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必死になってサポートしてきた乙女ゲーの攻略対象が、最後の最後で俺のために婚約破棄したんだが  作者: 歩く魚


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17/29

肝心なものが見えていないんだから


 婚約に向けた準備は、水面下で着々と進んでいた。


 オスカー王とベルナール家当主の間で、すでに大筋の合意は成されているらしい。

 あとは時期を見て正式に発表し、しかるべき儀礼を踏むだけ——そういう段階に入っていた。


 俺にとっては、願ってもない展開だ。

 ロンゲールとアンリの婚約。それは原作のバッドエンドを回避し、二人の幸せな未来を確定させる、最も重要な一手である。


 心中などという馬鹿げた結末は、これでもう起こらない。

 俺がこの世界に転生してから積み重ねてきた努力が、ようやく実を結ぼうとしている。


 だからこそ、俺は気を抜かなかった。

 

 婚約が成るまでが正念場だ。ここで何か不和の種が生まれれば、全てが水泡に帰す。

 二人の関係をより強固なものにするため、俺はできる限りの手を尽くすことにした。


「リンタロウ、また何か企んでるな」

「企むとは人聞きの悪い。私はただ、お二人のために尽くしているだけです」


 朝、執務室でその日の予定を確認しながら、俺はロンゲールに告げた。


「本日はアンリ様を東屋の茶席にお招きしております。庭の紅葉が見頃ですので、景色を楽しみながらお過ごしいただけるかと」

「ほう、紅葉か」

「ええ。それと楽団を手配しました。穏やかな調べがあれば、会話も弾みましょう」

「……そういうところは抜かりない男だな」

「恐れ入ります」


 ロンゲールは感心とも呆れともつかない顔で俺を見た。


「なあ、リンタロウ」

「はい」

「お前、俺の婚約のことはどう思ってる?」

「素晴らしいことだと思います。お二人はお似合いです」

「即答だな」

「事実ですので」


 俺はきっぱりと言い切った。


 これは本心だ。アンリは聡明で、ロンゲールにふさわしい。

 二人が結ばれれば、きっと良い夫婦になる。

 原作で見られなかった幸せな未来が現実になる。

 それ以上に喜ばしいことがあるだろうか。


 ロンゲールは何か言いかけて、いつものように途中で口を閉ざした。

 

 最近、本当にこれが多い。

 言いたいことがあるなら言えばいいのに、彼はいつも寸前で飲み込んでしまう。


「……どうかされましたか」

「いや。お前がそう言うなら、そうなんだろうな」


 ロンゲールはそう言って、窓の外へ視線を移した。

 その横顔に、ほんの一瞬、寂しさのようなものがよぎった気がした。

 だが、俺がもう一度見た時には、いつもの飄々とした表情に戻っていて、気のせいだったかと思い直す。


 ・


 東屋での茶席は滞りなく進んだ。


 燃えるような紅葉を背景に、ロンゲールとアンリが向かい合って座る。

 楽団の奏でる弦の音が、秋の澄んだ空気に溶けていく。

 絵に描いたように美しい光景だった。


(最高だ……!)


 俺は少し離れた場所に控え、二人の様子を見守っていた。


「見事な紅葉ですね」


 アンリが頬を緩めて言う。


「あぁ、この時期の庭は悪くない。リンタロウが気を利かせてな」

「リンタロウ殿は、本当によく気がつかれるのですね」


 アンリの視線が、ちらりと俺の方へ向いた。

 俺は恭しく頭を下げる。


「殿下とアンリ様に、心地よくお過ごしいただきたい一心です」


 我ながら、模範的な臣下の受け答えだ。

 二人の時間を演出し、自分は黒子に徹する。

 これでいい。これが俺の役目だ。


 しばらく歓談が続いた後、ロンゲールが席を立った。「少し外す。すぐ戻る」と言って、東屋を離れていく。

 手洗いか、あるいは俺に気を遣わせまいとした配慮か。

 

 残されたのはアンリと俺だけになった。


「リンタロウ殿」


 アンリが、不意に俺へ声をかけた。


「はい、何でしょうか」

「少し……こちらへ来ていただけますか」


 俺は怪訝に思いながらも彼女の傍へ歩み寄った。

 アンリは紅葉を眺めたまま、穏やかな声で続ける。


「殿下は、良い方ですね」

「はい。自慢の主君です」

「貴方から見ても、そうですか?」

「もちろんです。私が誰よりも存じておりますから」


 迷いなく答えた俺を、アンリはゆっくりと振り返って見た。

 その瞳には、何か優しく、それでいて見透かすような光が宿っていた。

 令嬢としての完璧な微笑みの奥に、別の表情が覗いている気がする。


「貴方は、殿下のことが本当にお好きなのですね」

「もちろんです。臣下として、敬愛しております」


 俺は当然のように答えた。

 するとアンリは、ふっと小さく笑った。

 何かを面白がるような、それでいて少しだけ切ないような、不思議な笑い方だった。


「……臣下として、ですか」

「はい」

「そうですか」


 ロンゲールが戻ってくるまでの間、アンリは紅葉を眺めながら、ぽつりぽつりと言葉を落とした。


「リンタロウ殿は、ベルナールの領地をご存知ですか」

「いえ、恥ずかしながら、足を運んだことはございません」


 実際はゲームで知っている。

 緑の深い静かな土地で、秋になると山がこの庭のように色づいて、それはもう見事なのだ。

 

「緑の深い、静かな土地です。秋になると、山がこの庭のように色づいて……それはもう、見事なのですよ」


 知らぬうちに完コピさせてしまった。

 そう思っていると返事のタイミングを逃してしまい、しばしの静寂が広がった。


「……私もね、ずっとそうでした。自分が何を望むかより、周りが私に何を望むかを、先に考えて生きてきました」


 ふいに、声の温度が変わった。

 茶席を彩るための社交辞令ではない。もっと内側から滲み出した素の響き。

 私「も」というのは、もしかして俺と重ね合わせているのか?


