婚約発表
婚約発表の日は、よく晴れた冬の朝だった。
昨夜まで降っていた雪はやみ、城の庭は一面の白に覆われている。
澄んだ空気の中、大広間の窓から差し込む陽が、磨き上げられた床を明るく照らしていた。
絶好の日和だ。天まで慶事を祝福しているように思えた。
俺は夜明け前から城に詰め、最後の点検に追われていた。
装飾の乱れはないか、席次の札は正しく配されているか、料理の仕込みは順調か。
楽団の位置、給仕の動線——一つ一つを自らの目で確かめて回る。
何度も確認したことばかりだが、それでも念には念を入れた。
今日という日に粗相は許されない。
「リンタロウ殿、そう根を詰めずとも、もう完璧ですよ」
通りがかった侍女頭が、苦笑しながら声をかけてくる。
「いえ、最後まで気は抜けません。今日は殿下の一生を左右する日ですから」
「本当に、あなたは殿下想いですねぇ」
侍女頭は感心したように言って、去っていった。
殿下想い。その言葉に、俺は少しだけ胸を張りたくなる。
そうだ。俺はこの日のために生きてきたと言っても過言ではない。
ロンゲールとアンリの婚約。
原作のバッドエンドを覆す決定的な一手だ。
あの心中エンドを、俺はこの手で、絶対に回避してみせる。
それにしても……長かった。
この世界に転生し、田舎を出て、登用制度を使い、ロンゲールに仕えた。マッサージをして、鷹狩りに同行し、覗きを捕まえ、噂と戦い、火事に飛び込んだ。
その全てが今日に繋がっている。
あと数刻で、二人の婚約が正式に世へ告げられる。
・
支度を整えたロンゲールが姿を現したのは、開宴の少し前だった。
正装に身を包んだ第二王子は、いつにも増して堂々として見えた。
黒い礼服が、彼の長い黒髪とよく映えている。
(かっけぇ……)
普段の気安さを消し、王族としての威厳を纏った姿は流石の一言だった。
「ロンゲール様」
「あぁ、リンタロウ。ご苦労だったな」
ロンゲールはそう言って大広間を見渡した。
俺が丹精込めて整えた会場を、ゆっくりと、噛みしめるように眺めている。
その横顔が何を思っているのかは読み取れなかった。
「よくやってくれた。文句のつけようがない」
「恐れ入ります。殿下の晴れ舞台ですから」
俺が誇らしげに答えると、ロンゲールは、ふっと笑った。
少しばかり緊張を感じる。
「ロンゲール様、緊張されているのですか?」
「俺が? 彼女との婚約発表に緊張なんてしないさ」
ロンゲールは首を振り、それから、じっと俺を見た。
その視線が妙に長く、何か言いたげだ。
「リンタロウ」
「はい」
「お前は、今日という日を、ずっと待ってたんだよな」
「もちろんです。この日を迎えるのが私の夢ですから」
「……そうか」
ロンゲールは視線を外した。
窓の外の雪景色へと目を向ける。
(強がってみてもロンゲールは奥手な男だ。緊張しているに違いない)
そう思うことにした。
いくら豪胆なロンゲールでも、一生に一度の婚約発表を前にすれば平静ではいられまい。無理もないことだ。
「ロンゲール様、何も心配は要りません。すべて、うまくいきます」
俺は主君を励ますつもりで、そう声をかけた。
ロンゲールは俺の方を振り返る。
そして、なんとも言えない顔で小さく笑った。
「……あぁ、うまくいくさ。俺の思う通りにな」
「はい。きっと素晴らしい一日になりますよ!」
俺は力強く頷いた。
・
やがて、招待客が続々と到着し始めた。
王族、有力貴族、そしてベルナール家の面々。
華やかに着飾った人々が次々と大広間へ入ってくる。
会場はたちまち賑やかな空気に包まれていった。
俺は会場の隅に控え、全体に目を配る。
段取りは寸分の狂いもなく進んでいる。
給仕は滞りなく飲み物を運び、楽団は穏やかな調べを奏で、客人たちは和やかに歓談している。
完璧だ。我ながら非の打ちどころのない差配だった。人波の中にアンリの姿を見つけた。
その時、開宴の刻を告げる鐘が、大広間に響く。
人々の会話は霞のように消え、人々の視線が広間の奥へと集まった。
そこにはオスカー王が悠然と立っている。
国王の登場に、招待客たちが一斉に頭を垂れた。
「皆の者、今日はよくぞ集まってくれた」
王の声は広間によく通る。
俺は壁際に控えたまま、その光景を見守っていた。
いよいよだ。この後、王が婚約を告げ、ロンゲールとアンリが皆の前で祝福を受ける。俺が脳内で幾度となく描いてきた通りに。
「今宵は、めでたい席である。我が息子ロンゲールと、ベルナール家息女アンリ嬢。この二人の縁について、皆に披露いたしたく——」
「父上、恐れながら」
王が切り出した声を、誰かが遮る。凛とした声だ。
ロンゲールだった。
彼は一歩前へ進み出て、居並ぶ客人たちの中央へと歩いていく。
その表情は、静かで揺るぎない。
何か大きなものを腹に据えた顔だった。
場が揺れた。国王の言葉を遮るなど前代未聞だ。
招待客たちが戸惑いの視線を交わす。
俺もまた、突然のことに目を見開いた。
(ロンゲール、一体なにを……?)
状況が掴めなかった。
段取りにはないぞ。こんな流れは打ち合わせにも、進行表にも、どこにもなかった。
王の祝辞の後、ロンゲールが謝辞を述べる。それが手筈のはずだ。
ロンゲールは広間の中央に立った。
全ての視線が彼に注がれている。
オスカー王でさえ、口を挟まず、じっと息子を見守っていた。
これから起こることを知っているかのように。
胸の中に残っていた、良くない点と点が繋がろうとしていた。
単独謁見。人払いをして父王と話し込んだという噂。
あれは、まさか、これと関係が——
いや、悪い方向に考えるな。落ち着け。
何かの演出かもしれない。
ロンゲールらしい、粋な計らいの類かもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、固唾を呑んで、彼の次の言葉を待った。
ロンゲールの視線が、ゆっくりと動いた。
人々の間に佇むアンリの方へと。
彼女は怯むこともなくロンゲールを見返している。
二人の視線が交わる。
その瞬間、二人の間に、俺の知らない何かが通い合っているのを感じた。
示し合わせていたかのような。
二人の合意であるかのような。
馬鹿な。そんなはずがない。
今日は二人の婚約が告げられる日だ。
めでたい晴れの日なのだ。
俺は、そのために全てを整えてきた。
何もおかしなことなど、起こるはずが。
ロンゲールが息を吸った。
広間が水を打ったように静まり返る。
誰もが彼の言葉を待っていた。
俺も、アンリも、——も。この場にいる全ての者が。
そして、ロンゲールは口を開いた。




