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第十一章 後編

「ここまでくれば、安心でしょう」


 案内されたのは粗末な布で覆いを作ったテントとも言い難い簡易的な避難場だった。

 周囲には身体に負った火傷に応急手当を施しただけの、怪我人が並べられている。


 ルクレアは一度深く息を吸い、自身の手を痛いほどに握りしめ、ロイドの横に座った。


「それで、改めて色々とお話を伺いたいのですが……」


「ああ。俺たちは王命により、魔獣討伐の旅をしている。あの村にはそれで立ち寄った」


 周囲から安堵と希望に満ちた声が零れる。


「何があったのか、聞かせてもらえるか?」


「ええ、勿論……数日前の事でした。あの魔獣が空からやってきて、炎を吐き、村を焼いたんです」


 広い村のほとんどが火に包まれたこと。

 村人たちは炎に巻かれながらも村の外に逃げることが出来たこと。


 一息にそこまでを話し、目の前の彼は大きく息を吐く。

 

「村を出ると、魔獣は追っては来ませんでした。まるで、あの村から私たちを追い出したかっただけのような……そんな気味の悪さを覚えましたね」


「魔獣に、何か目的があったのか?」


「……わかりません」


「あいつ、きっと村のご神木様が欲しかったんだよ!!」


 父親の腕から抜け出したアルがロイドと村人の間に割り込んでくる。


「ご神木?」


「そう! 村の真ん中にあるでっけえ木!」


「アル……すみません。子供の言うことですからどうか、お気になさらず」


 村人の言葉にアルは頬を膨らませて見せる。

 そんな光景を眺めていたルクレアはふと、あの村に着いた時のことを思い出した。


「そういえば、焼け跡の中に……大きな木が見えたわね」


「な! やっぱり、あそこが欲しかったから、周りから俺たちを追っ払ったんだよ!」


 子供の話を鵜呑みにするわけではないが、確かにあの木だけは焼けてはいなかった。

 ならば、何か関係があるのかもしれない。


「なら、やりようはあるかもしれないな」


 呟いたロイドに、再び父親の腕の中へと抱き戻されたアルだけが、希望に満ちた瞳を向けていた。


「……夜を待って行動しよう」


「分かりました。あの、夜までの間に……出来れば、怪我人を診てはくださいませんか?」


 ルクレアの胸元にある聖女の証を見つめながら、目の前の村人が頭をさげた。


 ロイドは黙ってルクレアを見つめる。

 ルクレアは、火傷に呻く怪我人を見てから、胸元の証を握りしめた。


「……良いわよ。その代わり報酬を」


 顔を上げて周囲を見渡して、着の身着のままの村人たちを見渡して、言葉を詰まらせた。


 命からがらに村から逃げてきた人たち。

 彼らに何を要求できるのか。


 人として、無償で助けの手を差し伸べるべきだ。

 分かっていても、ルクレアの身体が強張り、指が震えてしまう。



 

 無償で癒して、また自分だけが搾取されて犠牲になるのか。

 

