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願いごとのその先、は  作者: 青壱はな
本章 回想
14/32

回想 13


 彼から手紙が届いたのは、社交シーズンも終わり、という頃。

 私宛に届いたその手紙を読んで、私はただただ呆然とした。呆然とするしかできなかった。読む前までに感じていた、気恥ずかしいような嬉しいような、そんな少し浮かれた気分は跡形もなく霧散していた。




 あと1ヶ月で社交シーズンが終わる、という頃に私と彼の婚約は発表された。

 貴族社会というのは本当に面倒で、婚約する際には国へ、つまり国王へ婚約する為の書類とその後結婚する為の書類を提出し、承認を貰わなければならない。その書類には様々なことを事細かに記載する。例えば、どこの家の、誰と誰が、いつ婚約して、いつ結婚するのか、とか、ざっくり言うとそんなことを。そして両家の当主のサインと本人達のサイン、更に両家其々の証人のサインに、立会人のサインが必要になる。私達の場合は、当主は勿論、私の父と彼の父であるダルトン士爵。そして私達本人。両家其々の証人には、私側はフェイ伯父様とアニー義伯母(おば)様が、彼は父方の親類のご夫妻がなった。立会人はハルムヘイマー伯爵とクローディアおば様。何とも大人数が関わるものである。その上で、国王の承認が必要というわけだ。まあ、これについては前世でも婚姻届というものがあったし仕方がないかとも思うが、絶対に前世よりは面倒、な筈だと思う。残念ながら前世でそんな届けを出した経験がないので分からないが。

 とにかく、婚約の時点で国王まで巻き込む形になるわけで、貴族の結婚というのは本当に大事(おおごと)なのだ。たとえそれが平民になるものであっても。元々平民であるならばそこまでは必要ないらしいけれど。

 そんなわけで、平民だったなら、と詮もないことを考えながら、何とかかんとか彼と婚約することができた。

 婚約が国王に承認されると、世間に公表される。と言っても新聞に載せるとか、そんな方法ではない。そもそも新聞がない。公表方法は、互いの家で夜会を開いて発表する、というもの。場合によっては縁者の家で、ということもある。

 私達の場合はハルムヘイマー伯爵家で行われることになった。お母様の実家であるアルトレイ伯爵家で、という案もあったが、結局、2人の縁を取り持った形であったハルムヘイマー伯爵家で、となったのだ。

 国王まで関わるので、当然ながら時間がかかる。それはもう、月単位で。婚約発表が社交シーズンも間もなく終わりという時期になったのは、そういう御大層なわけがあったのだ。

 周り――父を除く周囲の人々――は、我が家の使用人まで浮き足立って彼是(あれこれ)と奔走していたようだが――特にお母様とかクローディアおば様とかアニー義伯母様とか、あとエリンとかターラとかまで――私はと言えば、またしても着せ替え人形と化すことが苦だったくらいで、(あと)暖気(のんき)なものだった。彼は騎士叙勲が決まった身とはいえ、未だ従騎士。仕事が忙しく、これまでと同じでそうそう簡単に会えるわけでもない。私は私で婚約発表の為のドレス製作で忙しい。そんなわけで相変わらず私達の遣り取りは手紙が大部分を占めていた。

 それでも、彼は忙しい合間を縫って時間を作っては会いにきてくれた。婚約者らしく、毎回小さくとも花束を持って。恋愛感情があるかと問われれば、その時もまだ分からなかった。ただ、こうした婚約者らしい彼の行動は、前世でもそんなことされたことがない悲しい女だった私を浮かれさせた。純粋に嬉しかった。

 彼の、私に対する恋愛感情の有無も分からなかった。――本当は、訊くべきだったのだ。だが、私自身その問いに対する確固たる答えを持たなかった為に、訊くに訊けなかった。

 けれども彼は、婚約を正式なものにすると決まった時、きちんと片膝をついて、求婚(プロポーズ)してくれた。何と言うか、胸を突かれた。やっぱり――前世今世合わせても――これも初体験で、単純で同じ言葉しか出てこないけれど、とても、嬉しかった。ぼんやりとながら、ああ本当に結婚するんだなあ、と感慨深く思ったのを今でも覚えている。

 そんな、国王の承認が正式に下りて、私以外の沢山の人が慌ただしくしていた中、私は折を見て彼に友人であった彼女のことを話し、彼女には夜会での発表の前に伝えたいし、貴方に彼女を紹介したい、と言ってみた。勿論、彼の都合もあるので、駄目なら私から報告するのみでもいいだろうと考えながら。

 しかし彼は頑張って時間を作ってくれた。おそらく、報告したい相手が私が友人と呼ぶ唯一の相手だったからだろう。

 報告は、我が家でお茶会、という形を取って行われた。彼女はとても驚いたが、同時にとても喜び、祝福してくれた。こんな素敵な方を隠していたなんて酷いわ、と文句を言われ、私にも早くお相手が見つからないかしら、誰か紹介してくれない? とぼやかれもしたけれど。

 彼女は彼と話していても、やはり明るく賑やかだった。流石に醜聞や噂話(など)はしなかったが、彼是と質問したり、従騎士の仕事の話を強請(ねだ)ったりと、話を切らすことがなかった。私と彼は互いにあまりお喋りではないので、何も話さずのんびりまったり、なんてことも当たり前だっただけに、彼女の問いに卒なくどころかいつもより饒舌に話す彼は、新鮮だった。幼い頃から知っているとなくなる話題も、知り合ったばかりだと沢山あるのは当然だろうけれど。

