二つのミス
あれから数日。オズワルドが正式に城へ上がることになったと聞いて、俺は朝食の席で危うく咽せた。
「ベルナール家からの申し出だ。アンリ嬢の付き添いとしてな」
ロンゲールはパンを齧りながら、何でもないことのように言った。
「断れないのですか」
「断る理由がない。従兄弟が令嬢の世話役を務める。ごく真っ当な話だろ」
真っ当だ。ぐうの音も出ないほどに。
だが、俺にとっては由々しき事態だった。
アンリとオズワルドという想い合っている——と俺が睨んでいる——二人が、城という同じ屋根の下で日常的に顔を合わせる。
これ以上、二人の距離が縮まってどうする。
ロンゲールとアンリを結ばせるのが俺の使命だ。
ならばオズワルドの存在感は可能な限り薄めねばならない。
(だったら……やることは二つだ)
俺は内心で計画を組み立てた。
一つ、ロンゲールやアンリの前で、オズワルドの評価がさりげなく下がるように仕向ける。
二つ、オズワルドの動向を把握し、アンリと二人きりにならないよう先手を打つ。
地味だが堅実な作戦だ。前回のような派手な失敗はしない。今度こそ。
・
まずは評価の操作から着手した。
昼下がり、ロンゲールが中庭で剣の手入れをしている時を狙い、俺はさりげなく話題を振った。
「オズワルド殿、なかなか線の細い方ですね」
「そうか?」
「ええ。失礼ながら、初めてお会いした時に少々頼りない印象を受けました。いざという時に、アンリ様をお守りできるのかと」
我ながら嫌な言い方だ。
だが、これでロンゲールの中に「オズワルドは付き添いとして頼りない」という印象が刷り込まれれば、アンリの傍に置く理由が薄れる。布石である。
ロンゲールは「細いねぇ」と布で刃を拭きながら、
「そういうお前は人のこと言えるのか?」
「私は自分の細さは自覚しております」
「自覚があるだけマシってか」
話が逸れた。軌道修正せねば。
「とにかく、オズワルド殿には注意を払った方がよろしいかと」
「注意ねぇ」
ロンゲールは何か言いたげな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
よし、第一段階は完了だ。あとはこれを少しずつ積み重ねていけば——と、その時だった。
「だ、誰か! 子供が!」
中庭の向こうから侍女の慌てた声が響いた。
見れば、来客の連れてきた幼い子供が、植え込みの奥に入り込んで出られなくなっているらしい。
高い生垣に囲まれた区画で、小さな身体が枝に引っかかり半べそをかいている。
大人が手を伸ばすには茂みが深く、かといって力任せに分け入れば子供を傷つけかねない。
侍女たちが遠巻きにおろおろするばかりでらちが明かない。
俺が動くより先に、一つの影が茂みへ歩み寄った。
——オズワルドだ。
「大丈夫、怖くないよ」
彼は穏やかに子供へ声をかけながら、枝を一本ずつ丁寧に払い、自分の身体を盾にするようにして茂みへ入っていく。
棘が腕に引っかかっても気にする素振りもなく、ゆっくりと、子供を怯えさせないように近づいていった。
「ほら、おいで。ゆっくりでいいから」
やがてオズワルドは子供を抱き上げ、棘から守るように包んで茂みから出てきた。子供は彼の腕の中ですっかり泣き止んでいる。
「よかった。怪我はないかい?」
オズワルドが微笑むと、子供はこくりと頷いた。
周囲の侍女たちから、ほうっと安堵の息が漏れる。
「まあ、なんてお優しい」
「あの方は……ベルナール家の?」
「お優しくて、勇敢でいらっしゃるのね」
称賛の声がさざ波のように広がっていく。
俺は中庭の隅で、その光景を呆然と眺めていた。
(……やばい)
頼りない。線が細い。いざという時に守れない。
たった今、俺がロンゲールに吹き込んだばかりの評価が、目の前で完膚なきまでに覆されていた。
むしろ「優しく勇敢な好青年」という真逆の印象が城中に振りまかれている。
