第十二章 前編
パチパチと火の粉が弾ける音。
焚き火を揺らす風が体温を奪っていく。
「寒くはないか?」
「……平気よ」
横に腰かけたロイドに視線を合わさずに、ルクレアはツンと言い放ちつつも、冷えた指先で外套の前を合わせた。
「少しは暖まる筈だ」
湯気を立てるスープが入った器を受け取りながら、ルクレアは眉間に皺を寄せる。
「平気だって言ってるでしょ」
「……分かっている」
眉を下げてルクレアを見つめるロイドに、ルクレアは唇を尖らせながら、スープに口をつけた。
じわりと広がる熱さに火傷しないように慎重に嚥下すれば、胃の奥が暖かくなっていく。
ほっと息を吐き出したルクレアを見つめ、ロイドも自分の分のスープに口をつけた。
大きな煉瓦道を揺らす馬車。
楽しそうに行き交う人々の明るい声。
店先の大きな硝子に照り返した光の眩さに、ルクレアは腕で顔を覆ってしまう。
「……ここに魔獣が出てるの?」
「いや、街道に出ているそうだ。領主直々に魔獣討伐の依頼を出しているらしい」
街の入口近く。
道の端で迎えの馬車を待っている二人の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「……ルクレアさん! ロイドさん! お久しぶりですね!」
「……ミリアナ?」
走る馬車の窓が開かれ、そこから身を乗り出したミリアナが大きく手を振っていた。
御者が焦った声を出すが、彼女は笑顔で二人に手を振り続ける。
「……お二人ともお元気そうですわね」
止められた馬車から優雅に降りたミリアナが二人へと駆け寄り、ルクレアの手を握る。
ルクレアは半歩ほど後ろに下がりつつ、ミリアナの笑顔から視線を逸らした。
ミリアナは以前、魔獣に襲われた街で出会った時とは、別人かと見紛う程に溌剌としている。
肩から胸元へと流れる美しく張りのあるブロンド。
光を反射してキラキラと輝く青い瞳。
何よりも、うっすらと赤みがかった白い頬が、彼女の美しさを彩っている。
「どうしてミリアナがここにいるんだ?」
「こちらは、わたくしの父が治める領ですわ。里帰り、といえばよろしいでしょうか。帰ってきた時に魔獣討伐を中央に依頼したと伺いまして……お二人にもう一度お会いできるのではないかと楽しみにしておりましたの!」
貴族なのは分かってはいたが、これ程大きな街を領地に持つ家柄だったとは。
ルクレアは少し後ずさりながら、ミリアナの顔を見る。
「……ええと、それでミリアナ、様がわざわざ来たのは」
「様なんてつけないでくださいませ! わたくしと、ルクレアさんの中ではないですか!」
眉を下げながらも、強くルクレアの手を掴み、顔を寄せたミリアナに、ルクレアも同じように眉を下げる。
「話し方も、全部気にしなくてよろしいのです。わたくしとルクレアさんは、同じ聖女ではないですか」
目の前の笑顔にルクレアは一瞬息を飲む。
そして、覚悟を決めたように顔に力を入れながら頷いてみせた。
「……では、お二人とも共に参りましょう。父が屋敷で待っておりますわ」
ミリアナに手を引かれるままに、馬車へ乗り込んだルクレアは、誰にも気が付かれないように、小さく息を吐き出していた。
柔らかい座席に腰かけて暫く経ってから、大きな屋敷に到着する。
馬車の中で魔獣について尋ねたが、ミリアナもあまり詳細は知らされていないらしい。
「どこで被害が出ているのか、くらいは教えてくださっても良いと思いませんか?」
少し唇を尖らせた彼女にそれを教えてしまえば、きっと飛び出していってしまう。
彼女の父親に少し同情しながら、ルクレアは頷きもせずに黙って話を聞いていた。
屋敷の中、当主の執務室へと案内される二人に着いてくる最中もミリアナは嬉しそうにずっと話をしている。
「魔獣討伐が終われば、是非この街を案内させてくださいませ。……宝石や装飾品等、素敵なお店も職人の皆様も沢山いらっしゃいますのよ!」
ルクレアは少し眉を下げ、ミリアナの話に曖昧に頷きながら、執務室の扉をくぐった。
品の良い調度品で飾られた執務室で、壮年の男性がにこやかにルクレアたちを出迎えた。
領主はルクレアとロイドに視線を向けてから、ミリアナに呆れた顔をした。
「ミリアナ。何故、お二人と一緒にいるんだい?」
「あら、お父様。わたくし、お二人とは知り合いでしてよ。ご挨拶に行かない方が無作法というものですわ」
ミリアナの言葉に軽くため息を吐き、領主は二人をソファへと促す。
「着いて早々の話にはなるが、魔獣討伐について……の、前にミリアナ。何故、お前まで座っているんだい?」
「あら、お父様。わたくしも聖女ですもの。お手伝いいたしますわ?」
「お二人の邪魔になるだろう。お前は大人しくしていなさい」
「まあ、わたくしだって多少のお役には立てますわ。それに、お話くらい聞かせてくださってもよろしいでしょう? でなければ、今すぐにでも魔獣のお話を聞きに街の方へ戻りますわよ」