 2人を無事引き合わせられた日から1週間後、ハルムヘイマー伯爵邸で、私と彼の婚約を発表する夜会が開かれた。私の、(ささ)やかな夜会で、という希望があっさりと却下されるくらいに、お母様とアニー義伯母様も張り切っていたけれど、クローディアおば様がとにかく途轍もなく張り切っていたので、豪勢な夜会になるだろうなあ、とぼんやり思っていたが、その予想を軽く超えてくれた。提された食事や飲み物は超一流。楽団も超一流。招待客は高位貴族がわんさか。……王城の舞踏会じゃないんだから、一体どれだけお金を掛けたんだ、勘弁してくれ、と眩暈がしそうだった。(のち)に知ったが、張り切っていたのはお母様達ばかりではなく、ハルムヘイマー伯爵ご自身も、そしてフェイ伯父様をはじめとするアルトレイ伯爵家の皆様も張り切っていたらしい。道理で豪勢になったわけだ……。脱力である。

 親族一同が揃ったこの夜会で、私は久し振りに兄に会うことになったが、お母様か、エリンとターラが張りついていてくれたので、悲惨な目に遭うことも不快な思いをすることもなく済んだ。妹は私と同じドレスを強請(ねだ)り、デビュタント用ドレスの製作再び、になったが、デビュー前なのに夜会に出られるのは特別なんだよ、というお母様の入れ知恵による父の言葉に満足したのか、デビュー前の少女用のおめかしドレスでも文句は出なかった。当日は父に連れられて楽しそうに辺りをきょろきょろと見回してはしゃいでいて、私に構う余裕はなかったようだった。正直、ほっとした。

 軈て、招待客が揃ったところで、私と彼はハルムヘイマー伯爵によってその場の皆に紹介され、正式に婚約したことを発表された。招待客からは温かな拍手が贈られた。

 ハルムヘイマー伯爵夫妻のファーストダンスに続いて、私と彼が踊って。その()は招待客達も加わってのダンスタイム。私はハルムヘイマー伯爵とフェイ伯父様とお母様のお兄様でフェイ伯父様の弟であるジェフ伯父様と、彼はクローディアおば様とアニー義伯母(おば)様と、私のお母様と踊った。父は妹の相手に忙しくて踊って貰えなかったが、それでもデビューの時以来の、楽しいと思える夜会だった。

 ダンスを終えると、まずは私の知り合いのご令嬢方が寄ってきた。皆口々におめでとうと祝福してくれた。彼の友人達も招待していたので、ご令嬢方が散っていくと今度は彼の友人達に囲まれた。彼は小突かれたりしながらの手荒い祝福を受けていた。

 勿論、彼女も招待していた。彼女もとても嬉しそうな表情で、繰り返し繰り返し、本当におめでとう、お幸せにね、と祝福の言葉を贈ってくれた。

 初めて、夜会での交流を楽しいと思えた日だった。幸せ、だった。




 正式に婚約が公表されてから、時折彼と彼女と3人で出掛けることがあった。彼女が外出したがったからである。貴族の令嬢というのはとかく家に籠っているべき、人前に無闇に顔を晒すものではない、という風潮があるので、その気持ちは良く分かった。私も彼という婚約者がいなければ、気軽に散歩(など)できずに家に籠りっぱなしで、たまの外出と言えば、招待されたお茶会や父と行く夜会のみ、となっていたのは目に見えていたから。彼も特に嫌がることはなく、快く了承してくれたので、私は、懐の広い人と婚約できて良かったな、と思ったものである。相手が男であったなら違ったかもしれないが、前世ならともかく、この世界のこの国では、貴族の未婚の令嬢が男性と友人として気軽に2人で会って遊んだり食事したりなんて有り得ない、とんでもなく破廉恥で端ない行為であり、絶対に許されないことだったので、残念ながら知りようもないけれど。

 まあとにかく、そんな事情で外出なんてそうそうできない、まだ婚約者や恋人のいない彼女の為に、彼の了承を得て時々3人で出掛けたのだ。3人で過ごした時間は楽しかった。穏やかさは消えてしまうが、賑やかな彼女のお蔭で退屈しなかった。話題もきちんと選んでくれていて、当然私と2人だけのお茶会の時のような話題は出なかったし。あれは男性に聞かせられるものではない。彼女によって選ばれた話題を、彼も楽しそうに聞きながら応対していた。

 婚約者と友人の仲も良く、私と彼の関係も変わらず穏やかで、私と彼女の間柄もますます良くなり、私は漸く落ち着いた幸せを実感していた。

 それまでの人生は――とは言っても今世ではまだ18年と、人生語れるほどの長さではないけれど――兄との関係に苦しんだり、恐ろしい思いをしたり、妹との関係に悩んだり、ぼっちを嘆いたり諦めたりと、前世と比べてお母様がいる分ましではあったけれど、幸せとはっきり言えるものではなかった。でもきっと、これからは彼と共に穏やかで暖かい人生を歩んでいけるんだろう、と当たり前に信じていた。彼女と、お母様とクローディアおば様のように、結婚しても仲良くお茶しながらお喋りしたりするのだろう、と何一つ疑いもしなかった。

 そんな風に、劇的な恋愛とは程遠いけれど、それでも幸せを感じられる程度には、この彼との婚約を、引いては結婚を喜んでいたのだ、間違いなく。穏やかな日々が続くと、心の底から、一点の曇りもなく信じていたのだ。信じる、という言葉が浮かばないほど、確かに。




 しかしそれは、1通の手紙によって、簡単に崩された。

 彼から届いた手紙には、婚約破棄を願う旨が記されていた。

 そして。

 そんなたった1通の手紙だけを私に残して、彼は姿を消した。彼女と共に。

 ジョシュア・ダルトンは、クラリッサ・ゲル・デンパートと、駆け落ちしたのだ。



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