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必死になってサポートしてきた乙女ゲーの攻略対象が、最後の最後で俺のために婚約破棄したんだが  作者: 歩く魚


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燃え盛る恋

「——火事だッ!」


 その叫びを聞いた瞬間、俺たちは弾かれたように走り出していた。


 町の奥、煮炊きの煙とは明らかに違う、黒く濁った煙が空へ立ち上っている。

 乾いた風に煽られ、炎はもう屋根を舐め始めていた。

 火元は保存食作りをしていた家々のある一角だ。


「くそ、燃え広がるのが早い……!」


 ロンゲールが舌打ちする。


 老婆の言葉が脳裏をよぎった。藁も穀物もカラカラに乾いている。

 一度火がつけば、あっという間に燃え広がる。

 まさにその通りの光景が目の前で起きていた。

 乾いた風が、火に翼を与えているようだ。


 現場に着くと、すでに数軒が炎に包まれていた。

 

 保存食用に積まれていた藁、乾燥した穀物、煮炊きの油。

 可燃物だらけの一角は、火にとって格好の餌だった。


 住人たちは家財を運び出すどころではなく、ただ逃げ惑うばかり。怒号と悲鳴が入り混じり、熱風が顔を叩く。


「水だ! 井戸から水を運べ! 桶を回せ!」


 ロンゲールが声を張り上げて混乱する人々に指示を飛ばす。

 その声には人を従わせる力があった。


 我を失っていた町人たちが、彼の一喝でハッと我に返る。

 桶が手渡しで運ばれ、消火の列がみるみるうちにできていく。

 こんな時でも彼の周りには自然と秩序が生まれるのだ。


 だが、火の勢いには到底追いつかない。

 水をかけた端から、炎は俺たちを嘲笑うように燃え広がっていく。


「お願いします、誰か……! うちの子が、うちの子がまだ中に……」


 一人の女が燃える家の前で泣き崩れていた。

 その家は、すでに一階の窓から火が噴き出している。

 近付くだけで肌がちりちりと焼けるような熱気に誰も踏み込めずにいた。踏み込めるはずがない。

 あれはもう、人の入れる場所ではない。


 しかし——ロンゲールの目の色が変わった。


「中に子供がいるのか!?」

「は、はい……! 二階に……っ、収穫の手伝いに出てる間に、あの子だけ家に……」


 女が言い終わるより早く、ロンゲールは羽織っていた外套をかなぐり捨てていた。


「ロンゲール様!?」

「リンタロウ、ここで人々の指揮を執れ! 水の列を絶やすな!」


 言うが早いか、彼は燃え盛る家へ躊躇なく飛び込んでいった。

 止める間もなかった。俺はその背を呆然と見送る……わけがない。


(死なせるか……!)


 次の瞬間には、俺も口元を布で覆って駆け出していた。

 指揮? そんなものは他の誰かがやればいい。

 ロンゲールを一人で火の中へ行かせるなんて、そんな選択肢は俺の中に最初から存在していない。


 陳腐な表現だが、家の中は地獄だった。

 充満した煙が容赦なく視界を奪い、熱気が肺を内側から焼く。

 パチパチと木の爆ぜる音が四方から響き、足元では火が蛇のように這い広がっていた。


「——リンタロウ!?」


 ロンゲールが俺の存在に気付く。

 まさか、地獄への相席人がいるとは思わなかったのだろう。

 

