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第十三章


 静かな宿屋の一室。

 ベッドに腰かけたルクレアが、椅子に腰かけたロイドを見つめる。


「……何を教えてほしいんだ?」


 ロイドの言葉にルクレアが膝を抱え直す。

 

「別に、なんでもいいけど」


「……なんでもか」


 ルクレアの返事にロイドは顎に手を添えて、暫く黙り込む。


 なんとも言えない沈黙に、先に根をあげたのはルクレアだった。


「……あんたって、なんでいつもあんなにも他人を助けようとしてんの?」


 ロイドは少しだけ目を瞬かせてから、静かに口を開いた。


「……祖父に、教わったんだ」


 その言葉にルクレアは首を傾げ、抱えていた膝を下ろす。


「……教わった?」


「ああ。昔、そう教わったんだ」










 幼い頃は、痛みが何か分からなかった。

 今もきっと本質的に、理解は出来ていない。


「母様」


 滅多に見ることのない母の姿を見つけて、ロイドは小さな手足を動かして駆け寄ろうとする。


「……あ」


 短い手足は上手く動かずに、小さな石に躓き転んでしまう。


 服が破け、膝から血が滲んだ。


 幼い子供ならば、泣き出し、目の前の母に助けを求めておかしくない状況。


 しかし、ロイドは黙って立ち上がり、怪我などしていないかのように、母親の方へと向かおうとする。


「……こないで」


 母の静止にロイドは足を止めた。

 見上げた母の顔は嫌悪に歪められている。


「泣き声一つも上げないなんて……なんて不気味な子なのかしら」


 そのまま、母は踵を返して立ち去ってしまう。

 眉を寄せる母の顔だけが、ロイドの記憶に焼き付いていた。







 父は多忙であり、話す機会は多くはなかったが、それでも気にはかけてくれていた。


「なに、お前のお母様は少し戸惑っているだけだ。……お前は、騎士として名を立てていたお祖父様の強さを受け継いだのだろう」


「……そうですか」

 

