回想 14
親愛なるシアへ
この手紙は、きっと君を酷く傷つけることになるだろう。けれどこのまま君と結婚しても、より傷つけることになると分かっている。だから僕は、本心を告げようと思う。
シア。僕はやはり、君のことは友人以上には、或いは妹以上には見られない。
それでも、君となら穏やかな暮らしをしていけるだろうと、そう思っていた。勿論それは、今でも思っている。
だが、僕は運命の女性に出逢ってしまった。心底共にいたいと願える女性に。心から恋しい、愛しいと思う女性に。――クラリッサに。
この気持ちを隠したまま君と結婚すれば、君を苦しませることになるだろう。それは、僕の望むところではない。君には幸せになってほしいと、心から思っている。
だからどうか。
僕の勝手な願いを受け入れてほしい。
君と僕の婚約を、破棄してほしい。
勝手な僕を許してほしい。
君の幸せを心から願う幼馴染、ジョシュア・ダルトンより――
そんな手紙を残して彼と彼女が姿を消した後、私は大変な騒ぎに巻き込まれた、何とも迷惑なことに。
我が家では当然のことながら、父が大激怒した。だからあんな士爵家の息子との結婚など反対だったのだ! と怒鳴り散らされた。――私に怒鳴られても。お母様は真っ青になって震えていらした。シア、シア、ごめんなさいね、お母様が無理に勧めたから、と泣きながら謝られた。こんなお母様は初めて見た。だから慰めるのに苦労した。そして父にまた怒鳴られた。私のせいでお母様が泣いた、と。とても解せない。理不尽ではないだろうか。兄からはここぞとばかりに馬鹿にされ、当然だよな、と嘲笑われた。妹は無邪気に、お姉様フラれたの? お気の毒ね、と宣った。無邪気故に言葉の刃がぐっさり刺さって痛いし、悪意がない分余計に質が悪かった。
ハルムヘイマー伯爵家も大混乱だった。縁を取り持った、ということになっているだけではない。彼はハルムヘイマー伯爵に見習い騎士として師事していたのだ。彼の第2の親とも言える存在である以上、無関係、無関心ではいられなかったのだろう。夫妻揃って謝罪にいらして、賠償金を、と仰られた。勿論実際には縁を取り持った等という事実はないし、彼の親代わりであろうともハルムヘイマー伯爵もクローディアおば様も被害者でもあるので、そのお話はお母様と私とでお断りしたけれど。それでは気が済まなかったのだろう、クローディアおば様は連日我が家に通い詰め、私とお母様に謝罪を繰り返し、私と共にお母様を慰めてくださった。
アルトレイ伯爵家では、親族一同が大激怒していたらしい。フェイ伯父様とアニー義伯母様が揃って訪れ、私をとても心配してくださった。アニー義伯母様は、やはり連日我が家を訪れて、クローディアおば様と一緒に、私とお母様を慰めてくださった。
我が家も大概大変な状況だったが、最も大変なことになっていたのは、ダルトン士爵家だろう。
遠く北の戦地にいた士爵は、わざわざ王都に戻ってこられ、我が家に謝罪にいらした。応接間でお会いした士爵は、正しくその場で土下座をした。家や家財を売り払ってでも言い値の賠償金をお支払いする、と言われ、その上、騎士の称号と士爵位を王家に返上する、と仰られたのだ。騎士道精神がしっかりと身についていることを感じさせる発言であった。この国では、女性に失礼な振る舞いをしてしまうと、場合によっては騎士の称号を剥奪されてしまう。この駆け落ち騒動は、言うまでもなくそれに相当する最たるものだった。だから、ダルトン士爵の申し出はある意味当然とも言え、国王に言い渡される前に自ら申し出たことに意味があったのだ。
そんなダルトン士爵を前に父は、お母様に何かを言われていたのか、士爵を激しく睨みつけてはいたものの何も言葉を発さず、代わりにお母様が応対した。賠償金はともかく、騎士の称号と士爵位返上はお止めください、陛下もそれは望まれないでしょう、と。これは、お母様と私で話し合った結果の言葉。本来なら士爵の対応は当然のもので、私は黙って受けるべきなのだろう。だが、悪いのはダルトン士爵ではない、あくまで彼だ。その私の見解に、お母様は納得してくださったのだ。父は違ったが。