「私にもお供させてください!」

「……死ぬなよ。着いてこい!」


 そう言って、彼は力強く進み始めた。

 俺も後を追うように足を動かすが、一歩進むごとに煙が喉の奥に爪を立てる。

 前を行くロンゲールの大きな背中だけが唯一の道標だった。


「ガキ! いるなら返事をしろ!」


 ロンゲールの怒声に、二階の方から微かな泣き声が応えた。

 まだ生きているのか……間に合うぞ。


 俺たちは崩れかけた階段を駆け上がった。

 一段踏むごとに木材が不吉に軋む。


 そして煙の濃い廊下を抜けた奥、小さな部屋の隅で、幼い子供が一人、布団を頭からかぶって震えていた。

 火の手が、もうすぐそこまで迫っている。


「いたぞ! もう大丈夫だ、助けに来たからな」


 ロンゲールが子供を抱き上げ、しっかりと胸に抱え込む。

 子供は煙にやられて咳き込んでいたが、辛うじて意識はあった。

 よし、あとは戻るだけだ。


「リンタロウ、戻るぞ! 出口は——」


 その時だった。


 頭上でミシリと嫌な音が鳴った。

 反射的に見上げる。炎に炙られた太い梁が、ロンゲールと子供の真上で、今まさに崩れ落ちようとしていた。


 ロンゲールは両腕で子供を抱えている。

 避ければ子供を落とす。庇えば自分が潰れる。

 コンマ数秒の躊躇。それが命取りになった。


「ロンゲール————!」


 俺の身体は動いた。いや、俺の意識が無理やり身体を動かした。

 俺はロンゲールの背中を、全身でぶつかるように突き飛ばす。


 非力な俺だ。あの巨体がどれほど動いたかは分からない。

 だが、ほんの数歩。子供を抱えた彼を落下点の外へ押し出すには足りた。足りてくれた。


 轟音が鼓膜を貫いた。


 燃える梁が、俺のすぐ目の前に落ちてきた。

 火の粉が爆ぜ、衝撃が床を揺らす。

 咄嗟に身をよじったが避けきれなかった。

 肩口を焼けた木片が掠め、灼熱が走った。視界が大きく傾ぐ。


「リンタロウ!」

 

 目の前で叫ぶロンゲールの声が、ひどく遠く聞こえる。


(煙を……吸いすぎた)

 

 喉が潰れたみたいに息ができない。

 足から力が抜けて、俺はその場に崩れ落ちた。

 意識が急速に薄れていく。


 霞んでいく視界の端で、子供を抱えたロンゲールが、こちらへ必死に手を伸ばすのが見えた。

 

 いつも余裕に満ちたあの顔が、見たこともないほど歪んでいる。


(……バッドエンドで、見せたような、顔、だな……)


 俺の意識は闇に飲まれた。


 ・

 

 最初に戻ってきたのは音だった。


 誰かが何かを叫んでいる。遠くで水の弾ける音。ざわめき。

 そして、すぐ近くで、荒い息遣い。


 次に感覚が戻ってきた。


 頬に当たる、ごつごつとした硬いもの。揺れている。

 規則……正しいのか?

 何かに運ばれていると理解するのに時間がかかった。


 俺は薄く目を開けた。


 最初に飛び込んできたのは、すぐ間近にあるロンゲールの顔だった。

 煤で汚れ、汗にまみれ、それでも必死の形相で前を見据えている。

 彼の腕が俺の背中と膝裏をしっかりと支えていた。


 抱えられている。横抱きに。まるで壊れ物でも運ぶみたいに、


(なんで……お姫様抱っこなんだよ……)


 状況が飲み込めず、俺はぼんやりと彼を見上げた。

 ロンゲールの腕の中で、俺の身体は宙に浮いている。

 彼の歩みに合わせて、ゆさゆさと揺られている。

 煙の充満した家の中を、彼は俺を抱えたまま出口へと突き進んでいた。


「気がついたか!」


 俺の視線に気づいたロンゲールが叫ぶように言った。

 その声には余裕の欠片もない。

 泣く寸前の子供のような声だった。


「喋るな。煙を吸ってるんだ。もうすぐ外だから、しっかりしろ」


 そう言われて、ようやく思い出した。

 梁が落ちてきて、俺はロンゲールを突き飛ばして、それから——煙にやられて倒れたんだ。


 子供は。あの子はどうなった?


「こ……」


 声を出そうとして激しく咳き込んだ。喉が焼けるように痛い。


「安心しろ、子供なら外に出した。お前を取りに戻ってきたんだ」

 

 ロンゲールが俺の問いを先回りして答えた。

 戻ってきたのか……一度子供を抱えて脱出して、それからまた、燃え盛る家へ。俺のために地獄へ。


 俺は何も言えなくなった。


 やがて視界が、ぱっと開けた。

 煙の世界を抜けて冷たい外気が肌を刺す。

 

