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願いごとのその先、は  作者: 青壱はな
本章 回想
12/32

回想 11


 今シーズンの社交もあと2、3回で終わり。そう考えて壁際で溜め息を噛み殺し、楽しげに笑って踊る紳士淑女達を眺めていた。

 父と社交の為の夜会に来ると、大抵私は放置されてしまっていた。私が必要なのは最初の挨拶の時だけ。その後は、父は有爵者の方々と何やら難しい話を始めてしまうので、そのお相手にご令息かご令嬢がいない限りやることがないのだ。私の存在を忘れてしまうのは、今まで1人で黙々と社交をこなしていたせいなのだろう――私は何一つ疑うことなく、当たり前にそう思っていた。社交は貴族の大切な務め、仕事のようなものだ、小娘には理解も参加もできない話が出ても当然である、仕方がないことと、そう理解していた。していたが、デビュー以来1度も父と踊っていなかった私は、実は寂しく感じていた。ダンスを踊っている時だけは楽しいと思えた、というのもある。この頃の私は、そこそこダンス好きと化していた。

 今日もそんな感じで、軈てやるべきことを終えた父が迎えにきて帰ることになるのだろう、と今シーズン用にと、お母様と楽しみ半分げんなり半分で新しく誂えたドレスをぼんやりと眺めながら扇子の内側で小さく溜め息を(こぼ)した。同じ夜会に参加しなければならないのであれば、まだダンスを踊れる彼と一緒のほうがましだ、とぼんやり考えながら。

 そんな感じで、周囲には全く気を払っていなかったので、あの、と遠慮がちに声をかけられた時は飛び上がる程驚いた。勿論、本当に飛び上がりはしなかったけれど。

 何とか体裁を保って、殊更ゆっくりと声のしたほうを向くと、そこには不安げな面持ちながら(かろ)うじて笑みを浮かべた、私と同年代だろうご令嬢が立っていた。

 私に声をかけたのかと、辺りを窺うも他に人はいない。それを確認してからご令嬢に改めて視線を戻す。声をかけられたと思ったら呼ばれていたのは自分ではなく別の人でした、と分かった時の居たたまれなさは半端ない。前世での実体験である。穴が掘れたら掘って潜り込んでいただろうと思うほど、それはもう消えてしまいたいくらいに恥ずかしかった。ああはなりたくなかったのだ。

 しかしそこで、(わたくし)ですか? と答えるわけにもいかない。紹介者も仲介者もなしに初対面の相手に話しかけるのは不躾で失礼な行為として眉を(ひそ)められるのが貴族社会なのだ。

 しかし目の前のご令嬢は間違いなく私を見ていた。視線が合うと、突然不躾に申し訳ないことでございます、と謝罪してくる。つまり、貴族社会の暗黙のルールを知った上での行為というわけだ。それほどまでに私にしなければならない話があるということなのだろうか? 些か不思議に思ったが、私は特に咎めることもせず、扇子は開きっ放しだったが、にっこりと他所行きの笑みを浮かべてご令嬢に先を促した。言葉を発さなかったのは、ご令嬢が格上か格下か、おそらく格下だろうと当たりはつけられたものの、確信がなかったからだ。格下が格上の貴族より先に口を開くのは―――暗黙の、ではあるが――ルール違反だから。

 要するにそのご令嬢はこれ程のルール違反を仕出かしていたわけだが、それでも話を聞いてみようかという気にさせるほどに、警戒心を持たせない佇まいだった。私とよく似た亜麻色の髪は夜会用に結い上げられ、不安げな色を浮かべた目はやはり私とよく似た、でも私よりは少し濃いめの淡い水色。この薄い色合いが、儚い印象にはならずになぜかきつい印象になってしまう私とは違って愛らしい雰囲気のご令嬢だった。可愛らしい顔立ちのせいか、目の色が少し濃いためか。それだけでこんなにも印象や雰囲気が変わるものか、何とも可憐だ、羨ましいな、とぼんやり思ったのを覚えている。

 そのご令嬢はおずおずと自己紹介してきた。クローディアおば様やアニー義伯母(おば)様に教わった礼儀作法をぶっ飛ばしたような状態だったが、正直この世界の貴族社会の堅苦しさに窮屈さを感じていた私は気にしなかった。――気にするべきだったのだ、ルールがあるのには意味があるのだ、と思い知るのは後々(のちのち)の話。

 ご令嬢はデンパート男爵家の長女のクラリッサ・ゲル・デンパートだと名乗った。デンパート男爵家。頭に叩き込まれた貴族名鑑を引っ張り出しながら、はて、デンパート男爵家とホストリー子爵家(我が家)に繋がりなどあっただろうか、と内心で首を傾げた。繋がりなどないことは、ご令嬢の次の言葉ですぐに分かったが。

 ご令嬢は、見ず知らずの方に話しかけてはいけないのは承知しているのですが、このような華やかな場は苦手で、1人でいるのが恐くて、と続けた。

 ご令嬢のその気持ちはよく分かった。恐くはなくなったが、その時の私には夜会はさして楽しいものではなくなっていたからだ。ただ、お母様が楽しそうに作ってくださるドレスを無駄にしない為だけに夜会に出席しているといっても過言ではなかった。お母様だけではない。クローディアおば様やアニー義伯母様までこぞってドレスを作ってくださるのだ。楽しそうで誇らしそうなお母様達の気持ちを、無下にはできなかった。

