エピローグ
想像通りかはおいておいて、婚約披露が無事に終わった日の夜遅く。
王城の一室で、オスカー王は書き物の手を止めて顔を上げた。
扉を叩いて入ってきたのは息子のロンゲールだった。
「まだ起きておられましたか、父上」
「うむ。今日はいろいろとあったからな。目が冴えて眠れん」
オスカーは苦笑まじりに言った。
ロンゲールは机の前まで進み、そこで膝を折った。
深く頭を垂れる。
普段の豪放な息子が見せる、珍しく神妙な態度だった。
「父上。此度のこと、心より感謝申し上げます。あなたが認めてくださらなければ、俺がリンタロウと添い遂げることなど、叶いませんでした」
オスカーはしばらく息子を見下ろしていた。
それから、ゆっくりと筆を置く。
「顔を上げよ、ロンゲール」
息子が、言われた通りに顔を上げる。
「私は王として、そなたの婚約に多くを望んでいた。ベルナール家との縁は、政の上で大きな意味を持つはずだった。それを、そなたは一人の側近のために捨てた……本来なら、叱責されて然るべきことだ」
ロンゲールの表情が引き締まる。
オスカーはそこで、ふっと相好を崩した。
「だが、私はそなたのあの顔を見て思い直したのだ。あれほど必死な目をした息子を、私は知らなかった。何が何でも、この相手を手に入れたい。そう訴えるそなたの目は、王子のものではなかった。人間の目だ」
「父上……」
「私とて、王である前に親だ。自分の子が生涯をかけて守りたいと願う相手を得た。それを政の都合で握り潰すほど無粋ではない」
王は立ち上がり、息子の肩に手を置いた。
「よい相手を見つけたな。あのリンタロウという男、初めて見た時からなかなかの傑物だった。そなたをしっかり支えてくれよう」
「はい。あいつは、俺にはもったいないほどの男です」
迷いなく答えるロンゲールの顔には、隠しようのない誇らしさが滲んでいた。オスカーは満足げに頷く。
「これからは茨の道もあろう。前例のない縁だ。心ない声に晒されることもあるだろう……それでも共に歩んでいけるか?」
「無論です。何があろうと、あいつの手は離しません」
オスカーは息子の肩をぽんと叩いた。
「行け、ロンゲール。二人で幸せになるのだ」
「ありがとうございます、父上」
ロンゲールはもう一度、深く頭を垂れた。
その背を見送りながら、オスカーは一人穏やかに微笑む。
厳格な王の顔ではない。
一人息子の門出を喜ぶ父親の顔だった。
・
あの騒動から数週間が過ぎた。
結論から言うと、俺の暮らしは劇的に変わった。
……いや、正確には変わっていない部分もある。
相変わらず、俺はロンゲールの側近として書類仕事に追われている。
この点は、婚約者になろうが何だろうが逃れられないらしい。
むしろ、公私ともに傍にいる時間が増えたぶん、仕事量は増えた気さえする。
だが、決定的に変わったこともある。
周囲の俺を見る目だ。
「よぉリンタロウ。今日も殿下とお熱いことで」
廊下ですれ違いざまに、イツヤがにやにやと声をかけてくる。
古株の従者は、俺とロンゲールの仲が公になって以来、俺をからかうのが日課になっていた。
「イツヤ殿、仕事中です。茶化さないでください」
「いやぁ、めでたいことだからよ。俺はずっと言ってたろ? お前さんの忠誠は忠誠じゃねえって」
う、と俺は言葉に詰まった。
確かに、イツヤには火事の療養の頃から散々見抜かれていた。
俺が自分の気持ちに気付く、ずっと前から。
今にして思えば、恥ずかしいことこの上ない。
「あの時のお前さんの、きょとんとした顔ったらなかったぜ。口説き文句を並べておいてなぁ」
「……もう勘弁してください」
俺は顔から火が出る思いで、その場を逃げ出した。
背後からイツヤの豪快な笑い声が響く。
まったく、いい笑いものだ。
こんな調子で、城の連中は皆、俺たちの仲を生暖かく見守っていた。
侍女は「お似合いですわ」と微笑み、料理人は「精のつくものを用意しますね」と気を利かせ、衛兵までもが、俺を見るとにやりとする。
祝福されているのはありがたい。
ありがたいのだが、いかんせんこそばゆくて仕方がない。
まぁ、周囲の目が変わったのはまだいい。慣れの問題でもある。
問題は、ロンゲール本人だった。
「リンタロウ、根を詰めすぎじゃないか? 少し休め」
執務室で書類と格闘していると、ロンゲールが俺の手元を覗き込んできた。距離が近い。顔と顔が触れそうなほどだ。
「まだ昼過ぎですよ。これくらい、どうということは」
「いいから休め。ほら、茶を淹れさせた。菓子もあるぞ」
ロンゲールは俺の前に湯気の立つ茶器と菓子の皿を並べた。
いつの間に用意したのか、ということではない。