 威厳のある顔だが、目元を和らげた父の表情にロイドは表情を変えずに、凪いだ心で頷く。


 父は一瞬黙って目を瞬かせるが、首を横に振った後、ロイドの肩に優しく手を添えていた。








 少し身体が成長して、ロイドが剣を振れる年齢になると同時に、父に教師をつけて貰えた。


「ロイド様は筋がよろしゅうございますね」


「……そうですか」


 教師にも誉められ、ロイドは無心で鍛練に励む。

 反応は薄いが、一心に鍛練に励むロイドは、教師の目には良い生徒として映っていたことだろう。


 何も考えずに無心で鍛練を行えば、結果が自ずとついてくる剣の道は、ロイドにとって楽な道だった。


 教師との軽い打ち合いの際に、打たれた箇所が赤く染まろうが、腫れ上がろうが、ロイドは表情を変えずに稽古に励んだ。


「……流石、あのお方のお孫様でございますね。そのお年で痛みにも負けずに剣を振るえるとは」


 ロイドの様子に少し、頬をひきつらせながらも、すぐに笑顔を取り繕いロイドを誉める。


 ロイドは首を傾げ、腫れのせいで多少の動きにくさはあるが、問題なく動かせる身体を見下ろしていた。







 その頃には、ロイドは母と会う機会がさらに減っていた。


 弟が産まれたのだ。


 ロイドは一人で、遠くから母が愛しげに赤子を抱く姿を眺めていた。


 泣き出した弟を、母が笑顔であやしている。

 ああして涙を流せば、母はロイドにも微笑みかけてくれるのか。


 涙の流し方も分からないロイドは、黙って遠くから弟の泣き声を聞いていることしかできなかった。






 弟がたどたどしく、歩き、話し始めた頃。


「……にーたん」


「こんなところまで来たら、母様に怒られるぞ」


 短い手足をばたつかせながら歩く弟が、純真な瞳で見上げてくる。

 目線を合わせてしゃがめば、弟はロイドの膝に掴まり、笑顔を向けてきた。


 何故自分を見て、そんなにも楽しげに声を上げるかが分からない。


 ただ、何故か胸の辺りが暖かくなった気がして、ロイドは胸元を触る。


 当然のように、何もおかしなところはない。


「……ランス!」


 弟が自分の名前を呼ばれて、顔を上げた。

 つられて顔を上げたロイドの瞳に焦ったような表情の母が映る。


「あなた、何をしているの!!」


 ロイドから守るように、母がランスを抱き上げ、胸元に隠した。

 ロイドは立ち上がり、頭を下げる。


「……この子に、近寄らないでちょうだい」


 母の声をこんなにも近くで聞いたのはどのくらい前のことだろうか。

 考えるが、すぐには思い当たらない。


「……申し訳ありません」


 ロイドを一瞥してから、母はランスを抱えて歩いていってしまう。

 

 母の腕の中では、ランスがロイドには手を伸ばしてばたつかせていた。









 12歳になる頃、鍛練を積んでいたロイドは力こそ大人に敵いはしないが、剣技だけならば年齢不相応な実力を身に付けていた。


 弟は相変わらず、ロイドのもとへとやってきては母に窘められていた。


「兄さま、ぼくも鍛練したい!」


「……まだ、始めていなかったのか」


 たしか弟は今年で7歳になる。

 ロイドはその頃には剣の構えを教わっていた筈だ。


「兄さまと打ち合いしたい!」


「……少しだけだぞ」


 鍛練用の木刀ではなく、もっと軽い小枝をロイドは手に取り、ランスに渡した。

 ロイドも同様に枝を構える。


 これならば、手加減すれば当たっても軽く赤くなる程度で、"痛み"はない筈だ。








 弟の大振りな動きを軽くかわして、ロイドは少し考える。

 

 鍛練に憧れているならば、すぐに終わってしまうとつまらないかもしれない。

 実戦のようにやり取りしてから、ランスの枝を受けてやろう。

 

 そう思い、振り下ろされたランスの手を軽く打った。

 少し赤くなる程度、動かすのになんの支障もない程度の攻撃。


 その筈だった。


 目の前の弟は少し赤くなっただけの手を抑えて涙を流し、声を上げる。


「ランス様!」


 付き添っていた使用人の一人が声を荒げた。

 

 ロイドにはランスが泣き出した理由が分からない。

 ランスはそのまま使用人に抱えられて、部屋へと連れ戻される。


 ロイドは、騒ぎを聞き付けた父の執務室へと呼び出されることになった。







「……いったい何があったんだ?」


 執務室の椅子に腰かけたまま、父は眉を下げながらロイドに優しい声色で語りかける。


「……打ち合いをしたいと言われました」


 ロイドは少し小さな声で、しかし、真っ直ぐ父を見つめ返しながら言葉を返した。


 その言葉に父は一度息を飲み、ため息を吐く。


「……あんなに小さな子にか」


「……手加減して、鍛練用の木刀も使いませんでした」


「あの子の年だと、痛みに泣いてしまっても仕方がないだろう。お前は……」


 ロイドが言葉の意味が分からず、聞き返そうとした瞬間。

 勢いよく執務室の扉が開かれた。


「あの子に、何てことをしてくれたの!」


 振り返る前に後ろから身体が突き飛ばされた。

 ロイドは父の執務机に思い切り、身体を打ち付ける。


「お前……!」


 父が慌てたように立ち上がる音が聞こえた。

 顔を上げたロイドを憎らしげに睨み付ける母の顔を視界に捉えながら、ロイドは黙って立ち上がる。


 ロイドを助け起こそうとしていた父が、動きを止めて息を飲んだ。


「ロイド……お前、痛くはないのか?」


 父の言葉にロイドはいつもと変わらない表情で首を傾げる。

 そして、手足を軽く動かし、自分の身体を見下ろす。


「問題なく動きます」


 机にぶつかった時に捻ったのか、手首が少し赤くなっているが動かすのに支障はない。


「そうではなく、痛くは……ないのか?」


 父の言葉にロイドは再び、首を傾げる。

 後ろに立っている母が、ロイドから離れるように後ずさった。


「……おぞましい子」


 ロイドは両親から向けられる視線には動じずに、一つ思い当たったように父に問いかけた。


「父様。……痛み、とは何を指すのですか?」








 ロイドは祖父の元へと送られた。

 

