第十一章 前編
焼け焦げた匂い。
煤けた土。
視界を覆う黒にルクレアの身体からふらりと力が抜けかける。
「……大丈夫か」
ロイドに支えられ、ルクレアは顔をあげる。
振り払おうとした手には力が入らずに、黙って首を横に振った。
道の左右に、焼け跡が広がっている。
これ程大きな村に、これだけの被害が出るなんて、どれ程恐ろしい魔獣がいるのだろう。
周囲を見渡したルクレアの視界の先。
焼け残った家屋の隙間に、一瞬青々とした緑が見えた。
よく見えようと、目を細めたその時。
「なにか、くるな」
ロイドが空を見上げてそう呟いた。
つられて顔を上げれば、遠くの方から風を切るような羽ばたきの音が聞こえてくる。
ルクレアの脳裏に、自分を浚った空を飛ぶ魔獣の姿が過る。
しかし、影はそれよりも遥かに大きい。
「……隠れるぞ」
二人で、焼け残った崩れかけの家屋の骨組みの影に身を隠す。
手を添えた木の支柱がぼろぼろと黒い欠片となって地面に崩れ落ちた。
それを追って、落ちた目線に映ったものにルクレアは息を飲み込んだ。
人の形をかろうじて保っている、真っ黒な何か。
身を縮こまらせるような姿勢で地面に倒れたそれに気が付いた瞬間、内側に焼け残った肉の腐臭が漂ってくる。
「い、や……!」
咄嗟に口から溢れかけた悲鳴は横から伸ばされたロイドの手に抑えられていた。
大きな手が口を覆い、そのまま腕の中へと引っ張られる。
硬い金属鎧の感触がルクレアの身体を包んだ。
指先に触れたロイドの外套を精一杯握り締める。
地面に転がる骸から目を離せずにいるルクレアにロイドが小さな声で囁いた。
「……来たぞ」
その言葉に、外へと目を向ければ、大きな影が地面に落ちていた。
硬そうな鱗に覆われた巨体。
広げられた翼には薄い皮膜のようなものが張られていて、日暮れかと思うほど辺りを暗くしていた。
魔獣が足を動かしルクレア達に背を向けるのに合わせて、地面が揺れる。
ルクレアの傍でかちゃりと金属が擦れる音が聞こえた。
視線を落とせば、ロイドが剣に手を添えている。
咄嗟にルクレアはその手を上から抑え、首を横に振った。
足元の黒い塊にちらりと視線を向け、目元から溢れそうな雫を必死に堪えながら、ロイドを見つめる。
力の入っていないルクレアの手を振り払いはせずに、少し息を吐きながら、ロイドは剣から手を離した。
魔獣が振り返り、二人の方を見る。
この距離で気づかれる筈がない。
分かってはいても、手足の震えが止まらなくなる。
ふと、顔を動かした魔獣と視線が交わった気がした。
心臓が口から飛び出してしまいそうで、呼吸が止まる。
ルクレアの身体を支えるロイドの手に力が籠る。
永遠にも思える時が過ぎて、再び地面が揺れて魔獣が空へと飛び立つ。
風を切る音と共に焼け残った家屋の一部がガタガタと揺れた。
地面に落ちる影が小さくなり、辺りに光が戻ってくる。
「……行ったな」
ロイドの言葉にかくりと力が抜け、崩れ落ちそうになるルクレアの身体をロイドが支えた。
「大丈夫か?」
ロイドの問いかけにルクレアは言葉を詰まらせる。
唇を噛み締めて、無理矢理に力の入らない足で地面を踏みしめた。
「……平気よ」
震える手でルクレアは顔にかかった髪を払い、ロイドの顔をキッと見上げる。
ロイドは一度口を開き、何も言わずに閉じた。
「そうか」
差し出された手を取り、物陰から出たルクレアを強い日差しが照らしていた。
込み上げてくる吐き気と、眩暈にふらつく足を無理矢理に抑えながら、ルクレアはゆっくりと足を踏み出す。
村の中は酷い有り様だった。
村の入り口の辺りでは、家屋のほとんどが焼け落ち、奥に行くほど原型を留めていない。
村の奥へと進み、焼け残った家に入れば、生活の痕跡があちこちに散らばっていた。
倒れた棚から物が散乱して床を埋めている。
食事を用意していた最中の台所。
繕いかけの服。
ルクレアは唇を噛みながら、その服にそっと触れる。
ここにあった筈の暖かい時間、ルクレアが亡くした時間を思い、手が震えた。
奥へと進む。
寝室だったであろう部屋の前を通りかかったルクレアの足が何かに当たった。
黒く焦げた木、おそらく剣を象ったおもちゃだろう。
「あ……」
剣に向かって伸ばされた、黒く焦げた腕。
ベッドから転げ落ちたようなそれから咄嗟に目を逸らしてしまう。
「どうかしたか?」
「……何でもない。早く行きましょう」
足早に次の家へ向かうルクレアの後ろをロイドは黙ってついていく。
村を見て回る中で、ふとロイドが立ち止まって呟いた。
