むしろ、好都合かもしれん
翌日からアンリが城へ招かれる頻度が目に見えて増えた。
名目は様々だ。茶会、庭園の散策、王妃エレオノールへの挨拶。
だが、本質はどれも一つ。第二王子であるロンゲールとの親睦である。
王とベルナール家の思惑が水面下で噛み合い始めた証拠だった。
俺にとっては好都合だ。
二人が顔を合わせる機会が増えるほど、関係は前進する。
あとはその一つ一つを丁寧に整えてやればいい。
席は隣同士に。話題は、アンリが関心を持ちそうなものをロンゲールにそっと吹き込んでおく。
沈黙が落ちそうな瞬間には、俺が後ろから軽く咳払いをして合図を送る——とまでは流石にやらないが、それに近いことはしている。
「リンタロウ、お前、最近やけに仕事が丁寧だな」
茶会の準備をしている最中、ロンゲールが感心したように言った。
「恐れ入ります」
「アンリ嬢の好きな菓子まで把握してるとはな。どこで調べたんだ? 貴族名鑑にも載っていない情報だぞ」
「侍女から聞き出しました。彼女は木の実を使った焼き菓子を好まれるようです」
「そこまでするか普通」
「殿下のためですから」
俺は当然のような顔で答えた。
ロンゲールは「なるほどなぁ」と気の抜けた相槌を打ちながら、用意された茶器を一つ手に取って眺めた。
「お前、こういうの楽しいか」
「楽しい、ですか」
「人と人をくっつけるみたいな仕事だよ。媒酌人みたいな」
「……役目を全うできるのは、嬉しく思います」
ロンゲールは茶器を置き、しばらく俺を見ていた。
それから、何かを言いかけて、やめた。
「いや、いい。続けてくれ」
その「いや、いい」が、近頃やけに増えた気がする。
言いかけて飲み込む。俺に何かを問おうとして、寸前で引っ込める。
普段は思ったことを片端から口にする男なのに、こと俺に対してだけは、奇妙な躊躇いを見せるようになった。
理由は分からない。
考えても仕方がないので、俺は茶会の準備に意識を戻した。
・
茶会そのものは、これ以上ないほど順調に運んだ。
会場には小さな円卓を据えた。大広間ではなく、庭に面した日当たりの良い一室を選んだのは俺の差し金だ。
格式張った場所では、アンリのような立場の令嬢は必要以上に身構えてしまう。窓から庭が見え、風が通る場所の方が、自然な会話が生まれやすい。
アンリは木の実の焼き菓子を見て、ほんの少しだけ目を見開いた。
その小さな反応をロンゲールは見逃さなかった。
「気に入ったか」
「……ええ。幼い頃、よく食べたものですから」
アンリの声がわずかに柔らかくなる。
懐かしさの色だ。俺は壁際に控えながら、内心で頷いた。
狙い通り、彼女の警戒が一段ほどけた。
「幼い頃か。ベルナールの領地で?」
「はい。秋になると、領内の森で木の実が採れて。従兄と一緒に、よく拾いに行きました」
従兄。その単語が出た瞬間、アンリの表情がほんの一瞬、別の場所へ飛んだ。
ここではないどこか、今ではないいつか。そういう目だった。
俺は壁際で密かに眉を寄せた。
(また従兄の話か……)
オズワルドの影は、こうしてふとした瞬間に顔を出す。
原作ではこうも邪魔になることはなかったはずなのに——というのは当たり前か。
もちろん、アンリ本人に悪気はない。
ただ、彼女の幸せな記憶の多くに、あの青年が当たり前のように居座っているだけだ。
厄介なのは、そこに作為がないことだった。
計算ずくの恋敵なら対処のしようもある。
だが、ただ「昔からそこにいた」という事実は、どんな策をもってしても揺るがしようがない。積み重なった時間というのは、それ自体が一つの城壁なのだ。
ロンゲールはそれに気づいているのかいないのか、穏やかに微笑んだ。
「いい思い出だな」
「……はい。すみません、昔話など」
「謝ることじゃない。昔を大事にできる人間は信用できる」
その言葉に、アンリは少し驚いたように顔を上げた。
ロンゲールはこういう時、妙に的を射たことを言う。
本人は何気なく口にしているのだろうが、相手の心の柔らかい部分にすっと触れる術を心得ている。
「ま、その点リンタロウは計算づくな部分があってな。あいつ、肝心な部分は隠すんだよ」
「殿下、余計なお世話です」
こちとら前世の話をしないか心配なんだ。
常に綱渡りをしている気分である。
だが、このやりとりが気に入ったのか、アンリの頬がほんのりと色づいた。
(よしっ! 好感度が上がったな)
俺は心の中でガッツポーズを決めた。
計画は順調。むしろ順調すぎるくらいだ。
このまま重ねていけば、二人の婚約は確実なものになる。
「殿下は」
アンリがふと、菓子から視線を上げて尋ねた。
「幼い頃、何がお好きでしたか?」
「俺か? 俺は……そうだな、木登りだ」
「木登り……ですか」
「城の庭に古い樫の木があってな。一番上まで登ると、城下が一望できた。よく兄貴に怒られたよ。第二王子が木の上から手を振るな、ってな」
アンリが小さく笑った。
その笑い方は、令嬢としての作法に則った控えめなものだったが、それでも先ほどまでより幾分か自然だった。