 表向きは騎士としての才能を伸ばすため。

 しかし、見送る両親の安堵したような表情が本当の理由を物語っていた。


「私は子供でも甘やかしたりはしない」


 祖父と顔を合わせるなり、そう宣言される。

 見上げた顔には年齢相応に皺が刻まれているが、背筋は真っ直ぐと伸ばされ厚い胸を張り、ロイドを見下ろしていた。


「分かりました」


 言葉通り、ロイドは甘やかされることはなく、厳しい鍛練に日々を沈めることになる。


 祖父の元にはロイドよりも少し年上であろう少年たちが剣の修行のためにと集められていた。


「……帰りたい」


「……お父様、お母様に会いたいよぉ」


 厳しい鍛練から目を逸らすために泣き言を口にする少年たちを横目にロイドは黙って剣を振るう。


 少年たちにも馴染めずに、しかし、剣の腕だけは上達していくロイドを彼らは遠巻きに見ていた。


「……ロイド」


 祖父に初めて名前を呼ばれ、ロイドは部屋へと呼び出される。


「なんでしょうか」


 腕の筋肉がひきつり、震える程に剣を持ち続けても顔色一つ変えないロイドに祖父は重たい息を吐き出した。


「……お前は、騎士になりなさい」


「分かりました」


 凪いだ心でロイドは頷く。

 

 このまま鍛練を積んでいけばいいのだろうか。

 それならば、ロイドにとっても楽な道だろう。


「このまま、自らを厳しく鍛え、善行を積み……他者のために生きるようにしなさい」


 祖父がロイドの傍で膝をつき、頭に手が乗せられた。


 固く、凸凹している大きな手。

 目を丸くして顔を上げたロイドの瞳に、目元を和らげながら、少し眉を下げている祖父の顔が映る。


「理由など分からなくてもいい。ただ……そうしていれば、誰もお前を拒絶はしないだろう」


「……分かりました」


 素直に頷いたロイドを祖父が乱暴な手付きで撫でる。

 

 髪が乱れて、目を細めたロイドの脳裏に赤子の弟を愛しげに抱える母の姿が浮かんだ。

 

 胸の奥が暖かい感覚。

 同時に、何かが決定的に欠けたように満たされないような感覚がする。


 何が欠けたかなんて考えなくてもいい。

 ただ、分からなくても歩くべき道が分かったのだから。








「それから、暫くして俺は正式に騎士団に入団し、次期当主は弟に決まった」


 ロイドは話を終えて、少し息を詰めながら静かに話を聞いていたルクレアを見る。


「……なるほどね。だから、あんたはいつも自分そっちのけで人助けしてんのね」


「……やはり、おかしいか?」


「別に。あんたがそうするって決めたんならおかしくても、変でも、何だっていいんじゃないの」


 呆れたようにルクレアが笑う。

 その表情に、呼吸が楽になったように肩の力が抜けた。


 少しの沈黙の後、ルクレアは真っ直ぐとロイドを見つめながら、口を開く。


「ただ、あんまり自分の身体を傷つけたり、犠牲にしたり……無茶はしないでよ」


 ロイドは少し目を丸くしながら、ルクレアの瞳を見つめ返す。


「……あたしが治す羽目になるんだから」

 

 ルクレアはロイドの視線から逃げるように顔を逸らし、眉を寄せ言葉を続けた。


「……分かった」


 ロイドの返事にルクレアは何故か眉を下げながら、呆れたような笑顔を返した。

 

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