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必死になってサポートしてきた乙女ゲーの攻略対象が、最後の最後で俺のために婚約破棄したんだが  作者: 歩く魚


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19/29

嵐の前の静けさ

 顔合わせの邸は、町の外れにあった。

 手頃と聞いていたが、なかなかどうして立派な造りだ。


 二階建ての石壁の館で、蔦の絡んだ門をくぐると、よく手入れされた庭が広がっている。

 芝は短く刈り揃えられ、花壇には秋の花が控えめに咲いていた。


 ベルナール家と王家、双方の体面を保つには、確かに申し分ない場所だった。


「ほぅ、思ったより悪くないじゃないか」


 ロンゲールが館を見上げて言う。地味な外套を羽織った彼は、一見するとどこかの商家の主人のようだ。

 

 本人は「こういうのは似合わん」とぼやいていたが、傍から見ればかなり様になっている。

 当人にそれを言うと調子に乗るので、口にはしないが。


「えぇ、庭も広くて馬車の取り回しも楽そうです。当日はこちらの正面に両家の車を寄せて、客人は東の入口から——」


 言いながら、俺の頭は勝手に動き始めていた。


 客間はどこに取るか。控えの間は確保できるか。茶や料理はどの経路で運び込むのが効率的か。

 アンリが一息つける部屋は要るだろう。ロンゲールとベルナール家当主が話す席の配置は、上座下座を間違えれば角が立つ。考えることは山ほどある。


「おいおい……リンタロウ」

「はい。なにか追加するべきことが——」

「完全に仕事の目になってるぞ。今日はただの下見だ。そう根を詰めるな」

「……失礼しました。性分でして」


 俺が頭を下げると、ロンゲールは「お前らしいけどな」と苦笑した。


 邸の主に案内され、館の中を一通り検分する。

 日当たりの良い客間、磨き込まれた廊下、しっかりとした厨房に、来客用の落ち着いた一室。


 どこを取っても申し分なかった。俺は当日の動線を一つ一つ頭に刻みながら要所を確かめていく。


「当日は、私が先に参って準備を整えます。殿下は刻限に合わせてお越しいただければ結構です」

「こんな仕事……俺が言うのもアレだが、頭がおかしくなりそうにならないのか?」

「なりません。段取りだけが取り柄ですので」

「いいや、お前はそんな男じゃない。魅力はそれだけじゃないさ」


 そんなに自分を卑下するなと言いたいのだろう。

 ロンゲールの軽口に、俺は曖昧に笑い返した。


 最近の彼は、こういう何気ない言葉を不意に挟んでくる。

 深い意味はないのだろうが、こちらとしては少しばかり調子が狂う。


 臣下を持ち上げて何が楽しいのか。

 機嫌が良いに越したことはないので、ありがたく受け取っておくが。


 ・


 検分を終えると、刻限まではまだ余裕があった。


「せっかくだ、少し町を見て回るか。流石にもう大丈夫だろうしな」


 ロンゲールがそう言うので、俺たちは護衛と適度に距離を取り、町の通りへ繰り出すことにした。

 

 目立たぬよう振る舞ってはいるが、ロンゲールの巨躯はどうしたって人目を引く。

 それでも旅商人風の格好のおかげか、町の者たちは特に気に留める様子もない。


 たまにすれ違う娘がちらりと振り返るのは、たぶん体格のせいだ。

 顔のせいかもしれない。どちらにせよ厄介な男である。


 町は収穫期の活気に満ちていた。


 通りの両脇には、刈り取ったばかりの穀物が俵に詰められて山と積まれ、軒先には乾燥させた果実が紐に連なって吊るされている。


 香ばしい穀物の匂いと、甘い果実の香りがそこかしこから漂ってきて、嗅いでいるだけで腹が鳴りそうだ。


 荷車が行き交い、商人の威勢のいい声が飛び交う。豊かな町だった。


「賑やかだな」

「収穫の時期ですからね。一年で一番、町が活気づく頃合いでしょう」


 広場の方では、女たちが大きな鍋を幾つも囲んで、何やら作業をしていた。

 