「……家屋の被害に比べて、遺体が少ないな」
「え……」
ルクレアは立ち止まって辺りを見渡す。
確かに、家屋のほとんどが焼け落ちているが、中にある遺体は数えられる程度しかなかった。
顎に手を添えたロイドを横目にルクレアは外へと歩き出す。
考えても分からない。
ただ、幸福な日常の燃え残りをこれ以上見ていたくはなかった。
外に出たルクレアの耳に何かが倒れる音が届く。
それと同時に、空を見上げてから、首を横に振った。
さっきの魔獣が来たのならば、こんな小さな音で済む筈がない。
それでも反射的に物陰に隠れようと足が動いて、足元の木片に躓いてしまう。
「あ……!」
ルクレアはその場に勢いよく尻餅をついてしまう。
家屋の木板を踏む音と乾いた土を蹴るような音がした。
「ルクレア、大丈夫か?」
ロイドの声に顔を上げたルクレアの視界に、物陰からこちらを覗いている少年が映った。
「……ちょっと!」
目が合うと、彼は物陰に姿を隠してしまう。
立ち上がってそちらへと駆ければ、頭を抑えて小さくしゃがんでいる少年がいた。
「……ねえ」
ルクレアの声に肩を震わせて、少年は口元に指を当て、窺うように空を見上げる。
「あいつに、見つかったらどうすんだよ!」
「……あいつって、あの魔獣のこと?」
こくこくと首を動かしながら、少年は物陰で涙を堪えながら震えている。
空を見上げるが、そこには青色が広がっているだけだ。
「お前は、この村の子供か?」
ロイドの問いに少年がおずおずと頷きを返した。
そして、ロイドとルクレアを交互に眺める。
「そうだけど……兄ちゃんたち誰だ?」
「俺たちは、魔獣の討伐に来たんだが」
ロイドの言葉に少年が立ち上がり、目を輝かせた。
物陰から飛び出して、ロイドに飛び付くように駆けてくる。
「兄ちゃんたちあいつやっつけてくれんの!?」
「……ああ。だから、ここで何があったか教えてくれるか?」
少年は強く頷き、大袈裟に身振り手振りをつけながら話し始めた。
「あいつ、急に村に来て、すっごい炎で家とかが焼けて……だから、皆で村から逃げ出して」
「……逃げられたから、犠牲者は少なくすんだのか。他の村人はどうしたんだ?」
「あっちの方で休んでる。怪我してる人とかも沢山いたから」
「お前は、何故戻って来たんだ?」
こんな少年が一人で、魔獣の脅威も去っていない村に戻るのはおかしい。
ロイドの問いに少年は少し黙ってから、力強い瞳でロイドの顔を見上げる。
「母ちゃんが、まだ家にいる筈なんだよ! ……俺の母ちゃん、足が悪くて! だから、あの時一緒には逃げられなかったから迎えに来たんだよ!」
「……お前の家は?」
「あっち!」
少年の指差した方を見て、思わず言葉を詰まらせる。
そちらは、先ほど見て回った場所だ。
……生存者など、居なかった。
黙った二人に少年は首を傾げる。
どう伝えるべきか。
そもそも伝えるべきなのか。
悩み、黙っていれば少し離れた場所から、大きな声が聞こえた。
「アル!」
「あ……父ちゃん」
少年が反応してそちらを見た。
数人の男性が辺りを見渡しながら、その名前を呼び掛けている。
「……父ちゃん!」
駆け出した少年に気が付いた彼らも走り出す。
少年を強く抱き締めた男性は、地面を塗らすほどに涙を流していた。
「良かった……お前まで失ってしまうかと思った」
「痛いよ、父ちゃん!」
父親に抱かれた少年、アルはくすぐったそうに笑って見せる。
それに安堵の息を溢した周囲が、ルクレアとロイドに気が付いて、表情が硬くなった。
「あなた方は……」
「魔獣の討伐のためにこの村へと立ち寄った者だ」
顔を見合わせ、小声で何やら話し合った後、改めて代表と思しき村人が前に出る。
「そうですか。詳しくお話を伺いたいところですが……」
少し離れたところから、聞こえた鳴き声。
皆、身体を強張らせ、顔に焦りを浮かべた。
「とにかく、今はここを離れましょう。話は落ち着ける場所で改めて」
「俺、母ちゃん迎えに来たんだよ! 母ちゃんも一緒に……!」
横から拳を握りながら、アルが口を挟む。
彼の父親も、周囲の村人たちも、皆一様に唇を噛みしめ、アルから目を逸らした。
「母ちゃんが待ってるから……!」
「アル。母さんを迎えに行くのは……後でだ」
父親に抱き上げられたアルは手足を動かし、抵抗する。
「母ちゃん、きっと怪我してる……! 早く連れてってやんないと!」
少年の言葉に誰も何も返せない。
村人たちに促されて、二人も彼らの後ろをついて行く。
命の気配のしない村に、静けさが戻った。




