第十二章 後編
馬車を降りて、二人で街道を歩く。
大きな荷物は置いてきているからか、先ほどよりも静かだからか、石畳を踏み締める足取りは軽くなっていた。
「大丈夫か?」
前を行くロイドが、顔だけを後ろに振り返らせながら尋ねる。
「ここまで、馬車で楽してたんだから平気に決まってるでしょ」
ルクレアは歩みを止めずに、眉を片方だけ上げ、ロイドにそう返す。
「いや、そうではない」
何が言いたいのか。
口を開きかけたルクレアの足元がぐらりと揺れた。
「え……」
足元は石畳が敷き詰められている街道だ。
そんなことはない筈だ。
足元に視線を落とそうとしたルクレアの腕が強く引き寄せられる。
「こちらに来い!」
ロイドの腕に抱き寄せられたルクレアの髪を何かが掠める。
緑色の長い蔦。
捲り上げられた石畳を裂き、地面から生えたそれが二人の方へと叩きつけられる。
「……魔獣の縄張りに入っていたか」
目の前まで迫った緑を片手で構えた剣でいなし、ロイドはルクレアを抱えたまま後ろに下がる。
しかし、そこにも地面から突き出た蔦が叩き付けられる。
「……ロイド!」
腕の中のルクレアを庇うように、蔦を受けたロイドの腕が嫌な音を立てる。
焦って顔を上げたルクレアの瞳に、歪に曲がりかけた腕が映った。
「ルクレア。治癒を頼めるか?」
「冷静に言ってんじゃないわよ!」
涼しい顔でルクレアを見下ろしたロイドに片腕で抱えられ、治癒魔法を行使する。
ロイドの腕はすぐに元に戻ったが、魔獣の追撃が止むことはない。
「キリがないな。……このまま、魔獣本体のところまで走るか」
「ちょっと! 降ろしなさいよ!」
「ルクレアはあれを避けられないだろう? それに、この方が怪我をした時にすぐに治して貰える」
腰に回した腕で持ち上げられて、地面からルクレアの足が離れる。
バランスを崩しかけて、思わずロイドの肩にしがみつき、体勢を整えた。
「そのまま掴まっててくれ」
ルクレアは眉を吊り上げ口を開きかけるが、地面以上に揺れる体勢では、ロイドに鋭い視線を向けることしか出来なかった。
蔦を切り払い、いなし、受け止めながらロイドは街道を駆ける。
落ちないようにしがみつき、治癒魔法を使いルクレアは舌を噛みそうになりながら、怒りの声を上げる。
「あんた、ついこの間無茶するなって言ったの聞いてなかったの!?」
「聞いていた。無茶ではないだろう?」
これが無茶でなければ、何を無茶と言うのか。
身体を起こし、ロイドにそう告げようとした時、一際太い蔦が振り下ろされる。
「っ……!」
起こした身体を引き寄せられて、また体勢が崩れかける。
「ちゃんと、掴まっていろ」
ロイドの言葉にルクレアは唇を噛み締めながらも、肩に添えた手に力を込める。
「……それと、治癒魔法を頼む」
「……っ!」
思わず、怒鳴りかけた声を抑えてルクレアはロイドに治癒魔法を使う。
後、何度これを繰り返すつもりなのか。
治癒魔法にも、ルクレアを抱えて走るロイドの体力にも限界はある筈だ。
辺りを見渡そうとしたルクレアに、ロイドが足を止めずに告げる。
「あれが本体だろう」
ロイドの向かう方向を見れば、大きな緑の塊が道の真ん中を陣取っていた。
渦巻くように蔦で覆われた球体から蔦が無数に伸びている。
「……本体の移動能力は低そうだ」
活発に蠢く蔦とは違い、球体はその場を動くことはない。
二人がそちらへと近付けば、周囲に蠢いていた蔦が一斉に襲いかかってきた。
剣で凌げる数には限りがある。
ロイドに庇われながら、ルクレアは治癒魔法を使い続ける。
傷付いては、すぐに修復される身体。
常人であれば、苦痛に動けなくなっているであろう行為に、ロイドは顔色ひとつ変えずに、突き進んでいく。
「……捉えた!」
その言葉と共に、ロイドが球体に剣を振り下ろす。
ぐちゃりと蔦に覆われていた球体の中から、青黒い液体が吹き出した。
最期の足掻きとばかりに振り回される蔦をロイドは、剣で斬り伏せ、避けていく。
蔦が動かなくなる頃には、球体から吹き出していた液体はどろどろと零れて、地面に染みを作るだけになっていた。
久しぶりに安定した地面に足を着けたルクレアはその場に座り込んでしまう。
「大丈夫か?」
いつもと変わらない表情。
だが、珍しく少しだけ息を切らしているロイドがルクレアの肩に手を添えて、見下ろした。
「……大丈夫、なわけないでしょ。あんたどれだけ無茶すれば気が済むのよ」
ロイドの手を軽く払い、呆れたように見上げるルクレアにロイドは首を傾げる。
「……もういいわ」
