爆弾投下
フェイ伯父様の領主館にお邪魔して2日目。昨日は結局夕食だとエリンに起こされるまでソファで寝こけてがっつりお説教されてしまった。
夕食は、久々に楽しかった。ホストリーの館ではお母様がご病気になってからは、ずっと1人で――勿論エリンとターラはいたけれど、側に控えて給仕してくれるだけだったから、うん、やっぱり1人で――食べていたから、食事中に笑うなんてなかったけど、アルトレイ家は賑やかだった。賑やかな食事というのは貴族としてはマナーに反するのかもしれないけど、そこはお母様も気にしていなかった。一応マナーとして学びはしたけれど、ホストリー家の食卓も以前は賑やかだったのだ。思い出してぼんやり、なんて暇はなかった。お祖母様とアニー義伯母様が次々と楽しいお話を披露して、話しかけてくださったから。お蔭でその日の夜は久々に楽しい気分で眠りに就けた。
そして私は昼近くに起きた、大寝坊である。ジェフ伯父様はお仕事があるとかで、今朝早く、まだ私が寝ている間に出発されたらしい。ただでさえ忙しいお仕事なのに面倒かけて申しわけない限り、だというのに寝こけてお礼を言うどころか見送りもできなかったとか本当に言葉もない。このご恩を返せる気がしない、どうしよう。
「お嬢様……」
あ、しまった。
「……」
「……」
ああ、エリンの蟀谷に青筋が。急な血圧上昇は身体に良くないよ。私が原因ですね分かっていますご免なさい。
「お嬢様」
「……はい」
「ソファは腰掛ける物でごさいます」
「……はい」
「そのように、腹這いになって寝そべる為の物ではございません」
「はい、ご免なさい」
まともな体勢に直って座ると、エリンから溜息が溢れた。
「ご成人なさってからはそのようなことをなさらなくなっていらしたというのにどうなさったのか……。お嬢様、鏡台のほうにいらしてくださいませ。全く、そのご様子では大奥様に奥様の――お母様のご教育が疑われてしまいますよ」
「う……。……外ではしませんわ。この部屋の中だけですわよ……」
「お嬢様」
あ、しまった、再び。
「普段の行いがいざという時に出るのですと、何度も申し上げた筈でございますが」
「はい、すみません……」
躾係でもあったエリンには、お母様とは別の種類でどうにも頭が上がらない。結局お説教は30分ほど続いてしまった。このところ、こんなお説教しなくなっていたのに、どうしてだ。
「それでお嬢様、大奥様がお呼びでございます。お部屋にいらっしゃるようにと」
「ええ!? エリンったら、それを先に言ってくださいな! 大変ですわ、お祖母様をお待たせしてしまいましたわ!」
「ご心配なさらなくとも、ご準備を整える時間がかかるとお伝えしております。ドレスの皺も直りました」
エリンはお説教しながらターラと共に私の髪型やらドレスやらを直していたのだ。凄い。ながら仕事なんて私には到底無理だ。音楽聞きながら勉強、ぐらいならやったことはあるが、まともにできた例がない。我ながら途轍もなく不器用なことは言われなくてもよく知っている。うん、やっぱり侍女とか無理だな、私にはハードルが高過ぎる。――じゃなくて。早くお祖母様のところへ行かなくては!
エリンに案内されて辿り着いた部屋で、お祖母様はにこやかに迎えてくださった。ご機嫌を悪くされていないようでほっとする。
お祖母様はお茶を用意させると、エリンもご自身の侍女も下がらせた。
「昨日はゆっくり休めたかしら?」
「はい、お気遣い、有難う御座います」
「シアったら。堅苦しいのはなしと言ったのに」
はい、昨日散々言われましたね。中身との解離が激しいのも承知しております。しかしこれはもう、癖のようなものなのだ。直せる気がしない……と言うか、直したら他でもうっかり地が出てしまいそうで恐ろしい。
「お祖母様、ご容赦くださいませ。お母様ともこんな感じでしたのよ」
「あの子だって、もっと気軽に話していたでしょう?」
「はい。ただ、私はいつもこうやって話しておりました。お母様は私の言葉遣いの練習につき合ってくださっていたんです」
「もう充分ではなくて?」
私は即座に首を横に振る。とんでもない。お祖母様のように、お母様のように、砕けていても品を感じさせる話し方などとてもじゃないが無理だ。何しろソファに腹這いになるような庶民の感覚がどうにも消し切れないのだから。
「まだまだですわ。先程も、エリンに叱られましたの」
言葉遣いのことではないけれど。
「まあ」
お祖母様は楽しそうにころころと笑い出したが、それでも上品だ。うん、無理。こんな風になれる気がしない。……中途半端だなあ、私……。……お母様は、こうなることを、予測していたのだろうか。だから……。