 澄んだ空気が一気に肺へ流れ込んできた。

 げほげほと咳き込みながら、俺は思い切り息を吸う。

 生きている。外に出たんだ。


「医者だ! 誰か医者を呼べ!」


 ロンゲールが俺を抱えたまま、人の輪から少し離れた場所に膝をついた。

 そっと宝物を置くように、彼は俺を地面に横たえる。

 巨漢の彼からは想像もつかないほど慎重で優しかった。


「リンタロウ、俺が分かるか? 返事をしろ」

「……ロンゲール、様」

「あぁ、そうだ。俺だ」


 彼の顔がくしゃっと歪んだ。

 安堵と、まだ消えない恐怖が、ごちゃ混ぜになった表情だった。

 煤と汗で汚れたその顔を見上げながら俺は——なぜか無性に込み上げてくるものがあった。


 俺が助かったことじゃない。

 ロンゲールが無事だったことだ。


 梁の下敷きにならず、火に焼かれず、ちゃんとここにいる。子供も助かった。

 原作で見た、あの絶望に歪んだ顔で終わったのではなく、目の前のロンゲールは生きて俺を見ている。


 その事実が、胸の奥から堰を切ったように溢れ出した。


「……よかった」


 気付けば、俺は呟いていた。

 煙で潰れた喉から、絞り出すように。


「ロンゲール様が、ご無事で……本当に、よかった……」

「馬鹿野郎、それは俺の台詞だ。お前が——」

「あなたが生きていてくれるなら、俺は」


 言葉が止まらなかった。


 高揚しているのだろう。

 死に瀕した直後の昂りきった頭で、俺はただ胸にあるものを、そのまま吐き出していた。

 それがどう聞こえるかなんて考える余裕もない。


「俺は……俺はあなたのためなら、何度でも、火の中に飛び込みます。この身がどうなろうと構わない。あなたが笑っていてくれるなら、あなたが生きていてくれるなら、俺には、それだけでいいんです」


 ロンゲールの目が、見開かれた。


「ずっと、あなたを支えたい。あなたの隣で、あなたの行く末を、最後まで見届けたい。それが俺の——俺の、生きる理由だ」


 紛れもない本心だ。俺はロンゲールを支え、アンリと幸せに暮らしてもらう。

 ここまでどれだけの時間をかけてきたと思ってる。これは俺の使命なんだ。


 推しが無事で、嬉しくて、その喜びを伝えてしまった。

 忠誠の言葉だ。オタクが推しに捧げる想い。


 だが——ロンゲールの反応は予想外のものだった。

 

 彼は俺を見下ろしたまま、石のように固まっていた。

 煤に汚れた頬が、じわじわと別の色に染まっていく。


 火明かりのせいではない。

 その目は信じられないものを見るように、それでいて、何か眩しいものを見るように、大きく揺れていた。


「……お前」


 ロンゲールの声が掠れた。


「それ……自分が何を言ってるか、分かっているのか」

「何とは、当然のことを、申したまでですが……」


 俺はきょとんとして答えた。まだ喉がおかしい。

 それよりも、変なことを言っただろうか。

 臣下が主君に忠誠を誓うのは、ごく当たり前のことだ。


 その俺の顔を見て、ロンゲールは力が抜けたように笑った。

 泣きそうな笑い方だった。


「……分かってねえのか。本当に、お前って奴は」


 彼は片手で顔を覆い、天を仰いだ。

 その仕草が何を意味しているのか俺には分からなかった。

 安堵したのか、呆れたのか。あるいは——もっと別の何かなのか。


 ・


 後になって、ロンゲールは悟ることになる。

 あの瞬間、自分の中で何かが決定的に動いたのだと。


 燃える家の中で、リンタロウは自分を突き飛ばした。

 触れれば折れてしまいそうな非力な身体で、自分の命も顧みず、ただ自分を守るために。

 そして助け出された後、煙で潰れた喉で、彼は何と言ったか。


 あなたのためなら何度でも火に飛び込む。あなたが生きていてくれるなら、それだけでいい。あなたの隣で、最後まで見届けたい。それが生きる理由だと。


 ——そんなもの、求愛以外の何だというのだ。


 本人はまるで気付いていない。

 忠誠のつもりで世界で一番の殺し文句を吐いている。


 きょとんとした顔で人の心臓を撃ち抜いておきながら、何が起きたのかも分かっていない。


 その鈍さが、その真っ直ぐさが、ロンゲールにはどうしようもなく愛おしかった。

 ロンゲールは、その時はっきりと悟った。


 ——俺は、こいつに惚れているのか、と。


 周りの人間は、皆「第二王子」を見る。立派だ、強いと持ち上げる。

 だがリンタロウだけは、最初からロンゲールという一人の人間を見ていた。命を懸けて守る価値があると信じてくれた。


 アンリとの結婚を思い描こうとして、いつもしっくりこなかったのは、これが理由だったのか。

 

 自分の隣にいてほしい相手は最初から決まっていた。

 賢く美しい令嬢ではない。煤だらけの顔で、見当違いの忠誠を捧げてくる、この鈍い男の方だったのだ。


 そして同時に、ロンゲールはもう一つのことを思い出す。

 町の広場で、アンリがオズワルドに向けていた飾らない笑顔。


 アンリには、想う相手がいる。

 俺には、惚れた相手がいる。


 ならば答えは、とっくに出ているではないか。


 だがそれを、ロンゲールはまだ口にしなかった。

 地面に横たわるリンタロウを見下ろしながら、彼はただ、噛みしめるように、もう一度だけ呟いた。


「……お前ってやつは」

ついに二人の恋が動き始めます。


評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!

作品作りにご協力いただけると幸いです!


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