「想像できます。きっと、堂々と手を振っておられたのでしょうね」
「おう。誰よりも高い所からな」
二人の間に、柔らかな空気が流れる。
俺は壁際でその光景を眺めながら、満足感を噛み締めていた。
——これだ。これが見たかった。
ロンゲールが誰かと笑い合い、その相手が彼の隣に立つにふさわしい人物である光景。
ゲームの中で、俺が見られなかったもの。
心中という結末の代わりに、俺がこの手で用意したかったもの。
それが今、目の前にあるんだ。
・
茶会が終わり、アンリを見送った後。
ロンゲールは自室に戻ると、長椅子にどさりと身を投げ出した。
「……疲れた」
「お疲れ様でした。良い会だったと思います」
「そうかぁ?」
「ええ。アンリ様も心を開かれていました。手応えは十分かと」
ロンゲールは天井を見上げたまま、しばらく何も言わなかった。
俺は卓上の茶器を片付け始める。冷めた茶を捨て、菓子の皿を重ね、布巾で円卓を拭く。
こういう雑事は侍女に任せてもいいのだが、手を動かしている方が落ち着くので、つい自分でやってしまう。
「リンタロウ」
「はい」
「お前、わざわざ木の実のやつにしただろ」
「ええ。お好みだと伺っていましたので」
ロンゲールは身を起こし、片肘を膝についた。
「お前はアンリ嬢が喜ぶものは知ってるが、彼女が何を寂しがってるかは、考えたことあるか?」
俺は布巾を持つ手を止めた。
「……寂しがる、ですか」
「菓子を食った時、一瞬だけ遠い目をしただろ。あれは嬉しいだけの顔じゃない」
やはりロンゲールも気付いていたのか。
確かにアンリは、焼き菓子を前にして懐かしさと、オズワルドの事を思い浮かべていた。
それを「警戒が解けた」という都合のいい解釈で片付けてくれれば良かったのだが……。
「故郷を懐かしんでおられたのでは?」
「故郷か。それとも、故郷にいる誰かか」
ロンゲールの声は責めるものではなかった。
ただ、隠されている一点を、静かに指で示すような言い方だった。
俺は布巾を卓に置き、慎重に言葉を選ぶ。
「……仮に後者だとして。それは殿下にとって、不都合な話では」
「不都合? なんでだよ」
ロンゲールはきょとんとした顔をした。
まるで、俺が突拍子もないことを言ったとでもいうように。
「アンリ様に、心に留めた相手がいるかもしれない。それは、これから縁を結ぼうという殿下にとって——」
「リンタロウ」
遮られた。
「お前、人の心は商談か何かだと思ってるのか」
言葉に詰まる。
ロンゲールは長椅子から立ち上がり、片付けの途中だった皿を一枚、ひょいと取り上げた。
大きな手に小さな皿が乗ると、玩具を持たされた熊のように見える。
「殿下、それは私が」
「いいから。たまには手伝わせろ」
彼は皿を重ねながら、独り言のように続けた。
「俺はな、アンリ嬢のことは買ってる。賢いし、芯もある。一緒にいて退屈しない。お前が褒めるだけのことはある」
「では——」
「だが、退屈しないってのと、隣にいてほしいってのは、別の話だろ」
俺は手を止めた。
ロンゲールの横顔は穏やかで、けれどその穏やかさの奥に、俺の知らない種類の確かさがあった。
何かをもう決めかけている人間の、静かな顔だ。
「アンリ嬢が誰かを想ってるなら、それはそれでいい。むしろ——」
そこで、ロンゲールは言葉を切った。
また「いや、いい」が出るのかと思った。だが今回は違った。
「むしろ、好都合かもしれん」
好都合。その単語の意味を、俺は掴み損ねた。
アンリに想い人がいることの何が好都合なのか。
婚約を進める上で、それは障害でしかないはずだ。
「……どういう意味でしょう」
「さあな」
ロンゲールはにやりと笑い、重ねた皿を俺の手に押し付けた。
「お前が自分で気づくまで、言わないでおく」
「気づくとは?」
「気づいてないから聞くんだろ、それは」
からかうような口調だったが、目だけは笑っていなかった。
俺を試しているのとも違う。どちらかといえば、待っている。そういう目だった。何を待たれているのか、俺にはまるで見当がつかない。
手の中の皿が、やけに重く感じられた。
「ま、難しい話は抜きだ」
ロンゲールはぱん、と手を叩いて空気を変えた。
「次のアンリ嬢との会、段取りは任せていいか。お前のことだ、どうせもう三案くらい考えてあるんだろ」
「……四案です」
「多いんだよ」
ロンゲールは声をあげて笑った。
いつもの彼に戻っていた。豪快で、軽口が多くて、第二王子らしからぬ気安さを持った、俺の推し。
俺もつられて口元を緩めながら、片付けの続きに戻る。
皿を運び、卓を拭き、茶器を布で包む。手は淀みなく動くのに、頭の片隅にはさっきの一言が引っかかったまま離れなかった。
好都合かもしれん。
お前が自分で気づくまで、言わないでおく。
何のことだ。俺が見落としているもの。
ロンゲールには見えていて、俺には見えていない何か。
俺は最後の茶器を棚に戻した。