しかし士爵は国王にこの事態を報告に上がった際に騎士の称号と士爵位の返上を申し出た、と後に知った。陛下はこの事態に大層悩まれたとか。しかしながら苦渋の決断を下した。騎士道精神には反するが、ダルトン士爵の申し出を一部却下されたのだ。つまり、ダルトン士爵の騎士の称号は剥奪されなかったのである。北の戦地は激戦に次ぐ激戦で、既に第1王弟殿下を喪うという痛手を被っている。これ以上優秀な人材を失うわけにはいかなかったのだろうと、私でも簡単に予想がつく。だから国王陛下の御処断に特段どうこう思うところはなかったし、むしろ剥奪されなくて良かった、とすら思っていた。それなのに畏れ多くも、その旨を記し、その上謝罪まで認めた陛下直筆の詔書を印璽つきで頂いてしまった。畏れ多過ぎて詔書に土下座しそうになった。とんでもない騒ぎになってしまったものである。――まあそれはともかく、私だってそんなこと望んでいなかったので、却下されて良かったと思っている。それは今でも変わらない。でき得れば、士爵位の剥奪もなければ良かったと思う。だがそれはどうにもできないことだったと、後からハルムヘイマー伯爵とフェイ伯父様から教わった。そこまで許してしまうと後々にも響く上、下手をすれば騎士道精神の崩壊にも繋がりかねないのだ、と。要するに、今回の一方的な婚約の破棄というものを、彼と彼の家族を一切の罪に問わずに許してしまえば、今後同じ状況に陥って泣くことになる女性が増える可能性があり、それは婚約というものの価値の下落と共に、騎士道精神の元に国を護るという騎士達の価値観と強固な意思と固い結束が崩れる危険を孕んでいるということなのだ。彼と彼女が仕出かしたことはそれほどに大変なことだった。私1人が泣けば済む、という話ではなかったのだ。
そんな大事に見舞われたのは不幸なことだが、手紙でしか知り得なかったダルトン士爵の人柄に直接触れられたのは、私にとっては良いことだった。こんな形でなければもっと良かったのだが、まあそれは置いておいて。士爵は真っ直ぐで男らしく、紳士な方であるという手紙での印象は、直接お会いして確固たるものになった。謝罪にいらした折りも、1人の人として、私に最も深く謝罪してくださったのだ。士爵が悪いわけではないのに。因みに夫人は、彼の駆け落ちを知って倒れ、そのまま寝込んだらしい。さもありなん。
デンパート男爵家の面々も青褪めていたが、謝罪に来た時の態度はダルトン士爵の態度とは違っていた。勿論謝っているのだが、どこか、心変わりされた私が悪い、と言いたげな雰囲気が漂っているように感じられた。賠償金を支払うのも渋っているように見えた。――私の偏見かもしれないが。でも、土下座まではしなかったのは事実だ。
結局、ダルトン家もデンパート家もかなりの額の賠償金を支払うことになったようだ。詳しい額は知らない。その辺りは、3家の当主夫妻と、ハルムヘイマー伯爵夫妻、そして、王城で法を司る文官――司法官として働いているジェフ伯父様の、計9人の大人達で話し合われたから。
ダルトン家とデンパート家は、これから大変なことになるだろう。
その騒ぎの渦中の私はと言えば。取り敢えず謝罪の場には同席させられたものの、どこか他人事だったように思う。有り体に言えば、ぼんやりしていたのだ。
不思議と、悲しいとは思わなかった。泣きもしなかった。詰まるところ、恋愛感情がなかったということなのだろうか。まあ、変わりに――と言えるのか分からないが――お母様が泣いてくださったのだし、それで良いだろう。
そしてホストリー子爵家は――勿論、ダルトン士爵家とデンパート男爵家も――恐ろしい程の醜聞に塗れた。