 浅ましい自己保身。

 ルクレアの最後の拠り所。


 なにも言えないルクレアに村人たちが怪訝そうに首を傾げる。


「……治療の対価として、夜までここで休ませてくれるか?」


「え、ええ。それは勿論……」


 ロイドの言葉にルクレアは詰まっていた息を吐き出す。

 ゆっくりと顔をあげれば、ロイドが静かな瞳を向けていた。


「……ルクレア」


「……ええ。構わないわ」


 ルクレアの了承に、周囲は安堵の息を吐き出した。

 ばたばたと何人かが忙しなく支度をはじめようとする。


 そんな中で、パタパタと小さな足音と共にアルがロイドの腕へと飛び込んできた。


「兄ちゃんたちがあいつやっつけてくれるんだよな!?」


「ああ。そうだな……」


 アルの真っ直ぐな瞳がロイドへ向けられる。

 ロイドが頷けば、アルは声を大きくして話し始めた。


「だったら、早くやっつけてくれよ! 母ちゃんのこと、迎えに行かないと……!」


 アルの言葉にロイドが目を細めた。

 周囲の村人たちも思わず、目を伏せてしまう。


「アル……」


「父ちゃん! 次は父ちゃんも一緒に行こう!! 俺だけじゃ、母ちゃん支えるの大変かもしんないから……」


「ごめん。……ごめんな、アル」


 アルの言葉を遮るように、彼の父親は涙を流しながら、小さな身体を強く、抱きしめた。


 アルは父親の様子に首を傾げている。


「父ちゃん?」


「母さんはな、もういないんだよ」


「なに、言ってんだよ……父ちゃん」


「あの時、父さんはお前を連れていくので精一杯だったんだ。だから、母さんはあのまま炎に……」


「だから! そっちの姉ちゃんが治してくれるんだろ!? だから、早く母ちゃんも連れてこないと……」


 ロイドから離れたアルはルクレアの元へと駆け寄ってくる。

 腕に飛び込んだアルの身体を抱き返せずに、ルクレアは唇を噛んで目を逸らした。


「なあ、姉ちゃん! 俺の母ちゃんも治してくれよ!!」


「それは……」


 目に貯めた涙を溢すまいと、鼻に皺を寄せたアルがルクレアの顔を覗き込んでくる。


「……無理よ」


 ルクレアはアルの顔を見られずに、自分の手をじっと見つめた。

 治癒魔法には限界がある。



 

 治癒魔法では、死者を救えない。

 

 あの日、自分の母親を助けられなかったように。

 失った命は戻らない。


「何でだよ!! 姉ちゃん、怪我を治せるんだろ!?……治してくれるんならさ、俺何でもするよ!」


 ポタポタとアルの頬を伝う涙が地面に染みを作る。

 ルクレアの息が止まった。


「……ごめんなさい」


 目頭が熱くなる。

 溢れそうな何かを抑えようと、唇をきゅっと引き結ぶ。


「なんで、なんでだよ……! 母ちゃんに、母ちゃんに会いたいよぉ!!」


 泣きすがるアルに周囲の村人は顔を伏せることしか出来ない。

 誰もが悲痛に顔を染めている。


「……諦めろ」


 唯一、ロイドが二人に歩み寄り、アルの身体をルクレアから無理矢理に引き剥がす。


「なんで……」


「治癒魔法では、死者を治すことは出来ない」


 ぐすぐすと鼻を啜るアルにロイドはいつもと変わらない、静かな表情で告げる。


「ししゃ、ってなんだよ……母ちゃんを、助けてよ……」


「アル……おいで。父さんと話をしよう」


 アルの父親はロイドから泣きじゃくるアルを受け取り、そのままテントの外へと出ていく。


「ルクレア」


 ロイドがルクレアの隣に来て、背中にそっと手が回される。


「……大丈夫」


 ルクレアは静かな声でそう返し、怪我人の傍に座って、治癒魔法を使い始める。


 背中に回された大きな手が、何故だかとても暖かかった。














 


 大きな火傷を負った村人の治療を済ませ、夜まで少し休むことにした。

 テントの端の方、人払いをして貰い、静かな一角で外套を被って目を瞑る。


 だが、寝付ける筈もなくルクレアは何度も寝返りを繰り返す。


「休んでおかないと、後がしんどいぞ」


「……分かってるわよ」


 横からかけられた言葉にルクレアは眉間に皺を寄せた。

 目を瞑るが、目蓋の裏には村で見た黒が浮かび続ける。


「……本当に、大丈夫なの?」


「ああ。あの魔獣は恐らく、村の中心に巣を作っている。巣の近くを炎で焼き払うような種ではない筈だ」


「……そう」


 こういったことに関してはロイドの方が知識も経験もある。

 ならば、間違いないのだろう。


「……死なないわよね」


 ポツリと溢れた言葉は、酷く頼りの無いものだった。


「ああ。ルクレアを危険な目に遭わせたりはしないから、安心していい」


 ロイドの言葉にルクレアは思わず、閉じていた目を開いた。

 ロイドは本格的に休む姿勢に入ったのか、身じろぎ一つしなくなる。


 

