第二十二話 悔悛の時間、あるいは審判
――ここは、どこだろう。
気がつけば、イシスはただただ白い空間にいた。
暑くもなければ寒くもない。白いから光なのかと思ったけれど、目は痛くならない。
しばらく――どれくらいか分からないけれど、ぼんやりしていると、ふっと近くに気配がした。
それが、なんなのか、すぐに理解してイシスはその場で跪く。
――聖女。
「はい、ここに。神よ」
ようやく、神のもとに来られた。
よく覚えていないが、長く長く、この場所に来たかった。
「罰を。貴方様への背反への懲罰を、賜るために参りました」
――そのような形では、罰など受け取れぬだろう。
ぱっと、光に闇が差した。光を裂くように、何度も闇は目の前を裂いては消える。
え?と思うかのうちに、イシスは――形を取り戻す。
あの、愚かにも何度も惑い、神に従わず、結果、無益に魔物の巣窟で自らを封印した、聖女に。
「……なぜ、このような……」
――しっかりと己の罪と向き合わねば、相応の罰を与えられぬ。
ぱっと、『視界』が切り替わる。
そこは、薄暗い、冷たい部屋だった。
懐かしさすら覚える……イシスが修練した修道院で、一番小さな礼拝堂。
石造りの、人がひとり額づけば、もうそれ以上入れない。ステンドグラスは白い花を象る。
神が、最初に咲かせたという伝説の花だ。
――聖女イシス。あなたは罪を犯した。
「はい」
――どのような罪か。
「神の御言葉を聞かなかったことです。そして、多くの人を傷つけました」
迂闊にも己の血を与え、魔物を活性化させ村々を破壊させ。
勇者でないものをこの世界に招き、責任を負わせ。
神託を聞かず、事を起こして多くの騎士を、聖女を危険にさらした。
浅はかな、イシスの行動で。
「このように悔い改める場をいただき、感謝の念にたえません」
きっと、イシスは地獄へと堕ちるだろう。聖女でありながら神に背いたのだから。
――では、どれが吾が言葉と知るか。
「……え?」
どれ、とは。
「……たしかに、私の勝手な思いでいくつかの御言葉を聞きませんでしたが、すべては神の
ご意思だと疑ったことは……」
――聖女が吾の言葉を聞かなかった。それはなぜか。
「それは……」
思い出した。
そう、預言を聞き、魔物を討伐するために準備をし、結果何も起こらなかったリリゲイズ平原。
だから、イシスは信じつつも、その後の神託は自分の意志を貫いた。
「私は――神を疑ったのですか」
――吾の言葉はたったふたつ。勇者召喚をやめること、大峡谷へは赴かず引き返すこと。
「ふたつ……?」
――その他はすべて、魔王の戯言である。
「……え?」
どういうことだ。
魔王?
――聖女はある時魔物の血を体内に取り込んだ。その血は聖女と魔王のつながりを作った。
「魔王?」
――かの破壊の王は、聖女への感応を理解し、操ろうとした。魔王の聖女へ語りかけること――それを聖女は吾の言葉と思い込んだ。
何度も神の言葉を反芻して――
イシスは叫んだ。
「どうして!」
なぜ、神の言葉を聞かないばかりか、魔王の言いなりになっていたなんて。
この身が、魂が、呪わしい。
何が――真の聖女だ。
「神よ――今すぐ、私を罰してください、」
――だが、聖女の祈りは吾に届いた。
「神よ!」
――己の罪をしかと見よ。
泣き濡れて歪んでいるはずの目に、それははっきり見えた。
(――イズル様……?)