当然、社交などできよう筈もない。招待状がこないわけではない。むしろ増えた。だが出席すれば好奇心で一杯の大勢の人間に質問攻めにされることは火を見るより明らかだったし、何より父がそんな事態を許さなかった。父は火消しに奔走して回った。何の火か、と言えば勿論、私の悪評である。つまり、私に何か重大な欠陥があるのではないか、という醜聞だ。なぜこんな話が出てきたのか分からない。この国は騎士道精神が非常に強い国なので、こんな事態になった場合――そもそもこんな事態になること自体殆どないのだが――大抵女性の悪い噂は立たないものなのだ。噂好きなご婦人方やご令嬢方でさえ、女性側の悪い噂話は表立ってしない。すればいずれ自分に返ってくるから、という理由ではあるが。ともかく、そんな訳で普通なら私の悪評など出てくる筈もないのだが――そもそも私が何かをしたわけでもないのだし――、けれど確かにその時、私の悪評が社交界に上っていたのだ。お陰様で私はおそらくこの先、結婚はできないだろう。結婚できても、父に言わせれば格下の家の、後妻。そんな話でも、あれば良いほうなのだ。結婚は勿論婚約などもう二度とする気はないが。
そんな折、幸運、と言っても良いかもしれないタイミングで、この頃王都で流行病が広がり始めていた。ぼけっとしていた私は、お母様より先にこれにやられた。要するに高熱を出してぶっ倒れたのであった。もしかしたら知恵熱も混じっていたかもしれない。
ホストリー家は、これ幸いと社交シーズン終了を待たずに領地に戻った。
私が熱に苦しんでいた時、朦朧としていてよく覚えていないのだが、父や使用人達が止めるのも聞かずに、お母様が手ずから私の看病をしてくださったらしい。と言うのも、私が治った頃にはお母様は既に寝込んでいて、父の態度が非常に冷たかったのだ。お前は陸なことをしない、と当たり散らされた。その上お母様に近づくことを一切許して貰えなかったのだ。察すると言うものだろう。口の重たいエリンを押し切って証言を得たので間違いもない。
1ヶ月程度で復活した私と違い、お母様はどんどん弱っていった。医師の話では、元々の身体の弱さもあるが、精神的なものもあるだろうとのことだった。
お母様達ての願いということで私が面会を許された時、お母様は消えてしまいそうに白い顔色になっていた。元々色白だけれども、その比じゃない。か細くなってしまった息が苦しそうで苦しそうで、私は思わず、お母様に取り縋って泣いてしまった。
お母様はそんな私に向かって、笑って、と微笑んだ。私のセアラルシア、可愛い笑顔を見せて頂戴、と。お母様の願いだけれど、私はなかなか泣き止めなかった。自分でも驚くべきことだった。そもそも前世から泣くことができない質だったから、こんなに涙が出ることも止まらないこともなかったのだ。ご免なさい、と言いながら泣き続ける私に、お母様は、シアが謝るのならお母様も謝るわよ、と苦しい息の中、それでも悪戯っぽく微笑んだ。何を謝るのかなど、言わずもがな。私は必死に笑顔を作った。
泣き笑いな状態の私の笑顔は世にも不細工だったことだろう。それなのに、お母様はこれ以上ない至宝を見るように目を細めて、花が綻ぶような笑みを浮かべた。愛しくて堪らない、とその表情が如実にお母様の心を伝えてくれた。
そしてふと、お母様は真顔になった。
シア、本当にご免なさいね。こんなことになると思わなかったとは言え、無理に婚約など勧めなければ、貴女が傷つくこともなかったのに。他に方法を思いつかなかったお母様を許してくれるかしら?
突然そんなことを言い出したお母様に、当然私は慌てた。お母様が謝ることなんて何もありません、どうかお話しにならないで、息が苦しそうよ、そう言い募る私の髪を梳くように撫でながら浮かべた微笑みは、胸が苦しくなるくらい、切なく美しかった。
「誰よりも何よりも美しくて可愛い、私の可愛いシア。愛しているわ。それを、覚えていて」
囁くような声音でそう言って、目を細めて微笑むお母様の表情は、それが偽りない真実であると伝えてきた。
「勿論ですわ、お母様。お母様のお気持ちはいつだって私に届いていますもの。私もお母様が大好きです。1番大好き」
お母様は、それはそれは嬉しそうに笑った。
「私のいとおしいセーラ」
それが、私が聞いたお母様の、最後の言葉だった。
お母様はそれから間もなく、家族全員に看取られて、静かに息を引き取った。
私は初めて、人の死に際して、泣いた。前世、親族や家族が死んだ時には1度たりとも泣けなかった、私が。
そうして。
私は最大にして唯一の守護を、喪ったのだ。
12/20 ダルトン士爵への対応の補足及び王家の対応に関する補足を加筆。