ロンゲールが剣を拭く手を止めて俺を見た。
その口元が、堪えきれないという風にひくついている。
「リンタロウ」
「……何でしょう」
「頼りない、線が細い、令嬢を守れない、だっけか?」
「…………」
「ばっちり守ってたな、子供」
ぐうの音も出なかった。
・
評価操作が裏目に出た以上、残る手は監視だ。
オズワルドの動きを把握し、アンリと二人きりになる前に割って入る。地道だが確実な方法のはずだった。
俺はオズワルドの傍に張り付くことにした。
付き添い役の彼が城内を移動する際、それとなく同行し、行き先を見張る。
怪しまれないよう「城内をご案内します」という名目をつけて。
先に言っておこう。これも間違いだった。
「リンタロウ殿は、本当に城のことに詳しいのですね」
三日もすると、オズワルドは俺にすっかり気を許していた。
「いえ、職務ですので」
「謙遜なさらず。それに、話していてとても楽というか……城の方々は皆さんご立派で、私のような者は気後れしてしまうのですが……リンタロウ殿はなんというか、構えずに話せる」
濁りのない目で言われ、俺は返答に窮した。
遠ざけるべき相手に懐かれている。
それも、こちらが監視のために近づいた結果として。
完全に計算が狂っていた。
「リンタロウ殿」
オズワルドが、ふと声を落とした。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「……何でしょう」
「殿下は——ロンゲール様は、アンリを大切にしてくださるでしょうか」
その問いに、俺は思わず彼の横顔を見た。
声に、抑えきれない切実さが滲んでいた。
「アンリは幼い頃から家のために生きてきた人です。いつも誰かの期待に応えて、自分のことは後回しで。だから……せめて嫁いだ先では、幸せであってほしいのです」
オズワルドの目は、まっすぐ前を向いていた。
そこにあるのは、嫉妬でも未練でもなく、ただ純粋に想い人の幸福を願う色だった。
自分が選ばれないと分かっていてなお、相手の幸せを祈る。そういう目だ。
俺は内心で頭を抱えた。
こういう男なのだ、オズワルドは。
遠ざけたい。アンリとくっつかれては困る。それは間違いない。
だが、こうも誠実な想いを見せられると、彼を「ただの障害物」として扱うことに妙な後ろめたさが湧いてくる。
いい奴なのだ。本当にどうしようもなく、いい奴なのだ。
「……大切にされると思います」
気づけば、そう答えていた。
「ロンゲール様は人を立場で見ない方です。アンリ様のことも、きっと一人の人として大事にされるでしょう」
嘘ではなかった。それは本心だった。
オズワルドは少し驚いたように目を見開き、それから、ほっとしたように微笑んだ。
「そうですか。リンタロウ殿がそう仰るなら安心です」
その笑顔が、なぜだか俺の胸に小さく刺さった。
・
その夜、俺がロンゲールに今日の顛末を半ば愚痴のように話すと、彼は腹を抱えて笑った。
「お前、敵を遠ざけるつもりが、懐かれてやがる」
「笑い事ではありません」
「いや、笑うだろこれは」
ロンゲールはひとしきり笑った後、ふと表情を緩めて言った。
「オズワルドのこと、本当は嫌いじゃないだろ」
「……職務上、警戒すべき相手です」
「そうじゃなくて。あいつのこと、いい奴だと思ってるだろ」
図星だった。少なくとも、あのゲームをプレイしていてオズワルドに悪感情を抱く者などいない。アンリに移入するなら尚更だ。
俺が黙っていると、ロンゲールは「ほらな」と笑う。
「お前は敵を増やすのも下手なら、味方にするのも下手だな。気づいたら誰のことも嫌いになれてない」
それは呆れているようでいて、どこか温かい声音だった。
俺は返す言葉が見つからず、ただ曖昧に「恐れ入ります」とだけ答えた。
ロンゲールはそんな俺を、何か眩しいものでも見るような目で、しばらく眺めていた。