イシスたちが作り上げた祝福武具は、ずいぶん傷だらけになっていた。
厳しい目でイズルは前を――大きな小山のような黒い獣のようなものを見据えている。
それは、牛のような熊のような骨格で、身体のいたるところから棘が生えていた。背中には破れた皮膜が垂れ下がった大きな翼。
赤い縦長の大きな目が爛々と輝く――
一目見て分かる。
これが、破壊と邪悪の王。
「いけない!」
魔王とイズルが戦っているなんて、そんなことは想定していなかった。
だって、イズルは――
「え?」
その瞳が黄金に輝いていた。
そして、その彼の横には――
「……アフィ!?」
鎧を身に着け、剣を掲げているまるで騎士かと思う精悍な風貌。
けれど、彼は、ベアフレート王太子だった。
「どうして!?」
ふたりと、その仲間たち、大勢の騎士や戦士、魔法使い、神官に聖女。
いっせいに、魔王とその軍勢へと向かっていく。
「そんな……」
伝説にあるとおりではないか。
勇者召喚に失敗したのに、ほかならぬ、イシスが。
――これは過去であり、未来である。
「どうして、このような……イズル様は、勇者では……それに、アフィ……」
戦わない約束だったのだ。
イシスが行くから。
「まさか、私の、代わりに……」
――そうだ、かの者は、聖女の代わりにと名乗りを上げ、魔王に立ち向かう勇者の力となった。
「そんな、そんな、」
その過去あるいは未来は続いていく。
魔王とイズルが、ぶつかる。
勇者の力が宿ったらしいイズルの振るう祝福ミスリルの剣は、一振りだけで魔王の魔力をともなった腕を切り裂く。
仲間たちも、ベアフレートも、それに追従して各々攻撃を魔王に加える。
(そんな、勝って……!無事で……)
帰ってくると約束したのだ。
世界の存亡より、自分の命が大事だとイズルは言っていたのに。
(アフィ……!どうして)
彼もまた、国の跡継ぎとして、命は賭けられないと国王たる父や婚約者のイシスに言っていたのに。
「死なないで、アフィ、いや……!」
魔王が、魔法と力任せの攻撃を乱打する。
暴れ回る魔王の巨体に、必死に避けて、隙あらば攻撃を繰り返すイズルたち。
魔王の攻撃は流れて周囲の魔物や魔族、人間たちに当たり、爆発する。
「アフィ!?」
爆発に煽られて、大きくバランスを崩したベアフレート。
そこに、魔王の、明確で巨大な力が迫り――
「いやあああ!」
ふっつりと、その光景は消えた。
「……どうして……どうして」
どうして、こんなことに。
力を失って石床に這いつくばるイシスに、いっそ優しい声が降る。
――聖女の罪だ。
のろのろと顔を上げると、ステンドグラスの花が光り輝いているのが見えた。
――聖女は自らを封印し、その責を放棄した。
そう、誰も傷つけたくなくて。ならば自分が消えてしまえば。
――引き換えに、その祈りは吾に届いた。世界は救われるために、勇者でなかったものを勇者にした。
どうして、彼はただイシスの願いを聞き届けてくれただけ。
――聖女を失った伴侶は、己の力のなさに嘆き怒り、身を捨てようと魔王討伐に赴いた。
「嘘よ!アフィは……ベアフレート様は自分のすべきことをよく分かっていらっしゃる……」
――人間は罪を犯す。
「私の、せいで?」
イシスのせいで、ベアフレートは死ぬのだろうか。
「だめ……だめ、許してください、それだけは……」
そうか、これが、イシスの罪。
祈っていれば聖女だなんて、誰が言ったのだ。
ただ祈って、祈り続けたから、愛したひとを自分の手で殺したも同然なのに。
「ごめんなさい……それだけは……」
――罰を下す。
「……アフィは……許してください……私はこの通り罪を受け入れます……」
――吾の意志を聞き入れなかった、その罪は、耳を失い、その苦難を自分のものとせよ。
「……え?」
――その聖なる力は行いに見合ったものに。
「それは、」
――この罰、受け入れるか。
「もちろんでございます。だから――」
――戻れ、あるべきところへ。
それが、イシスが聞いた最後の神の声だった。




