思考鈍重中
閑話的な話になってしまっています。
「よく来たね、シア。長旅だったから疲れただろう」
変わらずフェイ伯父様は優しかった。突然やって来た――勿論、ジェフ伯父様が先触れを出していただろうけれど、突然には変わりない――厄介者を、館に入るなり抱き締めてくださった。その腕はとても、温かった。日々がぼんやりとしていた私にも、それが分かるくらいに。……ちょっと苦しいけど。
「――あなた、シアを休ませてあげなくては」
「ああ、そうだな。――シア、その前に――」
アニー義伯母様のお蔭で漸く解放された――のだが。
「――!?」
「ああ、シア! よく耐えましたね! 本当によくぞ……! あなたはとても頑張りました。此方に来たのは正しい判断ですよ。もっと早くに伝えてきても良かったほどです。まあ、こうして今此処にいるのですから、良しとしましょう」
目の前が開けることはなかった。
……うん、多分私を抱き締めて、勢いよく憤懣を晴らすかのように捲し立てているのはお祖母様だろう、顔が見えないので確証はないが、この声、話し方には覚えがある。
「それにしても、あの男は陸なことをしない……! ミナが悩んだのも当然というものですよ、本当に。結婚など許すのではなかったわ。とは言え、そのお蔭で可愛い孫に恵まれたのだけれど……。……何にしても許し難いことです!」
――うん、お祖母様のお元気なお話が終わる気がしない。どうやら滅茶苦茶怒っていらっしゃる模様、父に対して。
はて、これは私が止めるべきだろうか。
「母上、そのくらいで。シアも疲れているでしょうから」
「あら、私としたことが」
迷っていたら、ジェフ伯父様が止めてくれた。グッジョブ、伯父様。その声音の表す通りに苦笑しているだろうという予想は大当たりだった。お祖母様が解放してくださったので見えるようになった伯父様に、大丈夫、という意味を込めてにっこり笑みを返しておく。
「さあ、シア。お風呂に入って、少しお休みなさい。夕食までは時間がありますからね。――エリン、南の角部屋にシアを案内して」
お祖母様の言葉に、エリンが何やら僅かに驚いて――あ、笑顔になった。何だろう。しかし今は質問する時ではない。
「お祖母様、フェイ伯父様、アニー義伯母様、お迎え頂いて有難う御座います。これから暫くお世話になります」
最大級の謝意を表し、お祖母様、フェイ伯父様、アニー義伯母様、ジェフ伯父様の順に1人1人に深く膝を折ってカーテシーした。
「そんな他人行儀はなしよ、シア。さあさあ、疲れを癒していらっしゃい」
お祖母様の明るい声に顔を上げる。微笑んでいらっしゃるそのお顔は、お母様によく似ていた。
「失礼します」ともう1度軽く礼をして、エリンの案内でその場を後にした。
流石エリン。お祖母様の指示はめっちゃ短かったのに、迷うことなく部屋に着いた。元々はお母様の筆頭侍女で、この館からお母様についてホストリー家に来たのだから、この館内の地理――本来は間取りと言うべきなんだろうけど、何かそんな言葉にはめられないくらい広いのであえて地理――を知っていても不思議はないけれど。でももう離れて何年にもなるのに凄いと思う。私1人だったなら間違いなく迷っている。……3年前と同じ部屋なのに。いいのだ、私の方向音痴は死んでも治らなかったのだ、ふん。
アルトレイ家の領主館に着いたのは昼過ぎ。部屋には燦々と陽が差し込んでいて明るい。内装は前回泊まった時と同じ。全体的に柔らかく淡い色調で纏められている。スプレーグリーンの壁紙にカーテンはスカイブルーと白いレースのカーテン。クリームイエローのタッセルがちょっとしたアクセントになっている。前回来た時に気に入った、ナイルブルーのソファもそのまま。触り心地も変わらない。よく手入れされている。うん、座り心地も相変わらず良い。
ソファに座り込んだらどっと疲れが出てきた、気がする。お風呂……勧められたけど、このまま此処で良いから一眠りしたいなあ……。現実逃避がしたい。
「……ねえ、エリン。さっき、どうして驚いたり笑ったりしていたんですの?」
……我ながら、内心の言葉遣いとの解離が激しいな。それにしてもこんなくだらないことが気になったのはいつ振りか。どうやら本当に疲れているらしい。
私の内心など知るよしもないエリンは、荷解きをする手は止めずに少し首を傾げた。いつも有難う御座います。解かれている荷物は私のだ。
「……お嬢様は前回お泊まりになった時に、奥様からお聞きになりませんでしたか?」
「……何をですの?」
質問に質問で返した上に首まで傾げた私を、エリンは特に嗜めることもせず、不思議そうに首を傾げながら答えてくれる。
「このお部屋は、奥様がご結婚なさるまでお使いだったお部屋でございます。大奥様がこのお部屋をご指示なさったということは、このお部屋は今後はお嬢様のお部屋になるということだと思いまして、少々嬉しくなったのです」
「そう、お母様の……」