 少ししてから身体を起こし、黙ってロイドの方を見つめた。

 規則正しい寝息だけが聞こえてくる。


「……そういうことじゃ、ないわよ」


 呆れたようなルクレアの言葉を聞く相手はいなかった。














 焼け焦げた木片を踏み割る音が、暗い村の中に響いた。

 ルクレアは一度足を止め、震える指で悲鳴を押し止める。


「まだ距離がある。大丈夫だ」


 振り返ったロイドの言葉に、頷いてみせるが指の震えは止まらない。


 昼間よりも周囲の様子は見えない。

 その筈だが、何故か倒れた人影が視界にちらつく気がして、ルクレアは足を止めてしまう。


 暗闇から目を離せない。

 夜の静けさが体温を奪っていく。


 ふと、冷えた指先がなにかに包まれ、暖かくなった。


「……歩きにくいのなら、手を貸せ」


「あ……」


 ルクレアが何かを返す前に、ゆっくりと手を引かれる。

 自然と周囲の暗闇から、ロイドの背中へ目線が逸れた。


 辺りは見えず、足元は覚束ないが、それでも真っ直ぐと歩ける。


 その温もりを確かめるように、少しだけ繋いだ手に力が入っていた。







 





 焼け落ちた家屋の間を進み、村の中心に出た。

 

 視界が明るくなった。

 暗い夜空の中に、月明かりを照り返す緑が大きく広がっている。


 神木。

 その言葉に相応しい、神々しさを湛えた大樹の膝元に、巨体が蹲り瞳を閉ざしていた。


「ここで、待っていろ」


 物陰にルクレアを残し、足音を立てずに駆けていくロイドの背中に思わず伸ばしかけた手を静かに降ろす。

 

 ルクレアに出来ることは、治すこと。

 この力を使わずに済めばいい。


 そう願うルクレアを余所に、ロイドは剣を高く構えたまま、魔獣の傍まで走り寄る。

 眠りを妨げる存在に気が付いた魔獣が瞼を持ち上げるがもう遅い。


 持ち上げようとした頭めがけて、鋭く振り下ろされた剣が線を描き、赤く彩られる。

 混乱と苦痛の混ざったような声が静かな村に響いた。


 ロイドが再び剣を振り上げる。

 しかし、その前に魔獣が爪を振り上げた。


「あ……!」


 ルクレアが思わず声を上げるが、時間は止まってはくれない。

 大きく、鋭い爪をロイドは咄嗟に身を低くして躱す。


 その直後、地面を抉るように振られた尻尾にロイドの身体が容易く吹き飛ばされた。


 遠くからでも聞こえる嫌な音。

 人体を破壊する音にルクレアの足が動きかける。


「……くるな!」


 すぐに立ち上がったロイドが、魔獣から目を離さずに怒鳴りつけた。

 ルクレアの身体がびくりと揺れる。


 ゆらりと立ち上がったロイドの左腕は、あり得ない方向に曲がっている。

 そんな怪我などものともせずに、土埃が上がるほど強く地面を蹴り、駆け出すがその身体は大きく重心が傾いている。

 足が地面につくたびに、ぐらぐらと姿勢が崩れかけるが、駆ける速度が落ちることはない。


 動けなくなる筈だった獲物が駆けてくる姿に魔獣が、後ずさりながら咆哮を上げた。


「……それで、怖気づくとでも?」


 振り上げられた爪を避け、振り払われる尻尾に合わせて剣を叩きつけて、そのまま地面を大きく蹴る。

 硬い鱗を踏みしめて、魔獣の胸元へと飛び掛かった。


 魔獣が大きく口を開き、目の前のロイドの身体を齧り殺そうとする。


「……かかったな」


 ロイドは剣を持たない方の腕を魔獣に向けて差し出す。

 鋭い牙が腕を挟み、千切られる直前に、ロイドの剣が魔獣の喉元へと突き立てられた。


 他よりも薄い色の鱗。

 急所に剣が突き立てられて、魔獣は悶え苦しむ。


 腕を離し、蹲り暴れる魔獣から、ロイドは剣を構えたままで距離を取る。

 

 やがて、動かなくなった魔獣を前に構えを解いたロイドは振り返り、ルクレアへと声をかけた。


「終わりだ」


 その言葉にはっと息を飲み、ルクレアは全力でロイドの元へと駆け出す。

 