 近づいてみると、収穫したばかりの果実を煮詰めて、保存食をこしらえているらしい。

 とろりとした赤い液が鍋の中で静かに泡立ち、湯気と共に甘い香りを立ち上らせている。


「ありゃあ何を作ってるんだ?」

「冬越しの保存食かと。果実を砂糖と一緒に煮詰めて、長く保つようにするんです。パンに塗ったり、菓子にしたり」

「ほぉ〜、そういえば田舎の出だもんな。詳しいわけだ」

「この手の作業は見て育ちましたから」


 俺がそう説明すると、作業をしていた一人の老婆が、こちらに気づいて顔を上げた。


「おや、旅の人かい? 良かったら味見していくかね」

「いいのか?」

「構いやしないよ。今年はたんと採れたからね、おすそ分けさ」


 老婆は気前よく、煮詰めた果実を木の匙にひと匙すくって差し出した。

 ロンゲールは遠慮なくそれを口に運び、ふと目を見開く。


「うまいな、これは!」

「だろう? この町の果実は、よそとは出来が違うんだよ。土がいいからねぇ」


 老婆は誇らしげに胸を張った。

 ロンゲールはすっかり気を良くして、老婆としばらく世間話に興じる。


 こういう時の彼は、本当に身分の壁というものを感じさせない。

 相手が王族だと知らない老婆も、気のいい旅人と喋っている気でいるのだろう。屈託なく笑い合っている。


 俺はその様子を、少し離れて眺めていた。


 ロンゲールという男は本当に不思議だ。


 王族でありながら、こうして名もなき町の老婆と何の隔てもなく言葉を交わせる。


 立場を笠に着ることもなければ、卑屈になることもない。

 ただ目の前の相手を一人の人間として扱う。


 だからこそ人が集まっていく。

 原作でも、この気質は変わらなかった。


「あんたたち、どこから来たんだい」

「まぁ、あちこちだ。商売でな」

「そうかい。なら、火の元にだけは気をつけるんだよ」


 老婆が、ふと声の調子を変えて言った。


「火の元?」

「今年はよう乾くからね。果実の出来はいいんだが、そのぶん火が怖いのさ。藁も穀物もカラカラに乾いてる。一度火がつきゃ、あっという間に燃え広がっちまう」


 言われてみれば、空気は妙に乾いていた。

 喉の奥がひりつくような、そんな乾き方だ。

 雨がしばらく降っていないのだろう。


「去年は隣町でボヤ騒ぎがあってねえ。風の強い日でさ、家が三軒も焼けちまった。うちらも気をつけちゃいるが、こればっかりは運もあるからね」


 乾いた風が通りを吹き抜けた。

 軒先に吊るされた干し果実が、カラカラと乾いた音を立てて揺れる。積まれた藁の山が表面を波立たせた。


 味見の礼を言い、俺たちは再び通りを歩き出した。


 ロンゲールは上機嫌だった。煮詰めた果実の甘さがよほど気に入ったらしく、「あれは菓子に練り込んでも旨いだろうな」などと、らしくないことを言っている。


「甘い物がお好きでしたか?」

「嫌いじゃない。だが城で出てくるのは気取った菓子ばかりだろ? ああいう素朴なやつの方が俺は好きだ」

 

「意外ですね。もっと豪勢なものを好まれるかと」

「お前、俺をなんだと思ってるんだ」

 

「トレーニングと女性のことしか考えていない御方かと」

「そこそこ合ってるのが腹立つな」


 軽口を叩き合いながら、俺たちは町の中をぶらついた。


 露店をひやかし、職人の手仕事を眺め、子供らが駆け回るのを避けながら歩く。

 なんてことのない時間だった。

 だが、こういう時間が存外、悪くない。


 城にいると、ロンゲールは常に「第二王子」として振る舞わねばならない。

 けれど今この瞬間の彼は、ただの気のいい大男として町に溶け込んでいる。


 そういう彼を見られるのは悪い気分ではなかった。


「リンタロウ」

「はい」

「お前、こういうのは好きか」

「こういうの、とは」

「町を歩くとか。何も決めずに、ただぶらぶらするとか」


 唐突な問いだった。

 俺は少し考えてから答える。


「……嫌いではありません。むしろ、好きな方かと」

「そうか」

「殿下とこうして歩くのは、なおさら」


 深い意味はなかった。

 ただ、本音がするりと口から滑り出ただけだ。


 臣下としてではなく、一人の人間として、この時間を悪くないと思っている。それだけのことだった。


 だが、ロンゲールは一瞬、虚を突かれたような顔をした。

 それから、ふいと前を向いて、ぶっきらぼうに言う。


「……変な奴だな、お前は」

「よく言われます」

「だろうな」


 その横顔が、なぜか少しだけ赤いような気がしたが、たぶん西日のせいだろう。


 通りの一角に小さな広場があった。


 古い井戸を囲むように石のベンチが並び、何人かの町人が腰掛けて休んでいる。

 

 ロンゲールは「少し休むか」と言って、空いたベンチにどさりと腰を下ろした。

 大きな身体が座ると石のベンチがいっぱいになる。

 俺もその隣に、遠慮がちに腰を掛けた。


「……いい町だな」


 ロンゲールが、井戸の方を眺めながら言った。


「アンリ嬢も、こういう町で育ったんだろうな。ベルナールの領は、ここからすぐだ」

「そうですね。先ほどの邸からも、領地は目と鼻の先かと」

「だからかもな。あの女が時々見せる素朴な感じ。城のお嬢様には似合わん、土の匂いのするやつだ」


 その言い方には、棘がなかった。

 

 むしろ、どこか好ましいものを語るような響きだった。

 アンリの飾らない一面をロンゲールはちゃんと見ている。


 婚約者として、彼女のことを少しずつ理解しようとしているのだろう。


(いいぞ……ロンゲールは受け入れ始めている)


 俺は内心で頷いた。

 ロンゲールがアンリの良さを認める。

 これは婚約に向けての確かな前進だ。

 下見のついでに思わぬ収穫があったな。


「殿下が、そうしてアンリ様を気にかけてくださるのは何よりです」

「気にかけているか? 俺が」

「えぇ。お二人がより深く理解し合えれば、これほど喜ばしいことはありません」


 俺がそう言うと、ロンゲールはしばらく黙っていた。

 しばしの沈黙があって、彼は小さく息を吐いて空を見上げる。


「……お前は、本当にそればっかりだな」

「そればかりとは?」

「いや、なんでもない」


 ロンゲールは立ち上がり、軽く伸びをした。


「そろそろ戻るか。日が暮れる前に護衛と合流しないとな」

「そうですね。馬の支度もありますし」


 俺も腰を上げ、外套の埃を払う。

 西の空は、いつの間にか茜色に染まり始めていた。

 乾いた風は、まだやまない。

 軒先の干し果実が、相変わらずカラカラと揺れている。


 充実した下見だった。

 邸は申し分なく、町の様子も把握できた。


 何より、ロンゲールがアンリへの理解を深めてくれた。

 今日という日は、俺の計画にとって、間違いなく実りある一日だった。


 そう思いながら俺たちは広場を出て、来た道を引き返そうとした——その時。


「——火事だッ!」


 町の奥から、引き裂くような叫びが上がった。


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