第二王子が臣下のために茶菓子を用意したのだ。
しかも、その菓子は俺の好物である。
「……お気遣いは、ありがたいのですが」
「気遣いじゃない。俺がお前に構いたいだけだ」
口に含んだ茶を危うく噴き出しそうになった。
これが最近のロンゲールである。
想いが通じてからというもの、彼は驚くほど遠慮がなくなった。
以前は言いたいことを飲み込んで視線を逸らしていたくせに、今や思ったことを片端から口にしてくる。
歯止めが利かなくなったらしい。
もしかすると——ゲームでは奥手なロンゲールは想いを見せてすぐバッドエンドになってしまうから——こちらが素なのかも。
「ロンゲール様。もう少し……こう、慎みというものを」
「慎みぃ〜? 俺はお前が可愛くて仕方ないんだから、そう言って何が悪い」
か、可愛い……。
いい年をした男を捕まえて。
「そういうことを人前で堂々と言わないでください!」
「人前も何も、ここには俺とお前しかいないだろ?」
ロンゲールはけらけらと笑った。
この調子だと、いつか人前でやりかねない。
「まったく……俺は、あなたのそういうところに苦労させられそうです」
「苦労をかける自覚はある。だが、逃がすつもりもないぞ」
彼は俺の頭をくしゃりと撫でる。
その手つきがあまりに自然で、俺は抗議の言葉を飲み込むしかなかった。
・
ある日、一通の手紙が届いた。
(差出人は……アンリか!)
彼女は騒動の後、オズワルドと共にベルナール家の領地へ戻っていた。
二人の仲は当主にも認められ、婚約に向けて話が進んでいるという。
手紙には、領地での穏やかな日々が綴られていた。
オズワルドと二人で幼い頃のように野山を歩いている。
もう身分に縛られることも、本心を偽ることもない。
毎日が驚くほど満ち足りていると、弾むような筆致で書かれていた。
文末にはこう書いてあった。
『自分の心に正直になったその先に、本当の幸せがありました。あなたもどうかお幸せに。また遊びに行きますね。今度は、オズワルドと二人で』
手紙を読み終えて、頬が緩むのを抑えることができない。
アンリもオズワルドも、心から笑える日々を送っているのだ。
思えば俺は、この世界で随分と遠回りをした。
原作の知識を振りかざして心中エンドを回避しようと必死になり、アンリとロンゲールをくっつけようと、あの手この手で奔走した。
結局、その全てが見当違いだった。
俺が守ろうとした「筋書き」の外側で、皆がそれぞれの幸せを見つけていったのだ。
だが、後悔はしていない。
遠回りをしたからこそ、俺とロンゲールは心から分かりあうことができた。
この男の傍で、笑ったり、悩んだり、火に飛び込んだりして、そうやって過ごすうちに、いつの間にか、俺の何より大切なものになっていた。
回り道の果てに掴んだものが、こんなにも温かいなら、遠回りも悪くない。
「なぁリンタロウ。何をにやけてるんだ?」
ロンゲールが俺の顔を覗き込んでいた。
「にやけてなどいません」
「いーや、にやけてたね。よからぬことでも考えてたか?」
「アンリ様から手紙が来たんです。お幸せそうで何よりだと思っただけです」
俺が手紙を差し出すと、ロンゲールは、それに目を通す。
読み終えて、彼も柔らかく微笑む。
「そうか。あいつらも上手くやってるみたいだな」
「ええ……みんな幸せになれて、本当によかったです」
窓の外に目をやる。
冬は過ぎ、庭の木々に若葉が芽吹き始めていた。
あの雪の夜から、季節が一つ巡ったのだ。
これから先も、きっと、いろいろなことがあるだろう。
だが、何が来ようと俺はロンゲールの隣にいる。
臣下として、そして、生涯の伴侶として。
「リンタロウ」
「はい」
「これからも、よろしくな」
ロンゲールが手を差し出してくる。
俺は、その手を迷わず取った。
今度は俺の方から、しっかりと握り返す。
「こちらこそ。末永く、お世話をさせていただきます」
俺がそう言うと、ロンゲールは心底楽しそうに笑った。
その笑顔につられて笑う。
バッドエンドを回避したその続きは、どうやら思いのほか、悪くないものになりそうだった。
今作はこれで完結になります。
普段は男性向け作品ばかり書いているので慣れないことばかりでしたが、良い経験になりました。
続きを書くとしたら、リンタロウとロンゲール、それとアンリおオズワルドの四人で何かの問題に立ち向かう…とかだと思います。
もし、少しでも面白いと思ってくださった方、続きを読みたいと思ってくださった方は、評価ポイントをいただけると幸いです!
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!