 しかもその日の夜会は、伯爵家の中でも中々に格の高い家のものだった。男爵家では居辛くもあるかもしれない。私が平気なのは、偏に名門伯爵家とのお付き合いがあるからだ。勿論、言わずと知れたクローディアおば様のハルムヘイマー伯爵家と、アニー義伯母様とフェイ伯父様のアルトレイ伯爵家だ。どちらも伯爵家の中では名門中の名門である。その2家とお付き合いがあるという背景(バッググラウンド)のお蔭で恐れがないだけ。もしそれがなかったら、このご令嬢と同じ心境だったと思う。しかもその夜会は、私達くらいの年齢の子女が殆どいなかったのだから尚更だろう。

 私は扇子を閉じて改めて笑顔を浮かべて自己紹介した。

 ご令嬢は私がホストリー子爵家の娘と知って驚き、同時に少し怯えた。これがホストリー子爵家(我が家)ではなかったら、ここまで怯えなかったかもしれない。だが、我が家は子爵家の中でも結構豊かなほうで、下世話な言い方をすれば下手な伯爵家よりお金持ちであった。しかもお母様がアルトレイ伯爵家の娘であることは、貴族社会では有名な話。()()()子爵家――というと言い方が悪いが、事実我が家以外の子爵家――よりは格段に格が高いとされているのだ。私からすれば、だからなんじゃい、とは思うが、格上の家の貴族に不躾に声をかければ、社交界から弾き出されても仕方がないのがこの世界。

 私は、申し訳ないことでございます、と怯えながら頭を下げて謝るご令嬢に愛想の良い笑顔を心がけて、どうかお気になさらないで、お顔を上げてくださいませ、とでき得る限り優しい声で言葉をかけた。お気持ちはよく分かりますもの、と。

 数度の促しに漸くゆるゆると顔を上げたご令嬢は、それでも警戒の色を浮かべてはいたが、私がにっこりと微笑みかけてみせると、漸く安堵した表情になった。

 それからご令嬢と2人、壁際で暫し歓談した。徐々に打ち解け出したご令嬢は、外見にそぐう可愛らしい性格だったが、割りとさばさばしたところもあって話し易かった。裏と表の顔が違いすぎるのが苦手だと溢したご令嬢に、全くだと頷くと、距離は一気に縮まった。笑顔で貶したり足の引っ張り合いをしたりするご令嬢方にはドン引きである。前世でもよく見たし、被害に合いまくりもしたが、未だに慣れないしできない。何十年も社会人をやっていたにも関わらず、私はその技を習得できなかった。正直、したくもなかったが。しかし今は必須ともなると憂鬱にもなるというものだ。

 私もそういうことが苦手であると知ったご令嬢はとても嬉しそうに笑った。可愛かった。庇護欲をそそるとはこういうことを言うのだろう、と思った。羨ましい限りだった。私には無理な芸当である。

 その一方で、気の強さも窺わせるご令嬢の話は中々楽しかった。話し下手な私は主に聞き役に徹していたが、そう退屈することもなかった。

 何となく、仲良くなれそうだな、と思った。根拠は特にない。あれほど警戒していた人付き合いも、社交界デビューから丸2年、3回目のシーズンを迎えていた私は、人に対して随分と恐怖を感じなくなっていて、間違いなく警戒も弛んでいたのだと思う。そして何より、気の置けない友人ができずにいた、そんな私の中には、諦めても諦めきれない、消し切れない、お母様とクローディアおば様の友情への憧憬(しょうけい)が強くあった。

 そしてこのご令嬢は、この時までに私が出会ってきたどんなご令嬢とも毛色が違って見えたのだ。

 そんなあれやらこれやらが作用した結果、私は帰る前にご令嬢に、もし宜しかったら我が家でお茶でも如何ですか? と提案していたのだ。

 ご令嬢は殊の他喜び、では我が家でも、あ、でもホストリー子爵家に比べたら粗末な家ですから、本当に宜しかったら、と恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに誘ってくれた。私は二つ返事で了承した。

 この日私はとても浮かれた。帰りの馬車で父にこの出来事を報告すると、父は少し渋い顔をした。あまり格下の家の者と親しくするべきではない、礼儀作法がなっていないなら尚更だ、と苦言を呈された。

 この時父が、本心はどうあれ意外とまともなことを言っていたということが分かるのは、後になってから。

 私は己が浮かれていることには気づいていたが、浮かれ過ぎなくらい浮かれていることには気づいておらず、ただ、父は心配性が過ぎるのだ、と思っていた。お母様や妹に対する態度は過保護の一言に尽きるし、兄に対しても厳しいながらも甘かった。だから、私に対しても同じであると信じて疑っていなかったのだ。本当に心配性ならば、己の娘を夜会で放置するなどという、下手をすれば持参金目当ての(ろく)でなしに庭やバルコニーに連れ出されて襲われるかもしれない危険な状態にするといった、娘を持つ父親として失格な行動など取らなかった筈なのだ。娘が醜聞に塗れたり、万が一貞操を犯されるような事態になれば、お家没落さえ有り得るのだから。この国はそれくらい、騎士道精神が深く根づき、浸透していた。だがこの時の私は、全くそれに気がついていなかった。それくらいに、父を信じ、慕って、……愛していたのだ。

 それはともかく、父は心配なだけだと信じて止まなかった当時の私は笑って、とても楽しくて良い方ですのよ、お父様もきっと気に入ってくださいますわ、と返したのだ。父が何を思っていたのかも、その後に起こる騒動さえも、知るよしもなく。

 ただ只管、漸く友人と呼べる人ができるかもしれないという期待に、浮かれていた。



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