第二話:その引力は、すれ違いを拒絶する(その3)
作業台の上が、火花と歪んだ磁気で悲鳴を上げている。
金属が鳴いた。空気が震えた。
夕方近く、萬屋の事務所は、凄まじい高周波の電子音に包まれていた。
作業台の上で、陽菜の左腕には、俺が親父の遺品から引っ張り出してきた変態的なガラクタが装着されていた。
古いネオジウム磁石の破片と、廃車になった車のモーターからひっぱがした高密度エナメル銅線。
それを、陽菜の肌に直接触れないよう、厚手の耐熱絶縁テープでグルグル巻きにした、見るからに不格好な『籠手』のような装置だ。
陽菜の左腕に巻き付いた即席の籠手が、まるで生き物のように唸りを上げている。
「おい、絶対にその左手を動かすなよ。今、お前の腕の静脈に沿って、極薄の『アクティブ・ノイズキャンセリング磁気シールド・スリーブ』を固定しているところだ」
俺の声は、思った以上に焦っていた。
事務所の空間そのものが、彼女の磁場に押し潰されそうになっているからだ。
「ねえ、嵐水……これ、本当に大丈夫なの? なんだか左腕がものすごく重いんだけど……あと、なんかピリピリする」
「重いのは当たり前だ。お前の発生させている異常磁場を完全に相殺するために、この装置の内部では、お前とは『逆位相』の超強力な電磁場を常に発生させている。」
「ごめん、もう少しわかりやすけ説明してもらえないかな」
「つまり、お前が『引力』を生み出すなら、このメカが同じ力で『斥力(退ける力)』をぶつけて、周囲に対する純粋な磁気出力をゼロにコントロールしているんだ。理屈としては、最新のノイズキャンセリングヘッドホンと全く同じだ」
俺ははんだごてを置き、装置の側面に取り付けた小型の液晶インジケーターを確認した。
テスラメーターの数値は、激しく上下しながらも、なんとか環境磁場と同等のレベルまで抑え込まれている。
「よし、これでひとまず、半径50センチ以内の金属を無差別に吸い寄せる『磁気嵐人間』からは脱却できた。お前がその腕を大きく振り回さない限り、丸の内のサーバーを物理破壊することは免れるはずだ」
「やったぁ! 嵐水、やっぱり天才! これで今からでも会社に行けるわ!」
陽菜がパッと顔を輝かせ、オフィスバッグを右手で掴んで立ち上がろうとした。
「待て、座れ。話はまだ終わっていない」
俺は陽菜の肩を強引に押さえつけ、パイプ椅子に引き戻した。
「さっきも言っただろ。これは『能動的』な制御だ。つまり、お前の心の中の『引き付けたい』というストレスが大きくなればなるほど、このメカ側もより強い電力を消費して相殺しなきゃいけない」
「まさか⋯原子力を使うとか?」
「んなわけあるか。動力源は、お前のポケットに突っ込んであるリチウムイオンバッテリーだ。現在の消費電力を計算すると……お前の『怒り』のボルト数が上がった瞬間、バッテリーが異常発熱して、お前のスーツのポケットが文字通り火を噴くぞ」
「ポケットが火を噴く!? 冗談じゃないわよ! 丸の内でオフィスワーカーが自然発火したら、それこそ大ニュースじゃない!」
「だから言ってるんだ。先週の雨雲はお前の本音の吐露で消えたが、今回の磁力は根が深い。お前が会社でストレスを感じて磁力を強めるたびに、このスリーブの負荷が上がる。つまり、お前自身のメンタルを物理的にシールドしなきゃ、このバグは封じ込められない」
「メンタルを物理的にシールドって、どうするのよ!?」
「流体力学の応用だ。圧力が高まるなら、外からそれ以上の『壁』を作って封じ込める」
俺はツナギのポケットから、もう一つの試作装置を取り出した。
それは、親父の遺品である古いワイヤレスイヤホンを改造した、怪しいノイズ発生器だった。
