂げな表情はそのままで微笑んだ。
「……こういうのをジレンマとかコンフリクトとか言うのかしらね」
お母様そっくりの――本来は、お母様がお祖母様に似ているのだけれど――儚げな笑みを浮かべたまま、お祖母様は小さく息を吐いた。
「先程も言ったけれど、貴女に会えたのは本当に嬉しいのよ。その気持ちには一点の曇りもないわ。けれどね……」
お祖母様は再び溜息を溢す。
「……あの男の子でなかったら、とも思ってしまうのよ」
――何だか今、物凄くショックな言葉を聞いた気がする。
私の表情は凍りついているかもしれない。けれどもお祖母様は気づいていらっしゃらないようだった。視線は、窓のほうへと向けられている。カーテンがしっかりと開けられている窓からは、午後の日差しが燦々と降り注いでいる。私の心中とは真逆に明るい。
「勿論、あの男との子でなかったら、それはもう貴女ではないということも、貴女とは会えていなかったということも分かっているの。それを考えると結婚を許して良かったのだとも思うのよ」
あ、氷が融けた。……心臓に悪いですお祖母様。いや、真剣で苦し気なお祖母様に言うことじゃないけど。
「けれど、あの男が夫でなければミナは悩まなくて済んだでしょうし、シア、貴女も苦しまなくて済んだ筈だと思ってしまうのよ。――正に、板挟みね」
儚い、苦笑のような笑みを浮かべたお祖母様に、分かります、と答えようとして、ふと引っかかった。――今、お祖母様はお母様が悩んでいたと、仰った?
「……お祖母様?」
「……何かしら?」
まるで夢から覚めたかのように目を瞬くお祖母様。正にそんな感じなのだろう。遠い過去から、現在に戻ってきた、というような。
本当なら、お祖母様を慮って質問するべきではなかったのかもしれない。しかし残念ながら私はそんな機微に敏い人間ではなかった。
「……今、お母様が悩んでいらしたと、仰いました……?」
ふ、とお祖母様の雰囲気が変わった。何と言うか、己の語彙力のなさにがっかりするが、他に言いようがないので言うと、陳腐だが、まるで親の敵を目の前にしているかのような、そんな感じ。
「ええ、悩んでいましたよ。それはもう、とても。無理を押してでも此方に来るくらいにね」
あ、何か分かってしまった、今のお祖母様の言葉で。多分、どころじゃない、間違いなく私絡みだ。
そう気づいた時、またしてもお祖母様の雰囲気が変わった。私を、とても痛ましそうに見る。ああ、やっぱりそうなのか。私に繋がるのか。
「――シアは初めて此方に来た時のことを覚えているかしら?」
「はい。お屋敷に着いた時にも思い出しました」
「そう」
お祖母様は何を思い出したのか、ふふ、と楽し気な笑い声を上げた。
「やんちゃをしたことも覚えていて?」
「……はい」
思わず目を逸らしてしまったのは仕方がないと思う。貴族の娘らしくないことを沢山した覚えは、ある。
私の表情は後ろめたいものになっていたのだろう。お祖母様が再び楽し気な笑い声を漏らした。
「全くはらはらさせられましたよ。貴女ときたら、木登りなんてするのですもの! まるでランディとアンナが戻ってきたみたいだったわ」
ランディ叔父様はともかく、アンナ叔母様も木登りしたことあるんですね。通りで使用人さん達の対応が早かったわけだ。経験済みだった。つまり私のお転婆は、前世プラス今世のお母様方の血というわけだ。
お祖母様は、多分何とも言えない顔をしているだろう私の頭を撫で――頭を撫でられる歳ではないから少し恥ずかしい――それからそっと私の頬に手を添えた。でも、視線が少し、合っていないような気がする。
「……それを見たミナの嬉しそうだったこと」
「え?」
ん? お母様が嬉しそうだった? 私のお転婆を目撃して?
「あの子があんなに伸び伸びと楽しそうにしているところを見るのは初めてだわ、そう言ってとても嬉しそうに笑っていたのよ。そして同時に、とても悲し気で、苦しそうだったわ……」
「……」
私に言えることはなかった。頭の中では、ああ何やらかしてしまったんだ自分! とか、お転婆なんてするじゃなかった! とか、何て考えなしなんだ! とか彼是彼是駆け巡っていたけれど、そのどれ1つとして口から出ることはなかった。どれ1つとして相応しい言葉ではないと分かっていたからではない。どんな言葉を発すれば良いのか分からなかったからだ。
まさか、お母様がそんな表情をしていらしたなんて。私には思いもよらなかった。
きっと、表情通りの心情だったのだろう。なぜならあの頃の私に、あんな風に思い切り自由に振る舞える場所はホストリー家にはなかったから。けれどだからと言って、お母様にそんな表情をさせていいわけがない。
あまりの自分の愚かさと短慮さに項垂れるしかない。
「貴女が気に病むことはないのよ。親が子のことで悩んだり心配したりするのは当然のことですからね」
お祖母様の言葉は、とても重みがあった。顔を上げると、お祖母様はとても穏やかな微笑みを浮かべていらした。
「だからね、あの子が――ミナが心底悩んでいると分かったから、私は決めたのよ。あの子の願いを何としてでも叶えることを」
――話が思わぬ方向へ転がった気がする、のは気のせいだろうか。
「あの子が無理をしてでも此方に来た理由が本当だと、貴女をどうしても供なわなければならなかったのだと、はっきりと分かったから。だから私は、前代未聞ではあったけれど、ミナの頼み通りに、旦那様が――貴女のお祖父様が亡くなった後に、跡を継いだフェイを説得して領地を割譲させたのですよ、シア。貴女を助ける手の1つになるのなら、と」
――そんな無茶を頼んでいらしたんですかお母様。お祖母様、フェイ伯父様、ご免なさい。
……ん? あれ?……助けるって何だ? 助けるって言うと、兄の問題のほうになっちゃうんだけど。あれ? 父の話じゃなかったっけ?
つき纏いをする人間を指す言葉がNGワードになるのか分からなかったので、伏せ字にしました。
歌の歌詞は1部分ですが、著作権法に引っ掛かるのかな……。著作権の侵害をするつもりは毛頭ありません。
……この歌を知っている方がいらっしゃるのか……。私もリアルタイムでは知りませんが……。
2020.08.19
分譲→割譲
訂正しました。誤字報告してくださった方、ありがとうございました。