「はい。部屋も家具も、使わないより使ったほうが長持ちしますし、きっと奥様もお喜びになるだろうと思いまして」
お母様が使っていた部屋。……私とお母様の趣味は似ているらしい。というか、私がお母様の趣味に似たのか。母娘なのだから影響を受けていて当然か。顔は似なかったけど。顔……と言わず身体つきと言わず全部お母様に似ていたかったなあ。そうしたら、今頃違う状態だっただろうに……。
それにしてもなぜ父は、あそこまで私を嫌うのだろうか。己に似ている娘を。私が父似なのは周知の事実なのに。自分のことが嫌い……ではないよなあ。嫌いだったらあんなに何処ででも堂々としていられないよねえ。
一先ずジェフ伯父様の言う通りに此処に来たけど、これからどうしたものか。いつまでもお世話になるわけにもいかないしなあ。
平民として働きながら暮らすのは別に構わない。何せ前世は社会人していたのだから。お1人様街道もばっちこいだ。死ぬまで爆走していた街道だ。悲しい。否違う。違わないけど、問題は其処ではない。問題は、この世界で働けるか、だ。
女性に優しい国とは言え、中世ヨーロッパ風と言ってもそんなに差し障りも違和感もないのは、そういうことも含まれている。まあ、世界史はさっぱりだった私の知識なので怪しいと言うより確実に間違っている気がするが、それはともかく前世に比べて圧倒的に不便な暮らしは勿論、女性が働ける場所がとにかく少ない。侍女や使用人、平民になればお針子、売り子もできるかな。あとは何があるだろうか。その前に、私にできることがあるだろうか。エリンやターラみたいな侍女はまず無理だ。主人の意を推し測って先回りして動くなんてそんな超高度な芸当はとてもできない。やらなくても分かる。使用人も難しい。掃除や洗濯を、この世界でしたことはまだ1度もないが、前世で洋服を1から手洗いした時は死ぬかと思った。洗濯機の有り難みをつくづく感じた。家電製品、凄い、素晴らしい、万歳。家電製品が一通りあれば独り暮らしも楽々できるが、この世界でできるか……あ、あんまりできる気がしない。先ずは掃除洗濯を教えてもらってからだなあ。此処でやらせてもらえないだろうか。……あ、駄目だ、高級品をいきなり相手にするのは私には荷が勝ち過ぎているわ……。お針子さん、は……刺繍はまあ、貴族の娘の嗜みの1つとして習わされたからそこそこ……多分そこそこ、できるけど……裁縫も……でも仕事として通用する気がしない。何せ進行速度が遅過ぎる。売り子……ドレスとか宝飾品のお店の人は大抵女性が来ていたけど、貴族相手の商売はちょっと遠慮したい。知っている人に会ったら絶対に根掘り葉掘り訊かれるし。平民向けのお店は実態が分からない。ううむ、どうしたものか。
それより何より先立つものがない。先立つものがないと部屋も借りられない。と言うか、前世で言うところのアパートみたいなものはあるんだろうか。そんなことすら知らないわ、私。うーむ、侍女や使用人以外で住み込みの仕事なんぞあるのだろうか。それも分からん。エリンとターラなら知っているかな。後で訊いてみよう。
どうしたい、かあ。
1ヶ月ほど前のジェフ伯父様の言葉が頭に蘇る。
どうしたいかを考える前に考えなければならないことが山積みな気がする。主に今後に備えて。今は、どうしたいか、より、どうすべきか、が先決かな……。……今の私に何ができるのか……。
前世の記憶があって良かった、と言うべきなんだろうな……。普通のお嬢様だったら途方に暮れるしかなかったわこれ、多分。私なら少なくとも料理くらいはできる、と思う、し……。……た、多分。ま、まあ1人で生きていく発想ができるだけましだよね、うん。……もしかしたら、普通のお嬢様のほうがちゃんと生きていけるかも……。……えーと……。……。
……あー、このソファ、触り心地も座り心地も良過ぎる。エリンに怒られるな。でも良いや。
ソファにごろりと腹這いになる。うん、やっぱり気持ちいい……。ああ、ドレスが皺になるな。と言っても旅用の軽装だけど。でもエリンは怒るだろうなあ。お嬢様、失礼ながらお行儀が悪うございます、とか何とか……。ターラは笑いそうだけど……。
そう言えばターラは、私についてきて良かったのだろうか。家族はホストリー領にいるんじゃなかったっけ……?……駄目だ、思い出せん。もし家族がホストリー領に住んでいるのなら、ターラだけでも戻してあげられないだろうか。ターラはフェイ伯父様のご推薦だし、お母様のお墨付きだし、何より凄く優秀だし、だから多分あの人――父も文句は言わないと思うけど……どうかなあ。私に繋がるものは全て嫌がりそうな気も……。そうしたら此処で働くしかなくなるよなあ。それは悪過ぎるなあ……。どうしたものかなあ……。……うー……。……。
結局その後、ソファで転た寝してしまってエリンにしこたま怒られた。ごろ寝は最高だ、うむ。たとえソファの上でも。床にふかふかのラグを敷きたいものだ。そして転がるのだ。我ながらかなりの大望だ、この靴履きっぱなし世界では。