もう一度深くため息を吐き、ルクレアはゆっくりと立ち上がり、ミリアナたちが待つ馬車の方へと向かう。
戻った二人を安堵の浮かんだ笑顔で出迎え、頻りに感謝とお礼をしたいと圧してくるミリアナの提案をかわす余裕はルクレアには残っていなかった。
一晩宿屋で休息を取った二人は、ミリアナに連れられて、大通りから外れた裏通りを案内されていた。
いつかの街のように治安が悪い、ということもなく、豪奢ではないが綺麗に整えられた狭い道を歩く。
ミリアナは昨日のような聖女の姿ではなく、シンプルだが品の良い白地に美しく刺繍が入っているワンピースを身に付けていた。
狭い道で少年とすれ違う。
小さなメモ書きを手に、息を切らして駆ける彼はミリアナを見ると慌てたように足を止めて頭を下げ、また走り出した。
「知り合いか?」
「ええ。知り合いの職人さんのところの見習いさんですわ」
そのまま軽い足取りで進むミリアナに着いていけば、少しだけ開けた道に、表通りよりは小さな店が並んでいた。
「表のお店も素敵ですけれど、お二人にはこちらの方がおすすめかと思いまして」
クスクスと楽しげに笑うミリアナが案内したのは、少し手狭だが手軽な価格の装飾品や旅の支度を揃えられるような店だった。
店内を物色するロイドとミリアナの背中をルクレアはただぼんやりと眺める。
「こちらの職人さんは我が家と懇意にしてくださっている方ですの。あまり広くはないお店ですけれども、確かな品質の商品を扱われていて、素晴らしいお店ですわ」
「お嬢! 広くはない、は余計ですぜ!」
「あら。申し訳ありませんわ」
奥から陽気な笑い声と共に投げ掛けられた言葉にミリアナもクスクスと笑いながら、答える。
「旅のお支度は勿論ですが……こちらの装飾品などは、贈り物としても人気の品ですのよ」
年頃の少女らしく瞳を煌めかせながら、ミリアナはロイドとルクレアを交互に見る。
「俺は、装飾品はよく分からないな」
「あら。ですが……こちらの品など、ルクレアさんにお似合いではありませんか?」
美しい耳飾りを手にしたミリアナに見つめられ、ルクレアは首を横に振る。
ミリアナは少しだけ、眉を下げるが、ロイドも首を傾げたままだ。
「ルクレアがそういったものを身に付けているのは見たことがないから分からないな。……ルクレア」
「……何よ」
呼ばれて渋々と二人の方へ歩み寄れば、ロイドはミリアナが薦める装飾品の類いには目もくれずに、傍にあった外套を一枚手に取った。
「お前のものはそろそろ痛んできていただろう」
ルクレアの身体に合わせてサイズを確認するロイドに、ミリアナは目を丸くしてから、楽しそうに笑い声を漏らす。
二人の間に立たされ、身動きも取れないルクレアは、強張った身体をもて余していた。
「本当に出して貰って良かったのか?」
「ええ。これまでのお礼も兼ねてですから」
旅立ちのための買い出しも終え、店を出る頃には日が傾き始めていた。
「……明日にはもうこの街を出られてしまうのですよね?」
「ああ。そのつもりだ」
「また、どこかでお会いすることもあるでしょう。その時まで、お元気でお過ごしください」
ミリアナは二人へ穏やかに微笑みかける。
そして、一歩前へと詰め寄り、ルクレアの手を取った。
「ルクレアさん、わたくしは同じ聖女として、あなたのことを尊敬しております。あなたのようになれるために、研鑽していきますわ」
「……あたしの、ように」
ルクレアはそれ以上言葉を紡げずに、ただミリアナの美しい顔を眺める。
手を掴まれたままでは、真っ直ぐと陰りのない笑顔のミリアナから目線を逸らすことすら許されない。
「お嬢様。そろそろお時間が……」
「あ、そうですわね。お二人とも本当にありがとうございました。また、どこかでお会いいたしましょう」
馬車に乗り込むミリアナの後ろ姿を見て、ルクレアはようやく胸に溜め込んでいた空気を吐き出すことが出来た。
「ルクレア」
大通りから宿に戻る途中、ふと前を歩くロイドが足を止める。
「……なによ」
つられて足を止めたルクレアは振り返ったロイドの顔を見上げる。
「ルクレアは、ミリアナが嫌いなのか?」
突然の言葉に思わず、息を止めた。
普段と変わらない、世間話でもするかのような様子で尋ねるロイドにルクレアはため息を吐く。
「……急になんなのよ」
「……ミリアナと距離を取っていたように感じた」
ルクレアはロイドから視線を外し、少し先の地面を見つめる。
「あっちはお貴族様で、こっちはただの平民よ。馴れ馴れしくする方が問題でしょ」