「お前の耳に、特定の周波数のホワイトノイズと、超低周波の音波を流し込む。これは脳の自律神経に直接干渉し、周囲の『ノイズ(石崎丸刈り部長の戯言)』をお前の脳が認識する前に減衰させるシステムだ」
「なんかちょっと怖いんだけど⋯」
「まあ聞け。名付けて『精神的流体スタビライザー』。外界からのストレス刺激を流体の渦のように受け流し、お前の感情の起伏をフラットに保つ。お前が怒らなければ、磁力は上がらない。バッテリーも火を噴かない。完璧な物理的封印だ」
「つまり……これを着けてる間は、私、あの石崎に何を言われても無敵ってこと?」
「無敵というか、強制的に冷静沈着なマシーンにされるだけだ。試してみるか?」
俺がイヤホンを陽菜の耳に装着し、スイッチを入れた。
『ザァー……』という静かな砂嵐のような音が事務所に響く。
その瞬間、陽菜の目が、いつもと違う深い静寂を宿した。サングラスの奥の瞳が、鏡のように冷ややかに冴え渡る。
インジケーターの数値を見ると、それまで激しくブレていた磁界のグラフが、まるで凍りついたように一本の真っ直ぐな水平線へと固定された。完全な安定状態だ。
「……すごい。嵐水。頭の中の雑音が、完全に消えたわ。石崎部長の顔を思い出しても、今はただの『体積を持った有機物の塊』にしか思えない」
陽菜の声から感情の抑揚が消え、極めてクールで知的な、それこそ完璧な『冷徹キャリアウーマン』のトーンへと変貌していた。
「よし、制御成功だ。お前の心のバグが消えないなら、萬屋の技術でシステムの出力を物理的にロックすればいい。ただし、そのイヤホンのバッテリーは12時間しか持たない。それまでに丸の内の仕事を片付けて、さっさとこの街に帰ってこい」
「了解した。これより丸の内へ出社し、タスクを迅速に処理する」
陽菜は無表情のまま、しかし確かな力強さで立ち上がり、ライトグレーのジャケットの袖をきっちりと直した。
左腕の無骨な金属スリーブをトレンチコートで完全に隠し、バッグを手に取る。サングラスに隠された瞳は、もう何者にも惑わされない。
「行ってくるわ、嵐水。この萬屋の技術、無駄にはしない」
陽菜はいつもの太陽のような笑顔ではなく、隙のないプロフェッショナルな一瞥を俺に残し、萬屋の勝手口から地元の街へと颯爽と歩き去っていった。
その足取りには一切の迷いがなく、磁場の乱れも完全に抑え込まれていた。
一人残された薄暗い事務所で、俺は自分の前髪をかき上げた。結局、午前中にやるはずだった常連のホイールリングの納品は夕方までズレ込んでしまった。
大学院を休学して親父の残した複雑なシステムを押し付けられたときは、自分の知識も未来もすべて無駄になったと思っていた。
だが、まさか幼馴染の突飛な『心のバグ』を、物理的な回路と音響力学の力技でねじ伏せることになるとは。
「本音を言えば解決するなんて、そんな都合のいい甘いバグ、毎週続くわけがないからな」
さて、と。
俺は作業着の袖をまくり上げ、ずっと閉ざされていた入り口へと歩み寄った。
赤錆びた取っ手を掴んで一気に引き上げると、ガラガラとけたたましい音を立てて、夕暮れの心地よい夜風と街の明かりが事務所の中に流れ込んでくる。
力技だろうがなんだろうが、バグはねじ伏せた。遅れちまったが、萬屋の本当の仕事はここからだ。
俺はようやく、店の重いシャッターを上へと跳ね上げた。
陽菜が去った静かな事務所で、俺は気づいていなかった。
この家には引き合う力なんてないはずなのに――なぜか陽菜だけは、毎週必ず俺のもとへ吸い寄せられてくる。
彼女の心のバグは、まだ俺の方へ引き寄せられ続けていることに。