「ベルナールの娘として、恥ずかしくないように。家のためになるように。いつも、そう振る舞うことが当たり前で。……自分が本当はどうしたいのか、考える隙すらありませんでした」

「アンリ様……」

「ごめんなさい、湿っぽい話を」


 アンリは小さく首を振り、また微笑みを取り繕った。

 だが、一度覗いた本音は簡単には引っ込まなかったらしい。

 彼女は俯きがちに、独り言のように続ける。


「望むことを許されてきた人が羨ましいのです。自分の心のままに、これが欲しいと言える人が」


 その言葉の奥に、何か触れてはいけないものがある気がして、俺は黙っていた。


 後で思えば……これはアンリの精一杯の吐露だったのだ。

 

 家の意向で婚約が進む。けれど本当に心が向いている相手は、別にいる。それを口に出すことすら許されない立場で、彼女は誰かに分かってほしかったのかもしれない。


 だが、その時の俺は、見当違いの受け取り方をしていた。


(……アンリは、婚約に不安を感じているのか)


 俺はそう解釈した。

 家同士で決められた縁談に、令嬢として漠然とした心細さを抱いている。

 だとすれば、ロンゲールという人物がいかに信頼に足る男かを伝え、安心してもらうのが筋だろう、と。


 彼女が「望む相手」と言った時、その相手がロンゲールではないなどとは夢にも思わなかった。

 俺の中では、アンリが向かうべき先はロンゲール以外にあり得なかったからだ。


「アンリ様」


 俺は、できる限り誠実に聞こえるよう言葉を選んだ。


「僭越ながら、ご安心ください。ロンゲール様は、相手を立場や家柄で測る方ではありません。アンリ様のお心を、必ずや大切にしてくださいます」


 アンリは、ゆっくりと顔を上げて俺を見た。

 その瞳に一瞬、戸惑いのような色がよぎる。

 それから彼女は、ふっと力を抜いたように笑った。

 何かを諦めたような、それでいて俺を憐れむような、複雑な笑みだった。


「……貴方は本当に、まっすぐな方ですね」

「恐れ……入ります?」

「えぇ、恐れ入ってほしい。まっすぐすぎて、肝心なものが見えていないんだから」


 その言い回しに引っかかりを覚えたが、意味を問う前に、アンリは話を変えた。


「ねえ、リンタロウ殿。もう一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「はい」

「貴方は、本当にこのままで……いえ」


 言いかけて、彼女は口を噤んだ。

 代わりに、静かな声でこう言った。


「……やはり似た者同士なのかもしれませんね、私たちは」

「と、申しますと?」


 アンリは穏やかに首を振った。

 その横顔が何を意味していたのか、俺には分からなかった。


 自分の心を後回しにして、誰かのために本心を押し殺している。彼女はそう言いたかったのかもしれない。

 あるいは、俺もまた彼女と同じように、何か大事なものから目を逸らしていると、見抜いていたのかもしれない。


 だが、鈍い俺はそこまで思い至らなかった。

 ただ「令嬢にしては、ずいぶん物思いに耽る方だな」と、的外れな感想を抱いただけだった。


「待たせたな」


 そこへロンゲールが戻ってきた。

 俺はさっと一歩下がり、再び黒子の位置に戻る。

 アンリの顔には、いつもの完璧な令嬢の微笑みが戻っていた。


「いいえ、リンタロウ殿と楽しくお話ししておりましたわ」

「ほう。こいつと何を話してたんだ?」

「ふふっ、秘密です」


 アンリが悪戯っぽく言うと、ロンゲールは「なんだそれは」と笑った。

 和やかな空気が戻る。茶席は何事もなかったように再開され、紅葉の下でまた穏やかな時間が流れ始めた。


 ・


 その日の夜。俺は一日を振り返りながら、明日以降の段取りを書き留めていた。


(茶席は成功だったな……!)

 

 ロンゲールとアンリの仲は順調に深まっている。

 あとはこの調子で婚約発表まで漕ぎ着ければ、俺の目標は達成される。


 ただ、昼間のアンリの様子が、少しだけ心に残っていた。

 婚約に不安を抱いているのなら、それを和らげるのも俺の役目だ。

 今後はアンリが安心できるような場づくりも意識しよう、と俺は筆を走らせる。


 ふと、彼女の言葉が蘇った。


『まっすぐすぎて、肝心なものが見えていないんだから』


 どういう意味だったのだろう。

 深窓の令嬢の言うことは、時に詩的すぎて凡人の俺には理解が及ばない。


 俺はあくまで黒子だ。二人の幸せを陰から支える、それだけの存在。

 自分の心がどうとか、似た者同士がどうとか、そんなことを考えている暇があったら、明日の段取りを一つでも詰める方が建設的だ。


 筆を置き、書き上げた予定表を眺める。

 明日も、明後日も、その先も。ロンゲールとアンリが結ばれるその日まで、俺のやることは決まっている。


 迷いはなかった。

 俺は満足げに頷くと、灯りを消して床についた。


 

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