「ミリアナは、そんなことは気にしないだろう? 同じ聖女として、親しくしたいように思えたが」
同じ聖女。
その言葉にルクレアの眉がピクリと動く。
「同じ、なんかじゃないわよ」
「何故だ? ルクレアは聖女だろう」
顔を俯かせたルクレアの視界に、ミリアナのものと比べて、質素といえるほど飾り気のない聖女の証が映った。
ロイドも、ミリアナもきっとこんな違いは気にはしないのだろう。
「……分からないなら、いいわよ」
小さく息を吐き、地面を見つめながら、ロイドを追い越して宿屋へと向かった。
ルクレアは一人寝台に転がり、宿屋の天井を見上げていた。
胸元に乗った聖女の証が重たい。
起き上がり、首から証を取ろうとするが、首回りが落ち着かなくなり、すぐに元に戻す。
寝台に腰かけて手で顔を覆うが、何も変わらない。
安らぐ筈の一人の空間。
その場所でルクレアは腕を組み、足をとんとんと揺する。
何度目か分からないため息を吐いた時、部屋の扉がノックされた。
ルクレアは黙ってそちらへと目をやる。
少しして、ドアの向こうから控えめに、聞きなれた声がした。
「……ルクレア。入っても良いか?」
「……いいわよ」
ゆっくりと扉が開き、ロイドが部屋へと足を踏み入れる。
鎧も身に付けておらず、ミリアナとでかけた時よりももっとラフな服装の彼はなんだか少し珍しい気がした。
「……なんのよう」
視線を逸らしながら、呟いたルクレアの言葉は思っていた以上に、突き放すように冷たくなってしまう。
別に、ロイドはなにも悪くはない。
こんな態度を取るべきではない。
分かってはいても、ルクレアはミリアナのようには微笑むことはできない。
「これを」
ぎゅっと唇を噛み締めたルクレアの目の前に、甘い香りの器が差し出された。
思わず目を丸くして、ルクレアはロイドの目を見つめ返す。
「……なに?」
「杏の蜜漬けだ」
そんなものは見れば分かる。
ただ、ロイドが何を考えているかが分からない。
ルクレアが黙り込むと、ロイドはゆっくりと言葉をひとつずつ確かめるように話し始める。
「考えはしたんだ。だが、ルクレアの意図や感情は分からなかった」
ロイドは眉を下げながら、ルクレアの表情をじっと見つめる。
「だが、少なくとも……気分を害したい訳ではなかったんだと、伝えたかったんだ」
普段の堂々とした振る舞いではなく、少し視線を逸らしながらロイドは話す。
ルクレアは静かにロイドの言葉を聞き、真面目な顔を返そうとした。
「……っふ、ふふふ」
しかし、堪えきれずに口から笑い声が零れる。
誤魔化すように口元を抑えるが、笑い声は止まってくれない。
ロイドはそんなルクレアを見て、目を丸くして息を飲む。
「……あんた、あたしに干し杏とか蜜漬け渡しといたら機嫌がよくなるとでも思ってんの?」
くつくつと笑うルクレアにはロイドは首を傾げる。
「……ルクレアは、杏が好きなんだろう?」
その言葉に呆れながらも、また笑いが零れてしまう。
ロイドは少し眉を下げるが、すぐにルクレアへと向ける視線を柔らかいものに変えた。
「食べないのか?」
「……貰うわよ」
一頻り笑ってから、差し出された杏を口に含んだ。
甘酸っぱくて美味しい。
ルクレアはゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いて杏を咀嚼する。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……あの子のことね、嫌いなわけじゃないのよ」
ルクレアは顔を上げ、静かに、凪いだ目でロイドを見つめる。
「ただ、ちょっとたぶん苦手なのよ。……あたしの勝手な都合でね」
「都合、というのは?」
「……聞いても別に楽しくないし、知っても何にもなんないわよ」
手の中の杏を見つめながら、ルクレアは首を横に振る。
今更、こんなことを話したところで胸のつっかえも傷も無くならない。
「……そうか」
ロイドはそれ以上は聞いてこずに、蜜漬けを口の中に放り込む。
ロイドはいつもルクレアの引いた線を越えては来ない。
分からず、理解できないまま、ルクレアの好きなものを渡してくれる。
ルクレアは少しだけ、息を整えるように深呼吸をしてから、膝を抱えて、ロイドの方をチラリと見る。
「……ねえ」
「……どうした?」
夜はまだ少し長い。
眠るには早い時間だ。
「……あんたのことも、教えなさいよ」
ルクレアだって、ロイドのことが分からない。
知らない、だから知らないといけない気がしたのだ。