領主はミリアナの態度に困ったように息を吐き、首を横に振るが、それ以上咎めようとはせずに肩を落として魔獣について話し始めた。
「つまり、街道に魔獣が居着いているから、それを討伐しろと」
ロイドの言葉に領主は重々しく首を縦に振る。
「ちょうど隣の領との境界辺りでね……大規模な討伐隊を派遣するにも都合が悪いんだよ」
良く整えられた髭を撫でながら、領主は大きくため息をつく。
「流通に大きな影響が出る前に片をつけて貰いたい。出来るだけ早く……明日の朝にでも向かってくれるかい?」
「分かりました」
ロイドの返事に頷きを返して、領主はゆっくりと立ち上がり、窓際まで歩いていく。
「それと、ミリアナ……お前は大人しくしていなさい」
「……どうしてですの? わたくしだって、聖女として人の助けにはなれますわ」
眉が上がり、ミリアナの美しい顔が少しだけ歪められる。
領主は娘の方を見向きもせずに、手を後ろに組んだまま、空を眺め、もう一度深くため息を吐いた。
「……遊びではないんだよ」
「そんなことは、分かっていますわ。わたくし、これでも真摯に聖女として研鑽してきましたのよ。それに……この領の問題ですもの。全てをお二人に任せて何もせずに待っているだけなど、許されるはずがありませんわ」
ミリアナの眩しい言葉に、ルクレアは腕をぎゅっと握り締める。
領主が振り返り、ミリアナの真っ直ぐな瞳を見て、眉を下げて微笑んだ。
「分かっている。お前が聖女の素質があると知らされて、それ以降ずっと力を研鑽してきたことも、人を助けるために努力してきたことも……だが、お前は貴族の娘なんだよ」
「それは……分かっていますが」
ミリアナが口ごもり、視線をさ迷わせ、目を手元に落とした。
領主は組んでいた手を解き、再びロイドとルクレアへと視線を向ける。
「明日の朝、迎えの馬車を寄越そう」
「分かりました。失礼します」
悔しげに唇を噛んだミリアナを横目に二人は執務室を後にした。
朝日が昇り始め、道が薄明かるくなる頃。
迎えの馬車が二人の滞在する宿の前へと停められた。
馬車の扉を開けて、中を見れば……聖女の衣服を身に付けたミリアナが座っていた。
「おはようございます」
「……ミリアナは来ないのではなかったのか?」
ロイドの言葉にミリアナは少しだけ悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「実は、あの後お父様ともう一度お話ししまして……なんとか、許可を頂けたんですの」
「……お話ではなく、駄々でしょう」
ミリアナの横に腰かける女性騎士が、呆れたような声でそう呟いた。
その言葉にミリアナは、少しだけ唇を尖らせてみせる。
「最後には、きちんと許可を頂いたのだから良いでしょう」
「許可を頂いたのではなく、根負けされていたように思えましたが……」
女性騎士が顎に手を当て、目を細めればミリアナはこほんと咳払いをする。
「きちんと、同行しても良いとは言っていただきましたわ」
「馬車を降りないこと。お二人の指示に従うこと。護衛と離れないこと……きちんとお守りくださいね?」
「分かっていますわ。……という、わけでわたくしもお二人に同行させていただきますわ。よろしくお願いいたします」
にこりと微笑んだミリアナは改めて、ロイドとルクレアに向き直った。
賑やかな馬車に揺られ、ようやく目的地へとたどり着く。
座っていた時間はそれほどでもない。
しかし、ルクレアは強張り、鈍い痛みを訴える腰を軽く擦りながら、ため息を吐く。
「着きましたのね。では……」
「お嬢様」
腰を浮かせかけたミリアナを女性騎士が嗜める。
眉を下げ、見つめるミリアナにも彼女は厳しい表情を崩さない。
「ロイドさん、ルクレアさん……わたくしもお二人のお役に立ちたいのです。駄目でしょうか?」
眉を下げて懇願するミリアナの顔を、ルクレアは息を詰まらせながら、見ることしか出来ない。
隣に腰かける女性騎士は、ルクレアたちを見て、首を横に振る。
「わたくしは、危ない目に遭う覚悟はできております。それに、聖女として、少しはお役に立てますわ」
「……お嬢様」
ルクレアは何も言えずに、横目でロイドを見る。
ロイドは少し間を置いてから、口を開いた。
「いや。聖女ならルクレアがいるから十分だ」
ロイドの言葉に真っ先に女性騎士が安堵の息を吐く。
続けてミリアナが、眉を下げながら頷いた。
「やはり、ロイドさんはルクレアさんを深く信頼なさっているんですね」
クスクスと柔らかく笑うミリアナに、ロイドは何故か納得がいったかのように頷く。
「ああ。俺はルクレアを信頼している」
生真面目に返したロイドに、ミリアナは目を丸くした後、さらに笑みを浮かべる。
ミリアナの笑い声が満ちる馬車の中で、ルクレアは何度も腕を組み直していた。