 腕は真っ赤に染まり、ぎりぎりで繋がっている。

 足は不安定なままなのか、その場に座り込んでしまった。


「……無茶してんじゃないわよ、このバカ!!」


 どこから治すべきか、一瞬の思考の後、ルクレアは赤い血だまりを地面に広げ続けている腕に手をかざす。


「魔獣は倒したから、焦らなくてもいい」


「焦るに決まってんでしょ!」


 いつもと変わらない表情でルクレアを見つめるロイドに、眉を吊り上げながら怒鳴り返した。

 

 ロイドの傷口が光に包まれ、傷の修復が始まってもロイドは平然としている。


 普通ならば、痛みで呻くことしか出来ないような状況。

 しかし、ロイドは痛みを感じない。


 だからこそ、こうして自分の身体が傷つくことを受け入れるのだろうか。

 


 こんな戦い方を続けていれば、いずれは。


 脳裏に浮かびかけた言葉にルクレアは首を振る。

 ロイドはそんなルクレアに首を傾げていた。






「……他に、怪我はない?」


「おそらくは。問題ない筈だ」


 腕や足を軽く振りながら、答えたロイドにルクレアは大きくため息を吐いた。

 

「すまない。力を使いすぎたか」


「……別に、そういうわけじゃないわよ」


 確かに治癒魔法による疲れはある。

 



 だが、それ以上に。

 そこまで考えてルクレアは黙ってロイドの顔を見る。


「……どうかしたのか?」


「別に。……怪我は治したけど、流れた血も体力も戻らないんだから、無茶しないでよ」


「ああ。分かった」


 軽く返すロイドにルクレアは、もう一度大きくため息を吐くことしか出来なかった。















 日が昇り、ルクレアたちは村人たちと共に村へと戻る。


「ありがとうございます。これで、ちゃんと弔ってやることが出来ます」


 周囲の顔色はけして明るいとは言えないものだった。

 しかし、何を言うでもなく皆、黙々と作業を進める。


「俺たちも手伝おう」


「でも、お疲れでは……」


「構わない」


 ロイドが村人に話しているのを聞き、ルクレアはため息を吐いた。

 そして、黙って彼の元へと歩いて行く。


 村人たちと共に焼け焦げた木材を運び、使えそうな資材を並べていく。

 

 そして、村から逃げられなかった村人たちを、布で包み、墓場の方へと運んでいく。


 誰も何も言えない。

 ただ、時折涙をこらえるような声が聞こえてくる。


 死者を悼む静寂を切り裂いたのは、子供の泣き声だった。

 

「違う……こんなん、母ちゃんじゃねえよ!」


「アル……あっちで待っていなさいと言っただろう?」


 布から覗く黒く焦げた腕。

 その遺体には黒く焦げたおもちゃの剣が添えられている。


 その剣を目にして、アルは泣き声を大きくして、父親へと縋りついた。


 







 墓場に村人たちを運び、穴に埋葬していく。

 作業の途中でルクレアは、遺体の傍へとしゃがみ込み、手をかざした。

 

 小さな光が灯る。

 それだけだ。


 何も起こりはしない。


 分かっていた。

 当たり前のことだ。


 それでも、何故か手が震えて、胸が凍り付きそうなほど冷たくなった。

 胸元で揺れる聖女の証を痛いほどに握りしめる。


「ルクレア、どうかしたのか?」


「……なんでもないわ」


 ルクレアの顔を見つめるロイドに首を横に振り、埋葬を続ける。

 遺体を全て穴に入れて、上から土をかぶせた。


 作業を終えて村へと戻る村人たちを見送りながら、ルクレアは一人その場に佇む。


「……ルクレア?」


 戻ろうとしていたロイドが、振り返り呼びかけた。

 ルクレアは黙って、ロイドの腕を見る。


 傷は塞がり、元に戻っている。


「……ねえ」


「どうした?」


「あんまり、無茶はしないでよね」


 それだけ告げると、ルクレアは黙ってロイドの横を通り過ぎて村の方へと歩いて行く。

 胸元で、聖女の証が重たく揺れていた。



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