「シア」
「はい」
顔がいつの間にか俯いていた、いかん。慌てて視線をお祖母様に向けると、お祖母様は優しい、けれどもどこか痛ましそうな笑みを浮かべて私を見ていた。? 何だろう。
疑問に思った表情は、けれどすぐに消えてしまった。変わりに悪戯っぽい、でも何かを懐かしむような笑みが浮かんだ。
「……お祖母様?」
「シア、あなたはミナから聞いているかしら? 私があの子の結婚に反対だった理由を」
どういう意味だろうか。
しかし穏やかに微笑むお祖母様からは何の意図も読み取れない。となれば選択肢は1つしかない。事実を話す。
「いいえ。お祖母様が反対なさっていたのも知りませんでした」
「あら、そうなの? あの人が……あなたのお祖父様が反対なさっていたことも聞いていなくて?」
「お祖父様も、ですの?」
「あらあら」
いや、お祖母様、楽しそうに笑っていらっしゃるけど、あのお祖父様が反対してた? 反対なら力ずくでも結婚させなそうなお祖父様が? いや、私はお祖父様にお会いしたことはないのだけれど。2年ほど前に戦地でお亡くなりになってしまったから、結局お会いできないままになってしまったけれど……。でも伝え聞くお祖父様のお話は全てがそれはもう何と言うか……豪快だった。一層清々しいほどに男らしかった。要するに、拳で語るタイプだった。……お母様、一体どうやってお祖父様から結婚の許可をもぎ取ったんだ……。実はアルトレイ家で1番強かったのはお母様なのでは……。
「お祖父様はね、そうね、あの方は単純にミナの身体を心配して、結婚には向かないと反対していたわね。貴族の女性は、それこそ社交は何とかなるとしても、子供は、跡継ぎは何としても産まなければならないから。それに関しては、私もミナに子供が産めるとは思わなかったわ」
確かに。それに関しては私も同意見だ。よく3人も産めたよなあ。
「でも実際は、私達はミナの孫に会えたわ。その点は感謝しているのよ、本当に心からね」
それに関しての話なら聞いたことがある。
「……父は……お母様の望みを最大限叶えたそうですわ。庭を散歩したいと言えば忙しい中何とか時間を作って瑞からつき合って。そのうちに、段々と散歩の距離が長くなっていって……気がついたら、意外と元気になっていた、と……」
外での散歩。大したことではないように思えるが、結婚したばかりの頃はそれさえも危ないと思われるほどに、お母様はお身体が弱かったと聞いていた。憶測でしかないが、適度な運動が喉の粘膜を強くし、風邪くらいならば多少では引かなくなるほどにはなったのではないかと思う。まあ、散歩程度、運動と呼べるほどではないと思うのだけれど、それが運動になってしまうほどに、お母様は病弱でいらしたのだろうと思う。
「……そう。私達は過保護が過ぎたのかしらね。あの子が苦しまないように、つい守ることだけを考えてしまっていたわ。外に出れば次の日必ず熱を出すものだから……」
「……そうだったと聞いています。その度に父が自ら看病したらしいですわ」
「そう……。……あの子を愛する気持ちは本物だったということかしらね……それなら……」
お祖母様の言葉が途中で途切れ、沈黙が降りた。もしかして、言わないほうが良いことだったか。苦しまないように守るのも愛情から。願いを叶えるのも愛情から。向かう方向は真逆でも、根本にあるのは種類は違うだろうが同じ愛だ。でも結果、父の方向性のほうがお母様の為になった。そのことを悔いているのだろうか。……悔いているんだろうなあ。今更分かった。相手の立場に立つというのは、当事者だと何と難しいことか。前世も合わせてウン十年、漸く理解できた、気がする。気がするだけだけれど。
「でもね」
不意にお祖母様の声がして慌てて視線を向ける。良かった、お祖母様、笑顔だ、少なくとも今は。
「私が反対したのは、違う意味だったのよ」
「……違う意味、ですか?」
お祖母様はくすりと悪戯っぽく笑った。……本当に綺麗な人なのに、この笑い方をすると可愛く見えるなあ。歳上の、品も教養もある女性に可愛いは失礼かもしれないけど。でも、こういうところ、お母様に似てる。
お祖母様をつらつら観察してしまっていたら、そのお祖母様の口から急に溜息が盛大に溢れ落ちた。あ、しまった、無遠慮に観察してしまった!
しかし私のこの内心の焦りは無駄に終わった。それは良かった、のだけど。
「怖かったのよ、あの男のミナへの感情が」
まさかこんな爆弾が落ちてくるとは思いもしなかった。
お祖母様、それは一体どういう意味ですか。何だかあまり、全く全然良い意味に取れないのですが。




